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賢者の城は六畳間  作者: かわさきはっく


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57/80

第57話 城への帰還、そして幽閉

 カチャリ。

 鍵の閉まる無機質な音が、すべての終わりを告げていた。

 田中修一は、ドアに背中を預けたまま、その場にずるずると座り込んだ。外の世界の音も、光も、匂いも、すべてが、この一枚の扉によって遮断された。

 彼は帰ってきたのだ。

 自分が本来いるべき場所へ。

 薄暗く静かで、誰にも、何も期待されることのない、この六畳間の檻の中へ。


 彼は幽鬼のような足取りで窓へと近づくと、一級の遮光カーテンを隙間なく、ぴしゃりと閉め切った。部屋から最後の光が消え、完全な人工の夜が訪れる。

 畑仕事で泥だらけになったジャージを、まるで、汚れた脱皮殻のように脱ぎ捨て、部屋の隅へと放り投げた。もう二度と、袖を通すことはないだろう。


 コン、コン。

 控えめなノックの音と共に、ドアの向こうから、母・春子の心配そうな声がした。

「修一? おかえり。もう、夕飯の時間だけど……」

「……いらない」

 修一は壁に向かって、吐き捨てるように呟いた。

「……そうかい」

 春子は、それ以上、何も言わなかった。ただ、ドアの向こうで、小さく息を吸う気配がした。その気配さえも、今の修一には針のように突き刺さった。

 彼は、もう、母の優しささえも、受け止めることができなかった。


 暗闇の中、彼はパソコンデスクの椅子に深く沈み込む。

 唯一の光源は、パソコン本体の青い小さな電源ランプだけだった。その点滅する光が、まるで深海の怪物の目のように、彼の顔をぼんやりと照らし出している。

 どうすればいい。

 これから、どうやって生きていけばいい。

 以前の、ただ無気力なだけの日常に戻ることさえ、もはや、できなかった。一度、光を知ってしまった目には、この暗闇は、あまりにも濃すぎる。一度、仲間という温もりを知ってしまった心には、この孤独は、あまりにも冷たすぎる。


(……そうだ)

 不意に彼が顔を上げた。

 まだ残っている。

 彼には、まだ逃げ込める、もう一つの完璧な城が残されている。

 彼はまるで、最後の希望にすがりつくように、パソコンの電源を入れた。ファンが唸りを上げる。モニターが光を放ち、見慣れたログイン画面が表示された。

 ファンタジーの世界。

 そこでは、彼は賢者シュウだ。誰もが彼を尊敬し、誰も彼を裏切らない。

 そうだ、ここにいればいい。もう二度と、外の世界に出なければ、傷つくこともない。


 彼は震える手で、マウスを握りしめた。

 だが、ログインボタンを押す、その寸前で、彼の指が、ぴたり、と止まった。

 脳裏に仲間たちの賞賛の声が響く。

『シュウさん、ナイス司令!』『さすがです!』

 その声が、今は彼を嘲笑しているように聞こえた。

 ナイス司令? さすが?

 冗談じゃない。

 現実の世界では仲間一人守れず、敵の前から尻尾を巻いて逃げ出した、ただの腰抜けのくせに。

 どの口が、賢者を名乗るというのか。

 この偽りの世界で、英雄として君臨し続ける。そんな欺瞞に満ちた行為を彼のずたずたになったプライドが許さなかった。


 彼は自分を罰しなければならない。

 この、愚かで傲慢な、勘違いをしていた自分自身を。

 修一のカーソルは、ログインボタンから、ゆっくりと逸れていった。そして、コントロールパネルを開き、「プログラムのアンインストール」をクリックする。

 一覧の中に、見慣れたゲームのアイコンがあった。

 何年も、彼の唯一の心の支えだった、最後の聖域。

 彼は、そのアイコンを選択し、そして、「アンインストール」のボタンにカーソルを合わせた。

 マウスを握る手が、わなわなと震える。

 本当に、いいのか。これを消してしまったら、もう本当に、何もなくなってしまうぞ。


 ―――カチッ。


 彼は目を閉じたままクリックした。

『本当にアンインストールしますか?』

 無機質な最後の警告。

 彼は無言で、「はい」をクリックした。


 画面に緑色のプログレスバーが現れ、ゆっくりと、右へと、伸びていく。

 それは、彼の数年間の思い出と、最後のささやかな誇りを記録したデータが、完全に消去されていく過程だった。

 やがて、バーが100%に達し、『アンインストールが完了しました』という、無慈悲なメッセージが表示される。

 デスクトップから、見慣れたアイコンは、もう消えていた。

 修一はパソコンの電源を強制的に落とした。

 ファンが、止まる。

 モニターの光が、消える。


 完全な、闇と、沈黙。

 もう、どこにも逃げ場所はない。

 賢者の城は、今、彼自身の手によって、完全に破壊された。

 そこには、ただ、がらんどうの六畳間の檻と、その中で息を潜める、抜け殻のようになった一人の男が、いるだけだった。

 幽閉は完了した。

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