第51話 霜の予言
―――氷点下。
テレビの気象予報士が、にこやかに告げたその言葉。
それが引き金だった。
田中修一の脳裏で、狂い始めた能力が、これまでで最も鮮明で、最も残酷な未来を映し出した。
それは、もはや、警告などという生易しいものではない。確定された、死の予言だった。
彼は見た。
夜の闇の中、音もなく、白い悪魔―――霜が、畑に舞い降りる光景を。
生まれたばかりの、か弱いホウレンソウの双葉が、その白い息に触れられた途端、まるで、熱湯を浴びたかのように、黒く、ぐにゃりと萎れていく。
瑞々しいダイコンの葉が、氷の結晶に細胞を破壊され、ぱりぱりと、ガラス細工のように砕け散っていく。
そして、夜が明けた時。
かつて、希望の緑に満ちていたはずの畑は、一面、黒く腐り果てた、死の世界へと変貌している。
「―――あ……あああああっ!」
修一は、意味のない叫び声を上げて、椅子から転げ落ちた。
ダメだ。ダメだ。ダメだ。
あんな未来に、させてたまるか。
俺が、みんなで、ようやく、ここまで……。
彼の心は、もはや、恐怖や、罪悪感に支配されてはいなかった。ただ、目の前の絶対的な破滅を回避しなければならないという、本能的な衝動だけが、彼の体を突き動かしていた。
彼は、ジャケットを羽織るのも忘れ、パジャマ代わりのスウェットのまま、玄関を飛び出した。夜の凍てつくような空気が肺を刺す。
彼は、走りながら、ポケットからスマートフォンを取り出し、震える指で、佐々木凛の番号を呼び出した。
「もしもし、田中さ―――」
「佐々木さんっ! ニュース、見ましたか! 霜です! 今夜、霜が降ります!」
凛が、何かを言い終わる前に、修一は、パニック状態で、まくし立てた。
「このままじゃ、全部、やられます! 全部、終わってしまう!」
「え、ええ!? でも、予報では、あくまで、その可能性があるというだけで……」
「可能性があるとか、そういう問題じゃないんです! 来る! 絶対に来ます! 俺には分かるんです!」
彼の、あまりにも必死な鬼気迫る声に、凛は、ただ息を飲む。
修一は、電話の向こうの彼女に叫んでいた。
「今すぐ、畑に来てください! 渡辺さんたちにも連絡を! できるだけ、人を集めてください! お願いします!」
そう言うと、彼は、一方的に通話を切った。
夜のコミュニティ農園。
凛からの緊急連絡を受け、集まったのは、渡辺さん夫妻と、数人の熱心な参加者だけだった。ほとんどの者は、こんな夜中に何を馬鹿な、と、取り合わなかった。
彼らの前に立つ修一は、もはや、いつもの物静かな賢者ではなかった。その目は狂的な光を宿し、髪は乱れている。
「いいですか! 今夜中に、この畑のすべての畝を、ビニールシートで覆います! 急いでください!」
彼は、凛が市の備品倉庫から、かき集めてきた、数枚の巨大なブルーシートを指差した。
「せ、先生……。本気かい?」
渡辺さんが、戸惑いの声を上げる。
「予報が外れるかもしれねえのに……。それに、こんな大きな畑を全部、覆うなんて、無理だ……」
「無理じゃない! やるんです!」
修一が、怒鳴った。
その、あまりにもヒステリックな様に、参加者たちの間に戸惑いと、かすかな不信感が広がる。
農園が荒らされた一件以来、ずっと様子のおかしかったリーダー。彼は、ついに、おかしくなってしまったのではないか。
彼らは、互いに顔を見合わせる。
その、一瞬の躊躇が、彼らの運命を決定づけることになるのを、まだ、誰も、知らなかった。
彼らは、時間という、最も重要な武器を、リーダーへの揺らぎ始めた信頼によって、少しずつ失っていたのだ。
夜空では、星々が、残酷なほど冷たく輝いていた。
白い悪魔の足音が、すぐそこまで迫っていた。




