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賢者の城は六畳間  作者: かわさきはっく


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第47話 空回りの罠

 脳内に響く、仲間たちの声なき声。

『リーダーのくせに、頼りない』

『このままじゃ、ダメになる』

 植物たちが見せる、腐敗と枯死の未来。

 田中修一は、自らが作り出した地獄の幻聴と幻覚に、二十四時間、苛まれていた。眠りは浅く、食事は砂を噛むように味がしない。

 このままでは、自分が壊れてしまう。

 いや、それだけではない。俺が、このまま何もしなければ、あの場所が、みんなの笑顔が、本当に壊れてしまう。


 追い詰められた彼は、ついに、一つの、無謀な結論に達した。

 すべての元凶は、あの男だ。岩田茂。

 彼を、なんとかしなければ。彼に、やめさせなければ。

 もはや、それは、論理的な思考の結果ではなかった。ただ、この苦しみから、一刻も早く解放されたいという、溺れる者の最後のあがきだった。

 修一は、誰にも何も告げず、一人、農園を抜け出した。そして、震える足で、元凶の住む、敵の砦へと向かった。


 岩田茂の家は、彼の記憶通り、古いが、手入れの行き届いた、美しい庭に囲まれていた。その縁側で、岩田は屈みこんで、黙々と鍬の刃を研いでいた。シュッ、シュッ、という、規則的で冷たい金属音が、やけに大きく聞こえる。

 修一は、その庭の入り口で立ち尽くした。

(言うんだ。はっきり言ってやるんだ)

 彼は、心の中で何度も、言うべき言葉を反芻した。

 畑を荒らすのは、やめてください。俺たちの場所を壊さないでください。

 その、たった一言が、喉の奥に、魚の骨のように突き刺さって出てこない。


 彼の気配に気づいたのか、岩田が、ゆっくりと顔を上げた。研ぎ澄まされた刃物のような、冷たい視線が修一を射抜く。

 それは、彼が、人生で何度も、何度も、向けられてきた視線だった。

 倉庫のリーダーの、事務所の課長の、彼の存在価値そのものを否定する、あの目。

 途端に、修一の全身から血の気が引いた。膝が、笑い出す。


「……あ、あの……」

 やっとのことで絞り出した声は、自分でも情けないほど、か細く、震えていた。

「い、岩田さん……。その……畑の、こと、なんですが……」

 岩田は、鍬を研ぐ手を止めない。ただ、値踏みするように、修一を頭のてっぺんから、つま先まで、じろりと眺めた。

 そして、吐き捨てるように言った。

「なんだ腰抜け。まだ、ままごと遊びをやっているのか」

 その、たった一言が、修一の、なけなしの勇気を粉々に打ち砕いた。

「わしに、何か、文句でもあるのかね?」

 岩田は、研ぎ石から、くい、と鍬の刃を持ち上げる。磨き上げられた鋼が、秋の日差しを反射して、きらりと光った。それは、ただの農具だ。だが、今の修一には、振り下ろされる直前の、ギロチンの刃のように見えた。


「―――っ! いえっ!」

 彼は、ほとんど悲鳴のような裏声を上げた。

「な、なんでも……ありません! すみません! お邪魔しました!」

 頭が真っ白だった。何を言っているのか、自分でも分からない。

 彼は、ただ、その場から逃げ出したかった。岩田に、一方的に深々と頭を下げると、彼は踵を返し、もつれる足で走り出した。

 背後から、岩田の、低く、腹の底から響くような、せせら笑いが聞こえた。

「フン。用がないなら、うろちょろするな。目障りだ」


 どれだけ走っただろうか。

 アパートの自室に転がり込み、鍵をかけた途端、修一は、その場に崩れ落ちた。

 全身が、屈辱と自己嫌悪で、わなわなと震えていた。

 情けない。

 情けない。

 情けない。

 なぜ、何も言えなかった。なぜ、また逃げ出した。

 結局、俺は何も変わっていないじゃないか。

 賢者? リーダー? 笑わせるな。俺は、ただの臆病で、無力で、何の価値もない、中年男だ。

 あの男の言う通りだ。俺は腰抜けだ。


 彼の起死回生を賭けた、捨て身の直談判。

 その空回りは、彼に、再起不能に近いほどの深いダメージを与えていた。

 城に逃げ帰った賢者は、もはや、立ち上がる力さえ、残されてはいなかった。

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