第43話 岩田の理屈
その日の夜。
岩田茂は、自宅の縁側で、一人、手酌で酒を飲んでいた。ガラス戸の向こうには、月明かりに照らされたコミュニティ農園が、静かに横たわっている。
日中、あの場所で繰り広げられたであろう、右往左往の騒ぎ。それを思い出し、岩田は、口の端に歪んだ笑みを浮かべた。
罪悪感など、ひとかけらもなかった。
彼にとって、あの行為は「破壊工作」などではない。あれは、いわば、農家にとって当たり前の作業―――「間引き」だった。
たくさんの種を蒔き、芽が出た中から、弱々しいものや、育ちの悪いものを、あえて引っこ抜く。そうすることで、残された強い芽に、栄養と生きるための場所を与える。それが、間引きだ。
岩田は、あの、お祭り騒ぎの連中も、それと同じだと考えていた。
楽しそうだ、自分もやってみたい。そんな、生半可な気持ちで集まってきた、ただの烏合の衆。あんな連中が、この土地で本気で作物を育てられるはずがない。
だから、教えてやったのだ。
ほんの少しの悪意や、不運で、お前たちのやっている「ごっこ遊び」など、いとも容易く壊れてしまうのだ、と。
あの程度のことで心が折れるような「弱い芽」は、最初から、この畑にいる資格などない。それが、岩田の理屈だった。
「……土を、なめるな」
ぽつりと独り言が漏れた。
彼は酒の入ったグラスを置き、ごつごつと節くれだった自分の手のひらを見つめた。
何十年も鍬を握り、土に触れてきた手だ。夏の炎天下も、冬の凍てつく寒さも、この手で乗り越えてきた。台風で、丹精込めて育てた作物が、一夜にして全滅したこともある。害虫の異常発生で、収穫がゼロになった年もあった。
作物を育てるということは戦いだ。常に、自然の気まぐれと、人間の慢心との、終わりなき戦いなのだ。
それなのに、あの連中は、どうだ。
リーダーだか何だか知らないが、あの、田中修一とかいう、ひょろりとした男。昨日、自分が少し睨みつけてやっただけで、何も言い返せずに、ただ震えていた、あの腰抜け。
あんな男に率いられた連中が、あの土地で、一体、何を守れるというのか。
岩田の脳裏に、あの土地が、まだ、自分の畑だった頃の光景が蘇る。
朝早くから、日が暮れるまで、汗水流して働いた。収穫の時期には家族総出で、笑い声が絶えなかった。土は、いつだって、かけた愛情に正直に応えてくれた。
その後継ぎもおらず、自分の代で、あの豊かな畑を手放さねばならなかった時の断腸の思い。
あの土地は、もっと、敬意を払われるべき場所なのだ。素人が、キャアキャアと騒ぎながら、遊び半分で踏み荒らしていい、場所ではない。
岩田は残っていた酒を、ぐいっと一気に飲み干した。
今日の騒ぎを見るに、まだ、何人かは諦めていないようだった。
(……まあ、よかろう)
彼が心の中で呟く。
最初の「授業」は終わった。だが、奴らが、本当の意味で、土の厳しさを理解するまで、彼の試練は、まだ、終わらせるつもりはなかった。
本物の農家が、素人たちに与える、最後の、そして、最も厳しい「教育」が、これから始まろうとしていた。




