第41話 最初の破壊工作
十一月も半ばを過ぎた、土曜日の朝。
秋晴れの空の下、コミュニティ農園は、穏やかで、希望に満ちた空気に包まれていた。参加者たちの手によって蒔かれた種は、見事にその期待に応え、黒々とした畝の上には、可愛らしい緑色の双葉が、きれいな列をなして顔を覗かせている。
「見てください、凛さん! うちのホウレンソウ、こんなに大きくなりましたよ!」
佐藤さんが、息子の健太君と、小さな双葉を、愛おしそうに指差している。
「本当ですね! すごいなあ」
凛も、心からの笑顔で応える。
田中修一は、その光景を、少し離れた場所から、温かい気持ちで眺めていた。あの、胸騒ぎがした日から、二週間。岩田茂は、一度も、姿を見せていない。考えすぎだったのかもしれない。この平穏は、まだ、続くのかもしれない。
そんな、淡い期待を抱き始めた、その時だった。
「―――な、なんだあこりゃあっ!!」
畑の向こうから、渡辺さんの、怒声とも悲鳴ともつかない、けたたましい声が響き渡った。
その場にいた全員が、ぎょっとして、声のした方へと駆け寄る。
そこには、言葉を失って立ち尽くす、渡辺さんの姿があった。そして、彼の足元に広がる光景に、誰もが息を飲んだ。
渡辺さんが、孫のように、大切に育てていたダイコンの区画。
その、きれいに列をなしていたはずの双葉が、めちゃくちゃに荒らされていたのだ。
まだ、か細い芽は、いくつも、土から引っこ抜かれ、白い根を天に向けて、力なく横たわっている。まだらに残った芽も、何者かの足によって、無残に踏みつけられ、泥に汚れた緑色の染みと化していた。
それは、まるで、生まれたばかりの赤子が無残に殺されたかのような、悪意に満ちた陰湿な光景だった。
「ひどい……。誰が、こんなことを……」
凛が、震える声で呟く。
「カラスか? いや、それにしては、やり方が……」
「近所のガキの、いたずらかもしれねえな!」
参加者たちは、口々に、犯人の姿なき犯行を罵った。皆、怒りと悲しみと、そして、得体の知れない恐怖で混乱していた。
だが、修一だけは違った。
彼は、その無残な光景を、冷たい、そして、どこか諦めたような目で見つめていた。
(……始まった)
彼の心に声が響く。
カラスでも、子供のいたずらでもない。彼には分かっていた。
これは、宣戦布告だ。
あの男、岩田茂からの最初の攻撃。
言葉による脅しが通用しないと分かった彼が、次なる段階へと行動を移したのだ。
「田中さん……?」
凛が、青ざめた顔で、修一の反応を窺っている。
修一は、何も言えなかった。ここで、「犯人は、岩田さんです」などと、何の証拠もなく言えるはずがない。言ったところで、事態がややこしくなるだけだ。
彼は、ただ、無言で、荒らされた区画に足を踏み入れると、泥の中にうずくまり、踏みにじられた双葉を、そっと指で拾い上げた。
それは、あまりにも小さく、そして冷たかった。
あの胸騒ぎは正しかったのだ。
賢者の城の外に広がった、このささやかな王国は、今、確かに、敵の侵略を受け始めた。
そして、その敵の正体を、この中で、ただ一人、自分だけが知っている。
その事実は、修一の肩に、ずしりと重くのしかかっていた。
これは事故ではない。明確な悪意による破壊工作なのだ。
平穏な日々は、今日、終わりを告げた。




