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賢者の城は六畳間  作者: かわさきはっく


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第4話 初収穫と母のポテンシャル

 あの日を境に、田中修一の生活はほんの少しだけ変わった。

 彼が自室のモニターの前に座る時間は確実に減っていた。代わりに、人生で最も多くの時間をベランダで過ごすようになっていた。


 彼の能力――自称『リアル育成ゲーム・攻略ナビ』は絶大な効果を発揮した。

 ミニトマトには追肥のタイミングと量を、ハーブには剪定すべき枝の位置を、新しく買ってきたキュウリの苗には支柱を立てる最適な角度まで、彼の頭脳は的確な「攻略情報」を弾き出す。修一はそれに従って、ただ黙々と手を動かした。土を入れ替え、水をやり、脇芽を摘む。その一つ一つの作業が不思議と苦ではなかった。ゲームのデイリークエストをこなすような感覚で、彼は小さな菜園の世話に没頭した。


 何日もしないうちに、彼のベランダは信じられないほどの生命力で満ち溢れていた。

 以前のひょろりとした姿が嘘のように、ミニトマトの苗は青々とした葉を茂らせ、その枝には宝石のような真っ赤な実が鈴なりになっていた。ハーブは豊かな香りを放ち、キュウリは力強い蔓を伸ばしている。六畳間の薄暗い城主だった男が作ったとは思えない、輝かしい成果だった。


 その日の朝、修一は、ひときわ大きく熟したミニトマトを数個、そっと収穫した。太陽の光を浴びて、つやつやと輝く小さな赤い球体。それは、彼がこの半年間で、唯一、現実世界で生み出した価値のあるものだった。

 彼はそれを小さな皿に乗せると、深呼吸を一つして、リビングへと向かった。心臓が少しだけ速く脈打っている。


 食卓では、母・春子が朝の連続テレビ小説を見ていた。修一は、そのテーブルの隅に、ことりと皿を置いた。

「……これ」

 声が妙にうわずった。

「……できたから」

 春子はゆっくりとテレビから視線を外し、皿の上のミニトマトを見た。そして、息子の顔を見た。その目には驚きの色が浮かんでいる。

「……まあ」

 春子は一つ、トマトを手に取ると、まじまじと眺めた。スーパーで売っているものと遜色ない、見事な出来栄えだった。彼女はそれを、ぱくりと一口で口に入れる。

 修一は固唾を飲んで母の反応を待った。まずいと言われたらどうしよう。無関心を装われたらどうしよう。不安が胸をよぎる。

 春子は、ゆっくりと数回、トマトを咀嚼した。そして、ふわりと、本当に久しぶりに、修一に向けて笑ったのだ。


「……美味しいね。甘くて、美味しいよ」


 その瞬間。

 修一の頭の中に、これまでとは全く質の違う、鮮烈な情報が流れ込んできた。

 植物に向けた時のような無機質なデータではない。もっと温かく、切実で、胸を締め付けるような、魂の願い。


【対象:田中 春子】

【状態:安堵、喜び】

【根源的ポテンシャル(最優先願望):息子の元気な姿が見たい】


「―――っ!」

 修一は息を飲んだ。

 そうだったのか。母さんの溜息も、沈黙も、呆れていたわけじゃなかった。ただ、ひたすらに、息子の身を案じてくれていただけだったのか。うつむいて、部屋に閉じこもる俺の姿を見るのが辛かっただけなのか。

 53年間、ずっと向けられてきたであろう、その愛情の深さと本当の意味に、彼は初めて気づいた。


「そうか……よかった」

 修一がようやく絞り出した声は涙で震えていた。

 春子は息子の変化に気づいたのか、何も言わず、もう一つトマトを口に運ぶと、優しく微笑んだ。

 気まずい沈黙が支配していた食卓に、温かい何かが、ゆっくりと満ちていく。


 修一は自分の手のひらを見つめた。

 ご先祖様が授けてくれたこの力は、ただ植物を育てるだけの能力ではないのかもしれない。

 滅亡するはずだった俺の人生を、根っこの部分から、もう一度、育て直すための力なのかもしれない。

 彼は生まれて初めて、自分の未来に、ほんのわずかな光が差したような気がした。

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