第38話 畑の設計図
十一月に入り、コミュニティ農園は、いよいよ本格的な作付けの季節を迎えていた。
台風の試練を乗り越え、参加者たちの団結力は最高潮に達している。開墾作業は、ほぼ完了した。彼らの目の前には雑草一本ない、黒々とした土が広がり、あとは命の種を蒔くだけとなっていた。
だが問題は、ここからだった。
「さて、先生。いよいよ種まきだが、何から始めりゃいいんだい?」
週末の朝礼で、すっかり現場監督が板についた渡辺さんが、全員を代表して修一に尋ねた。
参加者は、今や二十人近くにまで増えている。その、期待に満ちた視線が一斉に修一に突き刺さり、彼は思わず、たじろいだ。
彼らは、土を耕すことはできても、その先に何を、どう植えればいいのか、ほとんどの者が素人だった。
「ホウレンソウは、いつ蒔くのがいいのかしら」
「ダイコンって、どのくらい、間をあけて植えるの?」
あちこちから、不安げな声が上がる。このままでは、せっかく作り上げた最高の畑も、宝の持ち腐れになってしまう。
佐々木凛も、心配そうな顔で修一を見つめていた。彼女が用意できるのは、市の予算で買い揃えた、ホウレンソウ、コマツナ、ダイコンといった、秋冬野菜の種だけだ。その種を、どうすれば、畑という舞台で、見事に開花させることができるのか。
その答えを知っているのは、この中で、ただ一人しかいない。
「……皆さん」
全員の視線が集中する中、修一は、ゴクリと唾を飲み込むと、おもむろに、一冊の真新しいノートを取り出した。
これまで、彼が一人で書き溜めてきた『攻略マニュアル』ではない。それは、この日のために、彼が何日もかけて準備してきたものだった。
彼は、そのノートのページを、一枚、また一枚と、丁寧に破り始めた。そして、その破ったページを参加者たち一人一人に配って歩く。
「……これは?」
渡辺さんが、受け取った紙を不思議そうに眺めた。
それは、手書きのコピーだった。だが、そこに書かれていたのは、単なるメモではない。
まず、農園全体の美しい地図が描かれている。そして、各区画ごとに、植えるべき野菜の名前が、はっきりと記されていた。
それだけではない。
【A-2区画:ホウレンソウ担当】
・畝の幅:60cm
・種まき方法:深さ1cmの溝を2本作る(すじ蒔き)
・種の間隔:1~2cm
・注意点:種を蒔いた後、土をかけすぎないこと。軽く手で押さえる程度でOK。
【B-4区画:ダイコン担当】
・畝の幅:70cm
・種まき方法:株間(間隔)30cmを確保。一箇所に4~5粒ずつ蒔く(点蒔き)
・注意点:ダイコンは、根がまっすぐ伸びることが重要。土の中に、石が残っていないか、最後にもう一度、よく確認すること。
区画ごとに、担当する野菜、畝の幅、種の蒔き方、注意点といった情報が、誰が読んでも分かるように、簡潔で、丁寧な言葉で記されていた。まるで、プロが作った、完璧な作業指示書だった。
凛は、自分が受け取った紙を、震える手で見つめていた。そこには、彼女の担当であるコマツナの育て方が、美しいイラスト付きで描かれていた。
この人は、いつの間に、こんなものを……。
彼女は、修一の、その底知れない準備と、仲間たちへの深い配慮に、胸が熱くなるのを感じた。
「すげえ……」
誰かが感嘆の声を漏らした。
「これなら、わしらみたいな素人でも、間違えようがねえや」
「まるで、畑の設計図だわ」
参加者たちの顔に、不安の色は、もうなかった。代わりに、明確な目標を与えられた時の、明るい興奮と、高揚感が満ち溢れていた。
修一は、全員に設計図を配り終えると、いつものように、少し離れた場所で、照れくさそうに地面を見つめていた。
「……皆さん、自分の担当区画は分かりましたか」
彼の、小さな、しかし、よく通る声が畑に響いた。
「それでは……今日のクエストは、種まきです。始めましょう」
その言葉を合図に、参加者たちは、一斉に、それぞれの持ち場へと散っていった。
それは、もはや、烏合の衆の、素人の集まりではなかった。
一人の、類まれなる賢者が作り上げた、完璧な設計図の下、それぞれの役割を理解し、同じ目標に向かって進む、熟練の職人集団のようだった。
彼らの手によって、最初の命の種が、約束の大地へと蒔かれていった。




