第33話 最初の妨害
岩田茂が去ってから数日が経った、次の週末。
コミュニティ農園には、いつも通りの時間に、いつもの仲間たちが集まっていた。だが、そこに漂う空気は、以前とは、まるで違っていた。活気はなく、皆、どこか手持ち無沙汰に互いの顔色を窺っている。
理由は、一つ。
彼らの司令塔であるはずの、田中修一の姿が、そこになかったからだ。
「……田中さん、風邪でもひいたのかしら」
佐藤さん親子が心配そうに呟く。
「ふん、あの爺さんに何か言われて、怖気づいたんじゃねえのか」
渡辺さんが、ぶっきらぼうに、しかし、その声には、かすかな不安が滲んでいた。
「皆さん! とにかく作業を始めましょう!」
佐々木凛は、必死に明るい声を出して、その場の空気を変えようとした。彼女の手には、修一が作った、あの『攻略マニュアル』が握られている。
「大丈夫です! この設計図さえあれば、私達だけでも進められます!」
凛は、マニュアルを読み上げ、参加者たちに指示を出す。だが、その声は、どこか自信なさげに震えていた。彼女は、そこに書かれた「何をすべきか」は理解できても、「なぜ、そうすべきか」という、本質までは理解できていない。
参加者からの、「この土は、もう少し深く耕すべきでは?」といった、アドリブの質問に、彼女は、しどろもどろになるばかりだった。
指導者を失ったパーティーは、完全に統率を欠いていた。作業は遅々として進まず、参加者たちの額には焦りの汗が滲み始めていた。
その、淀んだ空気を見計らったかのように、男は現れた。
岩田茂だ。
彼は前回のように、遠くから眺めているだけではなかった。彼は休憩を取っていた渡辺さん夫妻の元へ、ずかずかと近づいていった。
「よう、精が出るな、ご老人たち」
その、人を食ったような言い方に、渡辺さんは、むっとした顔でそっぽを向く。
岩田は、そんな彼の様子を愉快そうに眺めながら、わざとらしく、辺りを見回した。
「おや? あの、物知り顔の先生は、どうしたんだい。まさかとは思うが……」
彼は意地の悪い笑みを浮かべた。
「ほら見ろ、リーダーが逃げ出したぞ」
その言葉に渡辺さんの顔色が変わった。
「なっ……! 田中先生は、ただ、具合が悪いだけだ!」
「ふん、どうだかな。まあ、無理もない。素人に本物の土仕事の厳しさが分かるもんか」
岩田は同情するような素振りで、肩をすくめてみせた。そして、その視線を渡辺さんから、周囲のお年寄りたちへと移す。
「しかし、あんたたちも気の毒なこった。市役所の、あの若い嬢ちゃんにうまいこと乗せられて……。結局は、あんたたち年寄りが、いいように、ただ働きさせられてるだけなんじゃないのかねえ」
その言葉は、じわりじわりと広がる、遅効性の毒薬だった。
参加者たちの間に、これまでなかった、疑心暗鬼の空気が生まれる。自分たちのやっていることは本当に意味があるのだろうか。あの田中という男は、本当に、またここへ戻ってくるのだろうか。凛という、若いだけの市役所職員の、自己満足に付き合わされているだけではないのか。
岩田の言葉が、皆の心に、巧みに、ささくれを立てていく。
「―――やめてください!」
その空気を断ち切ったのは、凛の悲痛な叫びだった。
「私達の活動を馬鹿にしないでください! 田中さんは体調が悪いだけで、絶対に戻ってきます!」
凛は、岩田の前に立ちはだかり、震える体で彼を睨みつけた。
だが、岩田は、そんな彼女の必死の抵抗を鼻で笑い飛ばした。
「せいぜい頑張るんだな。嬢ちゃん」
彼は、それだけを言い残すと、目的は果たしたとばかりに、悠然と背を向けて去っていった。
岩田が去った後、農園には修復不可能なほどの、気まずい空気が残されていた。
「……今日は、もう、これくらいにするか」
渡辺さんが、ぽつりと呟くと、それを合図にしたかのように、参加者たちは、一人、また一人と、道具を置いて家路についてしまった。
あっという間に、がらんどうになった畑。
凛は、その真ん中で、たった一人、立ち尽くしていた。
計画が、内側から崩されていく。自分の無力さが、悔しくて、情けなくて、涙がこぼれそうになる。
この状況をひっくり返せる人間は、もう、一人しかいない。
凛は、唇を強く噛み締めると、ある場所を決意のこもった目で見つめた。
賢者の城がそびえ立つ、あの古いアパート。
彼女の最後の希望がそこにあった。




