表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
賢者の城は六畳間  作者: かわさきはっく


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

22/80

第22話 賢者の籠城

 バタン、と乱暴にドアを閉め、修一は鍵をかけた。カチャリという金属音が、外界との断絶を告げる。彼は、そのままドアに背中を預け、ずるずるとその場に座り込んだ。

「はあっ、はあっ……」

 肩で息をする。心臓が肋骨の内側で暴れ馬のように跳ねていた。

 なんだ、今のは。あの女性は、一体、何だったんだ。

 アドバイザー? コミュニティ農園? 冗談じゃない。俺は、あんな……あんな大勢の知らない人間たちの前に立てるわけがない。失敗する。絶対に、また失敗する。かつての職場で浴びせられた、「使えない奴だ」という罵声が、幻聴のように耳の奥で蘇った。


 ここは俺の城だ。誰にも侵されない、安全な六畳間の聖域。

 そうだ、城に逃げ帰ってきたんだ。もう大丈夫だ。

 修一は自分にそう言い聞かせると、おぼつかない足取りでパソコンデスクに向かい、震える手で電源を入れた。

 逃げよう。いつもの世界へ。賢者シュウとして、仲間たちが待つ、あの完璧な世界へ。


 ファンが唸りを上げ、モニターに光が灯る。見慣れたログイン画面、軽快な起動音。それは、彼の心を落ち着かせるための、一種の儀式だった。すぐに、オンラインゲームの世界が彼の目の前に広がった。

『シュウさん、おかえりなさい!』

『賢者様、お待ちしておりました!』

 ログインと同時に、仲間からのチャットが飛んでくる。ここでは、誰も彼を無能だなどと罵らない。誰もが彼を尊敬し、その的確な指示を待っている。

「ああ、ただいま」

 彼はキーボードを叩きながら、無理やり意識をゲームへと集中させた。ちょうど、ギルドで高難易度ダンジョンの攻略会議が始まるところだった。

『敵の第二形態は広範囲のデバフを使ってくる。後衛は聖水と万能薬を多めに準備してくれ』

 いつも通り、彼は冷静に指示を飛ばす。だが、その頭の片隅で、先ほどの佐々木凛の、切実な声が何度も再生されていた。

『このままでは私の夢が、ただの紙くずになってしまうんです』


「―――シュウさん? どうかしました?」

 仲間の声で、はっと我に返る。いつの間にか彼の思考は完全にフリーズしていた。チャットウィンドウには仲間たちの心配する言葉が並んでいる。

「……いや、すまん。少し、ボーッとしていた」

 彼はそう返したが、もはや手遅れだった。一度現実に戻された意識は、もうファンタジーの世界に没入してはくれない。画面の中で繰り広げられる華麗な魔法や剣技が、ひどく空虚な、ただのデータと光の明滅にしか見えなくなっていた。

 仲間たちが熱心に語る、ダンジョン攻略のための「連携」や「役割分担」。その言葉の一つ一つが、あの「コミュニティ農園」という言葉に、勝手に脳内で変換されてしまう。


「すまん。今日は落ちる」

 仲間たちの引き留める声も耳に入らなかった。彼は、一方的にログアウトすると、パソコンの電源を落とした。

 ファンが止まり、訪れた完全な静寂。

 その静寂の中で、机の上に置かれた一冊のファイルが、圧倒的な存在感を放っていた。

『にこにこふれあいコミュニティ農園計画』。

 彼が、半ばひったくるようにして受け取ってしまった置き土産。

 それは、まるで異世界から持ち込まれた呪いのアイテムのように、彼の聖域を静かに蝕んでいた。


 修一は、そのファイルから目をそらすように、ベッドに倒れ込んだ。

 忘れよう。今日のことは悪い夢だったんだ。俺にはベランダと、アパートの花壇がある。ようやく手に入れた、穏やかで小さな領地が。それで十分じゃないか。

 だが、一度知ってしまった。自分の力が、もっと大きな何かを成し遂げられるかもしれないという可能性を。そして、その力を心の底から必要としている人間がいるという事実を。

 もう以前の、ただ満ち足りただけの平穏には戻れない。


 恐怖と責任。そして、心の奥底で、ちろちろと燃える、無視できない期待の炎。

 進むのは地獄。戻るのも、もう楽園ではない。

 賢者の城の中で、賢者は、たった一人、出口のない葛藤に包囲されていた。

 その長い夜は、まだ始まったばかりだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ