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賢者の城は六畳間  作者: かわさきはっく


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第13話 公式管理人と半年ぶりの給料袋

 田中修一の喉はカラカラに乾ききっていた。

 目の前に立つ大家の小田さんの厳しい視線が、彼の全身に突き刺さる。階下の花壇、あんたの仕業かね? その問いは、有罪判決を待つ被告人のように、修一の頭の中で反響していた。嘘はつけない。だが、肯定すれば、何を言われるか分からなかった。


 長い、針が落ちる音さえ聞こえそうな沈黙の後、修一は、かろうじて声を絞り出した。

「……はい。……俺が、やりました」

 彼は叱責を覚悟して、ぎゅっと目を閉じた。すみません、勝手なことをして。原状復帰しますから。そんな謝罪の言葉が喉元まで出かかっていた。


 しかし、予期していた怒声は、いつまで経っても降ってこなかった。

 代わって聞こえてきたのは、感心したような、深い溜息だった。

「……ほう。見事なもんだ」

 修一が、おそるおそる目を開けると、そこにいたのは、厳しい顔の刑事ではなく、腕を組んで満足げに頷いている、一人の老人の姿だった。

「わしがこのアパートを建てて三十年になるがね。あの花壇が、あんなに綺麗になったのは初めてだ。あんた、大した腕を持ってるじゃないか」


 予想外の言葉に、修一はただ、呆然と立ち尽くす。

 小田さんは、どこか遠い目をして続けた。

「わしももう歳でね。建物の管理だけで手一杯で、庭のことまで手が回らんかった。本当は、ちゃんとした庭師に頼もうかとも考えたんだが、金もかかるし、なかなか良い人が見つからなくてな」

 そこで、小田さんは、再び修一の目をまっすぐに見た。

「田中さん。もし、あんたさえよければなんだが……。これからも、このアパートの管理人として、あの花壇の世話を正式に頼めないだろうか」


「……へ?」

 管理人。依頼。言葉の意味が、うまく頭の中で結びつかない。

 修一が混乱していると、小田さんは、作業着のポケットから、一枚の何の変哲もない茶封筒を取り出した。

「もちろん、タダでとは言わんよ」

 そう言って、その封筒を修一の手に握らせる。

「管理費だ。大した額じゃないが、苗や肥料の足しにしてくれ。それと、あんたへの感謝の気持ちだ」


 茶封筒。

 その、ざらりとした感触と、中に入っている紙幣のかすかな厚み。

 修一の手が微かに震えた。

 半年ぶりだった。自分の労働の対価として、お金を貰うのは。

 この半年間、彼は母の年金という、一方的な優しさだけで生きてきた。それは彼のプライドを少しずつ確実に削り取っていく、底なし沼のような日々だった。

 だが、この封筒は違う。

 これは、俺が自分の力で。夜中に泥だらけになって、汗を流して働いて手に入れたお金だ。

 滅亡するだけだと思っていた俺が、この社会で、まだ価値を生み出せるという何よりの証明。

 胸の奥から熱いものがこみ上げてくる。視界が滲んで歪んだ。


「……あ……ありがとうございます……」

 修一は、ほとんど声にならない声で礼を言うと、その場で深々と、腰が九十度に折れるほど頭を下げた。


 小田さんが満足げに帰っていった後も、修一はしばらく、玄関で立ち尽くしていた。

 彼は震える指で、そっと封筒を開ける。中には丁寧に三つ折りにされた一万円札が一枚、入っていた。

 たった一枚の紙幣。だが、今の彼にとって、それは、どんな大金よりも重く、そして温かい価値を持っていた。

 彼は、その一万円札を、まるで大切な宝物のように、両手でそっと握りしめた。


 もう、俺は、ただの無職の引きこもりではない。

 このアパートの花壇の、公式管理人なのだ。

 修一は、机の上に広げた『攻略マニュアル』に目をやった。彼の胸に新たな使命感という名の火が静かに灯ろうとしていた。

 このお金で、もっと良い土を買おう。そして、もっとたくさんの種類の花の苗を買いに行こう。

 彼の頭の中には、秋の花壇を彩る、新しいクエストの計画が、すでに始まっていた。

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