大公、お忍びを楽しむ
「はぁ、はぁ……す、凄い斬れ味だ。これで失敗作だとは。クックックッ」
人を斬ったというのに、男の持つ刀には血の一滴も付着していない。
男は不敵な笑みを浮かべながら、夜の闇へと姿を消した――
東方の国から、このインガ公国に流れ着いた鍛冶屋の噂は、公都の剣士達の間で酒の肴になっていた。
クミナス神王国の製鉄法とは全く異なる方法で作られる剣の切れ味は凄まじく、四人の人間を重ねて、真っ二つに、当に一刀両断できるほどなのだとか。
「四人を一遍に斬れる剣なんてあるわけねえだろ。なあラウルのアニキ」
「ヨタロ……お前さんまで噂の鍛冶屋の話か」
「そりゃあ、俺だって剣士の端くれよ。そんな剣があるなら欲しいってもんですわ」
だらしのない服装をした平民のチンピラのヨタロも、最近では毎日のように鍛冶屋の話をしている。
「そろそろ閉店ですよ、ラウルさん、ヨタロさん」
公都の片隅にある小さな食堂――小太り食堂。父娘で営むこの店は連日、庶民たちで賑わっていた。
ヨタロの分までの払いを済ませて店を出る。
「ラウルのアニキ、今日もごちそうさまでした。えへへ」
一応、準貴族である騎士家の倅の俺が、平民のヨタロの分を払うのは、しょうがないことだ。
ヨタロは数回浅く会釈をすると、千鳥足を不器用に進めながら彼の家がある貧民街へと消えていった。
公都のはずれにある、私営の剣術指南所を営む騎士爵のソディア家。その倅がラウル・ソディア、我である。継承権の無い騎士爵の倅である我は、体裁こそ貴族扱いされるが、一般人とさほど変わらない。
「ふう。我も帰るとするか」
我が帰る場所は、公都のはずれにある剣術指南所。ではなくインガ公国の大公宮殿。
なぜならば、騎士爵家の倅、ラウルとは世を忍ぶ仮の姿。我の正体は大公マディンなのである。
大公の地位を継いで五年、政務に追われる日々に辟易としていた。
我はそんなある日、太子であった頃にお忍び訪れた公都へと出かけてみた。
民のフリをして買い物をし、街を歩き、酒を飲んだ。
これがなんとも愉快で心が踊ったのだ。
以来、我は週の三割は騎士爵の倅という設定の身分に扮し公都で息抜きをしているのだ。
インガ公国はこのクミナス神王国の政治と軍事を担っている。
大公である我の日々の政務は、元老院、貴族院たちから上がってくる新法案のチェック、隣国の軍事情報の収集から軍隊の人事、配置に至るまで多岐にわたる。
そして膨大な量だ。
「だぁぁ! つまらん! 早く公都でお忍びしたいぞ。爺! 爺!」
「はい大公殿下、爺が参りましたぞ」
爺――元、元老院で我の家庭教師であった大貴族。
我が世を忍ぶ仮の姿、ラウル・ソディアの父役――ジク・ソディアも爺が担っている。
「とりあえずの決裁をしていただいたら、街へ降りましょうぞ」
爺の励ましの言葉でモチベーションを上げる。
彼こそ真なる我のメンターであった。
趣味であるお忍びをうまく立ち回れるように、騎士爵の倅という身分を用意してくれたのも爺だ。
公都に降りる際に、いつも共をしてくれるのは、彼自身も民の暮らしを楽しんでいるからだろう。
さて、今週の政務も粗方やっつけた。うずうずと胸に渦巻くストレスを、やっと開放できるというものだ。
鏡面に立ち冠を外す。整えられた髪を両手でかき乱し着替える。
お忍びスタイルへと変身が完了すると、爺と共に大公宮殿の裏口から抜け出すのであった。
昼下がり、ソディア剣術指南所には指南役代理として任せているアロンが、門下生たちに稽古をつけていた。
我がお忍びを始めた四年前、体裁を整えるためだけの剣術指南所の門を叩いたのが、このアロンである。
もちろん開店休業を目的としていたので断ったのだが、毎日門の前に立っているアロンに根負けして剣術を教えるようになった。
大公家に代々伝わる秘剣術を簡単にし、適当に名付けたソディア流闘剣術。
アロンは剣の才があったのだろう。
メキメキと実力をつけ、我が不在の時は指南役を任せている。
しかし、この剣術指南所、思いの外評判が良くてな。
貴族の門下生は一人も居ないが、今では公都に数ある私営指南所の中でも名門と呼ばれつつある。
「あ、大旦那様、ラウル師範。おかえりなさいませ。皆も挨拶しなさい」
「「「おかえりなさいませ」」」
一般平民とさほど変わらない我にまで礼儀正しく挨拶をするなんて。
やはり気持ちが良いな武道というのは。
「アロン君、なんだか門下生が増えてない?」
「ええ、今週どこのならず者かわかりませんが、人斬りの被害が増えまして」
「え? そうなの? 物騒だなぁ」
「護身のために入門希望者が増えたんですよ」
それにしても公都で人斬りとは度し難い。
治安を守る騎士庁は何をやっておるのだ。しかも我に報告が上がってきていないとは。
次の議会で激詰めしてやるか。
稽古が終わり、門下生は三々五々に指南所を出ていく。
「よし、爺。今日は一緒に飯でも食おう」
「はい! 大公様。いつもの〝小太り食堂〟ですな」
「ああ」
我が贔屓にしている小太り食堂。
今日も小太りの店主と娘が出迎えてくれる。
「あ、ラウルのアニキ〜! と、アニキのお父さん。こんばんわっす」
チンピラのヨタロがすでに良い感じに仕上がっていた。
我と爺が小太り定食の看板メニューである豚カツを待つ間に、キンキンに冷えたラガーを喉に流し込む。
普段飲む高価な葡萄酒も良いけれど、稽古で汗を流したあとのラガーというのは格別の極みだ。
「テスちゃん、ラガーのおかわりをくれ。爺……父上は何を飲みますか?」
「そうじゃな、米酒を冷でくれんかの」
危ない危ない。ついいつものクセで爺と呼んでしまいそうになる。
店の娘、テスは満面の笑みで酒を運んでくる。いつも明るくて素直で、本当に良い娘だな。
ガラガラッ――
店の引き戸が開き貴族らしき若者が三人、ふてぶてしい態度で座りテーブルの上に足を組む。
「おい、女! ラガー持って来い」
実に横柄な態度だが、平民が貴族に歯向かうことなんてできないのが、この国の身分制度だ。
「チッ、アイツらまた来やがった」
先ほどまでご機嫌だったヨタロが、不機嫌そうに舌打ちをする。
「おい、平民。今、舌打ちしただろ? ああ?」
三人の貴族が立ち上がりヨタロに詰め寄ると、ヨタロは苦虫を噛み潰したような顔をする。
「……い、いえ。舌打ちではなくってですね」
「不敬罪だな。おい、表に連れって斬っちまおうぜ」
不敬罪――平民が貴族に対して侮辱的行為をした場合、貴族当人の判断で処罰して良い。あとで、騎士庁に処罰した平民の身分札と書面を提出するだけという、言わば貴族特権である。
「待ってくださいな、お兄さんたち。舌打ちだけでは不敬罪にはならんでしょう」
ヨタロと貴族の間に割って入る。
不敬罪にでっち上げることはできるだろうけど、我のことをアニキと慕っていくヨタロを見捨てるわけにはいかないしな。
「あ? お前、身なりが良いな。貴族か?」
貴族たちは我の腰帯から下げた身分札を覗き込む。
「騎士爵ソディア家のラウル?……なんだよ、準貴族の息子じゃねぇか。よく見たら、帯刀してるの木剣だし」
「ハッハッハッハッ、俺たち男爵家だぞ? お前も一緒に斬ってやろうか?」
自分たちの身分札を我の眼の前に掲げる貴族ども。
我が公国の貴族にこんな奴らが居ようとはな。まったく。
「よし、俺たちが教育してやる。表に出ろ」
貴族たちが我の襟を掴み、店の外へと連れ出そうとする。
「ま、待て、お前たち! 大こ……ラウル!」
「大丈夫ですよ、父上。ヨタロと米酒を楽しんでいてください」
店の裏路地。魔導灯の青い灯りが、貴族たちの抜いた剣の刃に反射する。
「木剣で真剣の俺たちの相手をしようなんて馬鹿な奴だな」
自信満々な貴族たちのプライドは、次の瞬間ずたずたに叩きのめされることになる。
それはそうだろう。我は国の軍事を預かる大公なのだ。
代々は伝わる我の秘剣術を前では、軍を統べる大将軍ですら赤子扱いなのだから。
国の法で貴族以外は、当代の騎士爵を除いて帯刀が許されていない。
設定上、我は真剣の帯刀ができないから木剣なのだが。
我の剣術を相手に、真剣だ木剣だというのは問題ではない。
打ちのめされて気絶する三人の貴族たちを、道の端へと転がし小太り食堂へと戻る。
「アニキ、無事でしたか?」
「ああ、ちょっとお灸を据えて来たよ」
「さすがアニキ、伊達に指南所の師範じゃないぜ! で、でも、相手は男爵家ですぜ? 後で大事になるんじゃ」
「ああ、大丈夫大丈夫。なんとかなるさ。さて、飲み直そう。テスちゃん、ラガーおかわり!」
しかし、この日の出来事は事件の始まりに過ぎなかったのだ。
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