26 孤児院訪問
「疲れたわ……」
傍で控えていたヴァルにだけ聞こえるような小声で、つい零してしまう。
今はもう自室に戻ってきていた。
ようやくホッと一息つけ、つい弱音を吐いてしまったようだ。
王太子妃となってしまったからには、そう簡単にサイモン様から逃げ出す事は出来ない。
自分自身に瑕疵なく、あの二人だけを追い落とすには、これからもっと慎重に動かなければ。
そう考えると、疲労も溜まる一方だった。
「シンディ様。お茶をどうぞ」
侍女のマリがハーブティを淹れて、持ってきてくれた。
このハーブティは、バーク先生に調べてもらっているハーブティではなく、リラックス効果のあるハーブティで、私のお気に入り。
なんとこのハーブティ、ヴァルが私の為にと配合を考えて料理長にブレンドしてもらったものなのだ。
ヴァルはお茶の配合まで出来るのかと、びっくりしてそう聞いたら、聖騎士時代に知識として身に付けていただけだという返答だった。
一体聖騎士とは、どんな存在なのだろうと、改めて疑問に思ったものだ。
出されたハーブティを飲むと、優しい味が疲れを取り除いてくれる。
「今日の予定が思いの外、早く終わってしまったわね。明日は市井の孤児院にでも訪問してみようかしら?」
パーティは夜遅くまで開催される予定だったので、身体を休める為に明日は予定を入れていなかった。
しかし、パーティが中止となり、早めに戻ってこられたので、明日は動けそうだ。
私は最近、空いた時間に慈善活動の一環として、孤児院に訪問していた。
孤児院に訪問する際、市井の状況も把握する事が出来る。情報収集を兼ねつつ、過去五回においても、ずっと気にかけていた孤児院の訪問は、やめる事が出来ずに続けていた。
ウッドベルク王国は、国としては安定しているように見えるが、少し路地裏を入ると治安が悪く、庶民の生活にも貧富の差が激しい。
そういった現状で、特に被害を受けるのは決まって力の弱い子供たちなのだ。
私に出来ることなど、ただの慰めにしかならない事は重々承知している。それでもやらないよりはマシだと思い、出来る限り色んな施設を見て回った。
今回の回帰でも、過去に回りきれなかった孤児院を回り、現状を把握したいと考えている。
王族が訪問する事で、他の貴族の人達も慈善活動に力を入れてくれるようになる為、この活動をやめるわけには行かなかった。
「ヴァル、事前の連絡はしていないけれど、訪問する事は可能かしら?」
ヴァルは移動が不自由な私の為に、日中は部屋の中でも、介助役兼護衛として待機してくれている。
頼りきりになってしまう為、ヴァルの負担が大きいだろうと、違う護衛を呼ぼうとしたが、ヴァルが頑なにその役目を譲らなかったので、その気持ちに甘える事にしていた。
「今から訪問の連絡を入れておけば大丈夫かと」
ヴァルの返答に安心して頷く。
先程の一件を気にしない為にも、私は早々に孤児院訪問を行う準備をした。
◇◇◇◇
あくる日。
私は時間もある事から、王都より少し外れた場所にある孤児院を訪ねていた。
慈善活動だからこそ許された、久しぶりの遠出だった。
この孤児院は、王都の中心から離れた場所にある為、なかなか目が行き届かない。なので、時間の空いた時に、どうしても見ておきたかった。
到着し、馬車から降ろしてもらい、周りの景色を見る。
長閑な風景が、慌ただしい毎日で疲れた心を洗い流してくれるようだ。
今日のお供は、もちろんヴァル。そして、今日は侍女のイザベルが付き添いで来てくれていた。
あとは、護衛騎士が数名のみ。慈善活動にぞろぞろと付き添いや護衛を連れてきていたら、本末転倒だ。
しかも、厳つい騎士達は、子供達を脅かす存在となってしまうから、成るべく柔和な雰囲気の者を選んで連れてきていた。
それで言うなら、ヴァルは適任だ。
体幹はガッシリとし、身長も高く、上から見下ろされる様子は、完全に威嚇対象だと思っていたが、美形の整った穏和な表情が子供達にとても人気だったりする。特に女の子には絶大な人気で、今も孤児院の女の子たちが、ヴァルの後をついて回っている。
かと思えば、ヴァルに話しかけられると真っ赤な顔をして、何も答えられなかったり、恥ずかしがって逃げて行ったりもするから、見ていてとても可愛らしい。
私は訪問する時はいつも、手作りのクッキーと、その材料を大量に持っていく。
食べてもらう用と、その作り方を教えるために。
豪華なデザートや、おもちゃなどは一時的な贅沢を覚えるだけで、長い目で見れば良くないと考えた末の結果だ。
お手軽に出来て、その作り方を子供達に教えることで、一つでも自分達で出来る事を増やして欲しいという思いを込めて、毎回このお土産を持参していた。
「皆さん~、これは妃殿下様より頂いたクッキーと、その材料をたくさん持ってきて下さいました。クッキーを食べたら、今度はみんなで作ってみましょうね。さぁ、皆も妃殿下にお礼を言いましょうね」
「「「「は~い。妃殿下様、ありがとう~!」」」」
声を揃えて元気いっぱいに子供たちは私にお礼を言ってくれた。
「どうぞ召し上がれ。後でクッキーを一緒に作ってね」
私がそう言うと、子供たちは大きな声で同じように返事をしながら、クッキーを嬉しそうに食べ始めた。
私はその間に、院長先生に孤児院での生活で困っている事はないか、設備は整っているか、清潔にしているか、食事や衣類は足りているかなど、色々と聞いていた。
ここの孤児院は、二十六人の子供達を見ているそうだ。年齢もバラバラで、上の年齢の子が、下のちいさな子の面倒を見るといったやり方をとっているらしい。
衣類も着古した物を、使い回しているそうだ。
ここの孤児院での不足分をイザベルにメモ書きしてもらい、あとで王太子妃の公費で賄ってここに送ってもらおうと考える。
こうやって、コツコツとしか出来ないが、それでも少しでも今の生活が改善できればと考えながら孤児院訪問を続けていた。
子供たちと一緒にクッキーを作り、自分たちで作ったクッキーを大切そうに袋に入れている子供たちを見ると、ほっこりする。
過去において、自分の子供を切に願ったあの頃を思い出し、ふいに泣きそうになった。
あの頃の自分は何も知らずに、妊娠しない自分を責めていた。
だからせめて、孤児院にいる子供たちに何か手助けをすることで、子供が出来ない自分を慰めていた気がする。
けれど、そうではなかったと知った時の絶望感。
ああ、ダメだ。こんなところで思い出すなんて。ここにいる子供たちに失礼だ。
私は軽く頭を振って考えを切り替える。
「どうなされましたか? お疲れになったのでは?」
ヴァルが小声でそう聞いてきたので、私は首を横に振り否定した。
「大丈夫よ。少し嫌なことを思い出しただけ」
そう言った私を見て、ヴァルの眉間に皺が寄った。
「もうすぐ辞去する時間です。帰りは少し違う道を使いましょう」
「ええ、お任せするわ」
ヴァルの言葉に、何故違う道なのか疑問に思ったが、ヴァルに何か考えがあるのかと思い、あえて理由を聞かずに頷いた。