表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/5

琥珀色の空間

ずっと開いていなかったライトノベルをパラパラめくると、急に切ない気分になった。三日もまともに食事を取っていない腹が、盛大に鳴る。


腹、減った。


ここで食べても魔力が増えないのは分かっているが、所詮夢の中だし……まあいいか。


そういえば、エイプリルフールの告白って「冗談」を口実に本音を探れるから、失敗しても言い訳が立つんだよな。悲しいほど便利だ。


よく行く定食屋の隅っこに座り、特大のカツカレーを注文する。湯気の立つご飯を黄金色のルーが覆い、食欲をそそる。ピリ辛な日本のカレーとは違い、レモングラスの香りが効いた東南アジア風味で、万能の白米と絡み合って交響曲を奏でていた。


味噌汁を一口飲み、奇妙な既視感が脳裏をかすめる。


夢の中の人物なのに、なぜかリアルな存在感がある。


頭をぽんと叩いて意識を切り替える。なんで……なんで架空の存在なのに……


まあいい。寮に戻ろう。無断早退したんだ、体調不良で誤魔化せば……


文庫本を再び開き、美術館に飾ってもおかしくない挿絵を眺めていると、スマホが振動した。部長からのメッセージだ。


「17時カフェで打ち合わせ」


コーチャンフォームのソファで欠伸を噛み殺す。目覚めのハズなのに、コーヒーとミルクの甘い香りが逆に眠気を誘う。


「了解です。企画案は別途グループに上げます。辛木──生きてる?」


力なく頷き、アイスアメリカーノを啜る。ちなみに僕はバターラテ派だ。


意識がふっと遠のく。気がつくと寮のベッドの上だった。部員たちが担いで帰したらしい。記憶が曖昧だ……


とにかく、半日寝込んだせいで指導員と校医を騒がせたが、睡眠不足と診断され事なきを得た。


寮には誰もいない。みんな彼女とデートかゲーセン通いだろう。孤独だ。


頭をよぎった思考を捕まえ損ない、諦めて化学の教科書を開く。


が、一行も頭に入らない。LINEグループの通知を無視し、ツイッターを開くも平凡すぎるタイムラインに嫌気が差し、メモ帳に新規項目を作成する。


無題#36

4月1日 晴


痛い夢を見た。小説一本書けるレベルだ。夢の中で三日も過ごすなんて初めてだ。リアルすぎる……


でも夢のご飯はうまかった。エイプリルフールの告白現場を見逃したのは残念。


カレー(インドネシア風?)美味しかった。次も行こう。並進対称性とか難しすぎ。寝過ぎたせいかも。


追ってる小説家も更新してない。悲しい。


やる気ゼロ。化学の勉強……無理。寝よ。


ベッドに潜り込み、目を閉じる。


寝るのは最高の現実逃避だ。友達も彼女もいない。サークルにも入らず、ライトノベルとゲームで神経を麻痺させる。自分がクズなのは分かっている。他人が「優しい」「いい人」と慰めても、それは長所が見つからない人間への方便だ。みんな心の中でわかってる。この微妙な均衡が崩れたら反応が一方に偏り、僕にとって不都合だからだ。


ベッドの中で頭がぐちゃぐちゃになる。仕方ない。混沌の中、眠りに落ちる。


「おい、起きろ!」


瞼を擦りながら起き上がる。いや、これは半分寝袋状態だ。何だよ……?


眼前の人物が苛立たしげに足蹴りを入れてくる。完全に意識が覚醒し、視界がクリアになった瞬間──


またしても、剣と魔法の福川にいた。


魔力密度:0.125/Gg 状態:疲労(I)


プライベートクリスタルは正常作動中。よろめきながらドアに向かう。一体全体、何が起きてるんだ?


他のクラスに比べ、Cl班は妙に静かだ。授業開始30秒前、私の席は空いていた。良し。


包丁を鞘から抜き、仔細に観察する。夢の中の物体なのに、手触りが鮮明すぎる。


窓の外では藤に似た植物が風に揺れ、廊下からオーボエの音が漏れてくる。赤い結晶を掌に載せていると──


「いてっ!」


刃先で指を切り、血が結晶に滴り落ちた。すると結晶が液化し、刀身を伝って吸収されていく。


「武器エンチャント:空腹I」


は?!


MMORPGプレイヤーとしての経験が告げる──エンチャントは必ず何らかの効果を及ぼす。包丁を入念に調べる。


色も形も変化なし……いや、僅かに違う?


腹が鳴った。一日何も食べてない上に、この刀のせいで飢餓感が思考を阻害する。ハンバーグを噛み切る感触、肉汁が口いっぱいに広がる幸福感が脳裏を渦巻く。


草川先生が分厚い本を抱えて教室に入ってくる。教科書を手渡され、目次を確認すると興味深い項目が並んでいた。


「魔力学第二法則の帰結」

「『混沌』と自由魔導エネルギーの関係」


魔法か……面白い。夢の中なのに化学の勉強してるなんて感心するが、化学に憑りつかれた幻覚かもしれない。ノートを持ってこなかったのが悔やまれる。


「混沌とは万物の存在に不可欠なもの。魔力伝導にも限界がある。辛木、『混沌』下での魔力伝導方向を答えよ」


「ええと……低魔力側へ自発的に……?」


「今日の内容じゃないのに何で……?」先生より私の方が動揺する。気まずい沈黙が流れた。


草川先生の授業はPPT読み上げる某教授より遥かにマシだ。基礎中の基礎なのに、なぜか惹きつけられる。


「はい──今日はここまで」


教室が騒がしくなる中、再び包丁を手に取る。早くこの奇妙な夢から覚めたい……


「辛木」


振り向くと、クロが立っていた。


「刀、貸してみろ」


渡すと彼は嘲笑うように呟いた。


「クソみたいなエンチャントだな」


空腹は最早限界だ。学食の鰹と昆布の出汁の香りが神経をほぐす。地獄で蜘蛛の糸にすがるような救いを感じながら、うどんを啜る。


「いただきます」


スープに染み込んだ麺の琥珀色、一枚だけのチャーシュー。脂身がきらめき、食欲をそそる。


午後の授業は退屈だった。黒板の数式が蛇のように等号を飲み込むのを眺め、いつの間にか時が過ぎる。


西暦252X年──人類は初めて「空間」を折り畳み、「時間」を発見した。「時間」を折り畳むことで「可能性」を見出し、宇宙の境界を破り新たな世界「α(alpha)」を確認する。


2532年、人類初の人工宇宙「ε(epsilon)」が誕生した。


「ERROR:不正変数検出」

「ERROR:量子もつれ断絶。データ量30P」

「ERROR:環境変化。データ量約5E」


フルーロ・エロスはパソコンの前で頭を抱える。


「直したばかりのバグがまた……!」


第六次技術革命後、人類のAI技術は2050年レベルで停滞した。量子技術が世界を席巻する2150年──


「パパ、これ変数修正したよ。借りは30万円ね~」


机の上で、ミニチュアの杖型ホログラムが宇宙の呼吸のように明滅していた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ