福川から福川へ
「で……君の隣のこの人は……?」ローズマリーが疑惑の眼差しを向ける。私が口を開くより早く、隣のKが声を発した。
「僕……僕はクロです!」
おかしい、彼は名前を忘れていたはずでは?
振り向いてクロを見る。私の視線を感じたのか、それとも初めての場でエルフのお姉さんと対面して緊張しているのか、彼の瞳が明らかに揺らいでいた。指先で制服の裾をぎゅっと握りしめ、額から流れた汗が床に落ちて砕け散った。
「あの……彼は傷を負っているんです。治療していただけませんか?」付け加える。
「あら?どんな傷?」彼女は目を輝かせ、私が知る限り腐女子特有のニヤけた笑みを浮かべた。「シンム×クロ~♪ 傷だらけのクロちゃんがシンム君の前でウサギのように身を捧げる~」
「待て……妄想はやめて……」ため息混じりに遮った。「本当に深刻な傷なんです。回復魔法とか使えますよね?」
ローズマリーは依然として妄想に耽っていたので、仕方なく彼女の肩を突つく。本当にできるのか?
昨日の私と同じように、クロはローズマリーに引きずられるようにして去っていった。広間で一人待つこと十分──通路で振り向いたローズマリーがウィンクし、唇を動かして四文字を伝えた。
「ガ・ン・バ・レ❤」
意味不明だ。またしてもため息が出る。やはり腐女子か……
十分ほど待つと、クロがローズマリーと共に戻ってきた。彼の頭上にも名前が浮かんでいた。ローズマリーは胸のリボンを揺らしながらガンマツ警官と通話中(ここでも「電話」と呼ぶのだろうか)で、奇妙なことを吹き込んでいないか心配になった。
「シンムくん~彼を連れてガンマツのところへ行って~警備署よ~」
「わかりました……」
腐女子臭満載のギルドから逃げるように駆け出した。
再び慣れた手続きを済ませ、クロも私と同じ制服を着用した。正直なところ──彼はこの服がよく似合っていた。同性愛者というわけではないが、彼の「雰囲気」が……とにかく可愛らしかった。
「魔力ランクは──B」ガンマツがクロと私を交互に見て、首を振った。
「じゃあ……僕の住む所は?」
「シンムと同じVIII棟5d室だ」そう言うとガンマツは私の方に向き直り、重々しく肩を叩いた。
「ガ・ン・バ・レ・ナ」
何だよそれ! ローズマリーは一体何を吹き込んだんだ?!
「あと、学生指導組に連れて行け」
「はい──」
指示通りに移動した先で、スーツ姿の男性が告げた。
「君たちは統考未受験だが、北方からの避難経験を考慮し『塩素元素クラス』に配属する。外勤任務に従事してもらう」
突然現れた武器棚から、クロは鞘付きの短剣を選び腰に装着した。私も包丁を手に取る。刃が冷たい光を反射し、目に刺さるようだった。
教室では自己紹介中のクロが緊張で言葉を詰まらせていた。クラスメイトの誰も聞いていない中、担任の草川巡が爆発寸前の表情で怒鳴った。
「静かにしなさい!谷安!下を向いて何してるの?!」
谷安という生徒がR18小説を書いていたらしい。彼の悲鳴が響き渡る。私は深くうなずき、同情を示した。
騒動後、草川先生が宣告した。
「演習場に集合!」
木々に囲まれた簡素な訓練場に着くと、彼女はため息をついた。
「若いのにこんなに覇気がないなんて……ジジイだって娼婦に嫌われるわよ~」
何の顔でそんな台詞を言えるんだ……?
クラスの男女比は2:1。女性陣も武闘派揃いで、私の戦闘経験と言えば──
ニワトリを絞めようとして動脈血を顔に浴びたことくらい
最悪だ……
「今日は初級魔物の討伐だ。場所は白川下流。夕方に点呼するから解散!」
白川は市街地の外れにあった。道端にはスライムが蠢いていた。誰かの詠唱が響く。
"Its Force above all Force!"
光の一閃でスライムが真っ二つに。
私も包丁でスライムを突く。柔らかい球体が残り、不思議な香りがした。
クロの方を見ると──彼の足元には既に戦利品が山積みだった。
ああ、やっぱり……
何かの閃きでスライムの構造を観察し始めた。このぬるぬるした生物はアメーバに似ている……胃が痛むが、他に研究材料がない。明らかな器官の分化はなく、中心に細胞核のような構造があり、内質網に包まれている。小さな液胞も確認でき、体液はゼラチン状だ。
白と青の粘液が足元に広がり、包丁を振るうたびに「細胞核」が増えていく。
「よーし、終了──!」草川先生の声が響いた。
疲れ切った足を引きずり寮に戻り、部屋の隅で横になった。
眠い……意識が遠のく……
夢を見た。納豆ご飯を山盛り食べる夢だ。
目を覚ますと、目の前に東大仕様のB5ノートが置かれていた。教室では半アセタールの講義が行われているが、誰も聞いていない。違う……これは違う!!!
いつの間にか福川から福川(現実)に戻っていた。
時刻は4月1日11:30。教壇の教授が唾を飛ばしている。裏口から抜け出し、砂利の積もった校庭に立つ。185cmの体に「福川」の制服は違和感なく、運動靴が砂を軋ませた。
4月1日──エイプリルフール。ただ寝ていただけなのに、長い冗談を食らったようだ。