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第14話 終焉と、永劫と


 冥王のすべての注意が自分に向く瞬間。

 その、瞬きの数千分の一の間隙に向けてイルが放った黒い雷は、正確にサナ……魔法使いネイゼリアの左胸を貫いた。


 雷は、ふたつのものを破砕した。

 物理的には、ネイゼリアの心臓を。

 そうして、サナの魂をも。


 サナの、ネイゼリアの身体は、動いていない。

 空を見つめたままで無表情に静止している。

 冥王は瞬時にしてその横に立ち、背に左手を添え、焼けた左胸に右手を置いた。

 彼女は静かに後方に倒れ、身体を冥王の腕に預けた。


 「サナ」


 声をかける。

 サナは、ひとつ息を吸い、吐いた。

 が、次の呼吸が始まらない。

 見開いたままのその瞳から光が失われつつある。


 「サナ」


 呼びかける冥王にも表情はない。

 驚きも動揺も、恐怖も怒りも、悲しみも、ない。

 理解できていないのだ。

 彼の五百年の暮らしの中で、側にあって欲しいと願うものを、ほんとうに失ってはならないものを、その手から取りこぼすという経験がなかったためである。

 ただ、首を振っている。

 サナ、サナ、と、小さく口の中で呟きながら。


 「ふ、ふは、はははははは、そう、そうだ、そうでなくてはならない」


 イルの目が見開かれている。

 血走った眼球は黄濁し、瞳は虚無の闇を湛えてぽっかりと開いている。

 手のひらで口を押さえ、堪えきれぬというように背を揺らしている。


 「わかっていたのだ。冥王、お前がウェルディードを選ばなかったときから。冥神の魂を下ろされたのはサナ、黒の聖女だとな。ウェルディードが選ばれれば呪いはそこで終わりだった。が、そうはならなかった」


 イーヴェダルトは振り向かない。

 ゆっくりと膝を折り、サナの額に口をつけた。

 サナの手がはらりと床に落ちる。その手に沿わせるように、イーヴェダルトは彼女の亡骸を横たえた。


 「黒の聖女の魂、冥界で娶ろうとしたのだろう。殺したと見せ、肉体から切り離し……いや、そもそも殺したというのが偽りか。だが、もはやどちらでもいい。サナの魂は消滅させた。無の世界に去ったのだ。もう冥界にも戻れぬ。冥婚を終えてサナが冥神の力を得るまでの間に滅してやるつもりだったが、まさかそちらから」


 言葉が途切れた。

 間近に出現したイーヴェダルトの右手が、イルの顔の上半分を強く締め付けているからだ。


 「……すべて、送ってやる。貴様も、その眷属も、薄汚い人間どもも。この下衆な世界ごとだ。サナは嫌がるかもしれぬが、少しは寂しさも紛れるだろう」

 「……ひ、ひひ、苦しめ。もっと。もっともっともっともっと。選んだものを、愛したものを失って、お前は狂うんだ。狂った冥王のもとで冥界は、世界は崩壊する。終わりだ。ひひ、ひひひ」


 刹那、イルの身体は微細な粒子に分解され、四散した。

 イーヴェダルトはゆっくり振り返る。

 無表情のままで右腕を持ち上げる。

 その姿はもはや、剣士エルガの身体を借りたものではない。

 王太子も衛士も、ウェルディードも、立っていることはできない。冥王の周囲の空間が歪んでいる。空気が帯電して震えている。ずずと鈍い音が聖殿のあらゆる場所から聞こえ、巨大な床石がゆっくりと持ち上がる。柱に、亀裂が走る。轟音が空間を埋める。


 「……サナに詫びよ。そして伝えろ。我も、すぐにゆくと」


 上空から王都全体を俯瞰するものがあったとすれば、その瞬間、王宮を中心として無数の波紋が放射状に放たれたことを確認できたろう。

 もっと高い視点を持つものなら、それが人類の住まうすべての領域に及んだこと、そして同時に世界中の山が崩れ、海が沸き、火山が鳴動を始めたことも見てとることができたかもしれない。


 聖殿の天井が崩壊する。

 衛士は王太子に折り重なり、ウェルディードは涙を浮かべたまま、ぼうと自分に向かって落下してくる巨石を見つめている。


 と。


 光がすべてを包み込んだ。

 膨大な光量。

 あらゆる情景が白に還元される。

 冥王イーヴェダルトすら、その目を開けていることができない。


 崩壊の鳴動は停止している。なんの音もない。

 無限の光、無音の世界はながく続いたようでもあり、刹那とも思えた。

 やがて波がひくようにゆっくりと白い光は薄れ、光景が戻ってきた。


 イルが横たわっている。

 イーヴェダルトによって消滅させられたはずの彼が横たわっているのは、傷ひとつない聖殿の石敷きの床。ウェルディードがその隣で目を瞬かせている。

 見まわした冥王は、天井も壁も、あらゆるものが元に復していることを知った。

 そうして、いくつかの人影を見つける。


 サナ。

 薄く光に包まれたサナが、膝を立て、ネイゼリアの頭を支えている。二人の姿が同時にそこにある。ネイゼリアの胸は、静かに上下している。

 剣士エルガの姿もある。横に立ち、不思議そうにあたりを見まわしている。

 彼らの背後には、大きな三角の耳と長い尾を持つ、犬型の獣人。


 「……サナ……」


 冥王は彼らのほうに一歩踏み出た。

 が、サナが伏せていた瞳をあげてそちらに向けたから、動きを止めた。その眉は逆立てられており、頬は膨らんでいる。


 「もう、だから駄目だって言ったじゃない。そんな軽々しく世界滅亡、させないでよ。今度やったら離縁するからね」


 早口で言い切って、また目線をやわらげ、膝下のネイゼリアに落とす。なにやらぶつぶつと、魂がくっついてるのに離縁ってどうやるんだろう、などと呟いている。


 「……サナ」

 「えへへ。冥王さま」


 ランドラルヌーヴが彼らの背後から歩み出た。嬉しそうに尻尾を振っている。

 

 「おめでとうございます。冥婚、成ってたみたいですよ、サナさまと」

 「……な、に」

 「びっくりしましたよお。冥宮で、入れ替わったネイゼリアさまとエルガさまのお相手してたら、ふいにサナさま、現れたんです。眩しい光に包まれて、それはもう、ほんとに美しいお姿で……見惚れちゃいました。あ、これ、冥王さま超えちゃったなあってなってました。へへ」

 「……成った……? 婚姻の儀も、しておらぬのに……」


 戸惑う冥王の言葉に、サナがふいと横を向く。頬が赤い。ランドラルヌーヴはそれを見て、さらに嬉しそうに目を細めた。にひひ、と声を漏らす。


 「わたしも、えっ、てなって訊いたんですが……ふふ、実は……サナさまも、一目惚れだったんですって! 冥王さまに」

 「……な……」

 「両想い、ですよね。冥婚は、お二人の気持ちが繋がれば成立するもの。だから、初めて出会った瞬間にもう、成ってたってわけですね。えへへ。それでサナさま、今はもう、冥王さま……んん、それ以上の力、お持ちみたいです。軽々とわたしたち連れて空間転移して、世界のあちこち、修復して」

 「……だが、サナは……我のことを、嫌がって……」


 ランドラルヌーヴは眉をぽんとあげ、口を山形にした。しかめ面のような苦笑のような表情を浮かべ、イーヴェダルトの背に走り込んだ。ぐいと押す。押された冥王は、つんのめりそうになりながらサナのほうへ歩を出す。


 と、サナの膝のネイゼリアが、ううん、と声を出し、身動きした。サナは、大丈夫だよ、と小さく声をかけ、側のエルガを見上げる。目が合うと、うん、と頷いてみせた。

 エルガは片膝をつき、ネイゼリアを引き受けた。その両手のなかでネイゼリアは薄く目を開き、エルガを見つけて、小さく微笑む。

 エルガがネイゼリアをあまりにきつく抱きしめたから、ネイゼリアは幾度も咳き込むこととなった。


 サナが立ち上がる。

 聖女の装束ではない。いや、衣服ではないのだろう。穏やかに落ちた宵闇のような、遠くに薄暮を残した早い星空のような。輝く光を小さく宿しながら、彼女のドレスはその長い髪と、あるいは美しい瞳と同じ深い黒を湛えている。

 薄く光を放つ肌は、もはや人のものではない。


 「……心配、してくれた、みたいね」


 照れたような表情で、白金の髪を額に揺らして呆然としている男に声を向ける。


 「……サナ……」

 「もう駄目かな、って思ったけど……意識がなくなる寸前にね、あなたが生まれてから今日まで見てきた風景、冥界の魔物のみんなの顔と、世界中の人の顔と……とにかくたくさんのものが見えて、堪らなく懐かしくなって、護りたい、って強く思って……そうしたら……きゃっ」


 言葉は、継げない。

 彼女を強く抱くイーヴェダルトの胸で、サナは、どんな文句をつけてやろうかと考えている。が、そんな考えもやがてゆっくりと溶けてゆく。


 微笑んで、目を閉じて。

 互いの温度と胸の音だけを感じている。

 

 永劫を見ている二人の間に、いま、時間の概念は意味をなさない。



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