08 自分の精霊に会いたい
私を乗せた馬車が、ラリアル伯爵家の門をくぐっていく。その景色を眺めながら、私はクレム殿下のことを考えていた。
クレム殿下の側は温かい。そして、ときおりバラの花びらが舞い散る。
他の人にはみえていないようなので、これらもきっと私が頭を打ったせいで感じたり、みえたりするようになったのだと思う。
精霊たちが感情を表しているから、温かさや花びらも、クレム殿下の見えない何かだと予想できた。
「クレム殿下のお人柄の良さ……とかかしら?」
『温かい人柄』という言葉があるように、温かさはクレム殿下の内面かもしれない。
「じゃあ、あのバラの花びらは何?」
答えが出る前に、馬車が伯爵邸に着いてしまった。
私が馬車から降りると、使用人達が出迎えてくれる。
いつもならこの中に、元私付きのメイド、デイジーの姿があった。デイジーは、いつも満面の笑みで『おかえりなさい、お嬢様!』と出迎えてくれていた。
私は使用人達の顔を見た。みんな、歓迎しているようにみえるけど、精霊は出ていない。
特になんの感情もなく、仕事として私を出迎えてくれているのね。
少しだけ寂しい気もするけど、デイジーのように私を嫌っていないだけましだと思う。
私が帰ったのを知ったのか、母が階段から降りてきた。
母は私よりも小柄で髪は明るい金髪、瞳は紫。私の瞳の色は母からゆずりうけた。
どこか儚げな雰囲気をまとっている母は、若いころとても人気があり、たくさんの男性から求婚されたらしい。
「フィアナ。あなた、夜会で倒れたって聞いたけど大丈夫なの?」
母の顔は青く、周囲には見たことのない精霊が飛んでいた。それは、灰色の長い毛に覆われていて、何かにおびえるようにふるえている。
――不安だわ。
精霊の声で母が不安がっていることがわかった。母に安心してもらえるように私は微笑む。
「もう大丈夫です。ご心配をおかけして申し訳ありません」
「そう? フィアナ、ロバート様からお手紙が届いているわよ」
「ロバート様から?」
母の指示を受けて、使用人が私に手紙を持ってきた。
夜会の途中で倒れてしまったから、ロバート様も心配してくれているのかもしれない。
「わかりました。私は部屋に戻りますね」
「できるだけ早く返事をするのよ」
「はい」
母に言われなくても、ロバート様から来た手紙にはすぐに返事をするようにしていた。
婚約者として、そうすることが誠実な対応だと思うから。
自室に戻った私は、すぐに手紙を読んだ。
そこには、『どうして、ケガのことをすぐに言わなかった? どうして倒れるまで我慢するんだ!君のそういうところがダメなんだ!』と私を責める言葉が並んでいる。
最後には『そんなに、私に恥をかかせるのが楽しいのか!?』と殴り書きされていた。
私を心配する言葉なんて一つもない。
すぐに返事を書かないといけないのに、私はどうしても羽ペンを取りたいと思えなかった。
ああ、そうだわ。まだ朝食をとっていないから、食事を終えてからお返事を書きましょう。
自分に言いわけをして、私はロバート様からの手紙を机の引き出しにしまった。
返事を書くよりも、今は助けていただいたクレム殿下やお世話をしてくれた女性騎士にどんなお礼をするかのほうが大切よね。
「女性騎士様のお名前、聞いておけば良かったわ。騎士団への差し入れって何が喜ばれるのかしら?」
そんなことを考えていると、メイドが朝食を運んで来てくれた。年の若いメイドで赤茶色の髪をいつも三つ編みにしている。
「あの、お嬢様付きのデイジーが見当たらないのですが……」
戸惑うメイドに私は伝えた。
「デイジーは……解雇したわ」
「え!?」
ポンッとメイドから精霊が飛び出し『驚いた』とつぶやく。
「か、解雇ですか? どうして……」
私は静かにメイドを見つめた。
「その理由は、あなたも知っているんじゃない?」
メイドは「あっ」と小さくつぶやく。
「その様子ならデイジーは、ここでも私を悪く言っていたのね」
キリキリと胸が痛む。
黙ってうつむくメイドを見て、私は急に不安になった。
「もしかして、あなたも私のことをそう思っているの? 私、皆に嫌われているのかしら……」
「そんな!? ありえません! お嬢様を悪く言っていたのはデイジーだけです!」
「でも、だれもデイジーのことを、私に教えてくれなかったわ」
「それは……デイジーがお嬢様のお気に入りだったから……」
たしかにデイジーの感情を見る前に、だれかが私に「デイジーは陰でお嬢様の悪口を言っています!」と告げ口されても絶対に信じなかった。
それくらい、私はデイジーのことを信じていたし大好きだったから。
「そうね……私が人を見る目がなかっただけね。あなたを疑ってごめんなさい」
「い、いえ!」
このメイドは、私を嫌ってはいなさそう。
「これからは、あなたがデイジーの代わりをしてくれない?」
「え? それって私が、お嬢様の専属メイドになるということですか?」
「嫌かしら?」
「とんでもないです!」
ポンッと花の妖精のような精霊が飛び出した。この精霊はたしか……。
――嬉しい!
そうそう、喜びの精霊だった。
「名前は?」
「アンです!」
「アンね。お父様には私から伝えておくわ。よろしくね」
「はい! 一生懸命、お嬢様にお仕えいたします!」
アンの精霊のあまりの喜びっぷりに、こちらまで嬉しくなってしまう。
ふと、クレム殿下の言葉がよみがえった。
『あなたは自分に不誠実な者を遠ざけたのだろう? ならば、よくやった』
そういってくれたクレム殿下なら、今の状況を見て『自分に仕えることを喜ぶ者を見つけられたのだな。よくやった』と言ってくれるかもしれない。
感情の精霊がみえるようになって、嫌なこともあったけど、それよりも良いことのほうが多い。
こうなってくると、自分の感情の精霊もぜひ見てみたい。
どうして、私の精霊は現れないのかしら?
朝食を口に運びながら考える。
今、この瞬間も私はいろんなことを感じて考えている。それでも精霊は出てこない。
でも、他人の精霊も常に見えているわけではない。
もしかすると、強い感情しか精霊としてみえないのかもしれない。じゃあ、私は精霊が出てくるほど、強い感情を感じていないってこと?
たしかに、今まで自分の感情なんて意識したことがなかったわ。
食事を終えた私は、一人きりの部屋で、もう一度机に向かった。引き出しからロバート様の手紙を取りだす。
ロバート様は私の婚約者なのだから、早くお返事を書かないと。
そう強く思っても精霊は出てこない。
クレム殿下や女性騎士は、ポンポンと精霊を出せるのに私は出せない。
「何が違うのかしら? たしか、クレム殿下は『後悔しないようにまっすぐ生きるようにしている』のよね……」
もしかすると、私も後悔しないようにまっすぐに生きると精霊を出せるのかも?
私はもう一度ロバート様からの手紙を読んだ。
『ロバート様は婚約者だから』とか『常に誠実な対応をしなければいけない』という考えを一度、はしっこに追いやってみる。
すると、こんな言葉が出てきた。
「ひどい手紙」
そういった私は、自分の言葉が信じられなかった。
でも、そのとたんに、私の胸辺りから真っ黒な生き物が出てきた。でもそれは、親指の先ほどの大きさですぐに消えてしまう。
「今のが私から出た精霊?」
他の人の精霊より、小さくて一瞬で消えてしまった。
私も精霊が出せたことは嬉しいけど、それと同時に不安になる。
「どうして、すぐに消えてしまったの?」
ロバート様からの手紙はひどい内容だと思っているのに、それでもまだ早く返事を書かないといけないと思っている自分がいる。
こんな手紙なら『怒って返事をしない』という選択肢もあるはずなのに、私は決してそれをしようとはしない。
「もしかして、私って……。自分の感情を無理やり抑え込んでいるのかしら? だから、精霊が外に出てこれないの?」
私は私の考えが正しいのか調べるために、ロバート様には返事を書かないことにした。
だって、この手紙には返事をしたいと思えないから。
そう決めてしまえば、どうしてすぐにそうしなかったのかと思うくらい、心が晴れやかになった。
「え? 晴れやかに?」
私は、私の心がロバート様の手紙のせいで曇っていたことにすら、気がつけていなかった。