05 私はずっと嫌われていたのね
夜が明けると医務室に医師が戻ってきた。医師は私のベッドの側に立ち「どこか痛むところはありませんか?」と尋ねてくれる。
そんな医師の後ろには、クレム殿下の配下である女性騎士が姿勢正しく立っていた。女性騎士の周りには相変わらず、心配の精霊がみえる。
しかし、医師の周りに精霊はいない。
医師という職業柄、ケガ人なんて毎日見ているだろうから、これくらいのケガで何か思うことはないようね。
私の頭の傷を見ながら医師は「出血は止まっていますね。腫れも少しずつ引いてくるでしょう。腫れが完全に引くまでは安静にしてください」と診察した。
「幻覚は、まだみえますか?」
「みえなくなりました」
私はウソをついた。
「それは良かったです。この薬を毎日傷口にぬってください」
「はい」
「では、帰っていただいて結構ですよ」
医師が私のベッドから離れると代わりに女性騎士が近づいてくる。
「お嬢様の家の者がいらしています」
「だれでしょう?」
「デイジーと名乗っております。お通しして良いでしょうか?」
デイジーは、伯爵家に仕える私付きのメイドだ。年も近く明るい性格のデイジーとは仲が良い。
私とデイジーは、髪の色が同じライトブラウンなので、幼いころは着ているものを交換し、入れ替わりごっこをして遊んだこともある。後ろ姿だと使用人たちは、見分けがつかないのが面白かった。
「入ってもらってください」
私の言葉を聞いて女性騎士はデイジーを医務室に招き入れた。
勢いよく入室したデイジーは、私のベッドに駆け寄る。
「フィアナお嬢様ぁ! いったい何があったのですか!?」
デイジーは、髪と同じ色のライトブラウンの瞳をうるうるさせながら私を心配してくれている。私の瞳は紫色なので、後ろ姿は似ていても、顔を見ればみんなすぐに入れ替わりに気がついた。
「着替えをお持ちしましたよ!」
そう言いながらデイジーは、大きなバスケットを私のベッド横に置く。
私はデイジーの周りに飛んでいるはずの心配の精霊を探したけど、精霊は見つからない。
一瞬、幻覚がみえなくなってしまったのかと私があせったそのとき、デイジーの背後から真っ黒な化け物が現れた。
「ひっ!?」
思わず小さな悲鳴を上げてしまった私にデイジーは首をかしげる。黒い化け物は、デイジーの肩に馴れ馴れしく真っ黒な手を置いた。
――嫌い。
「え?」
化け物から聞こえてきた声に私は耳を疑う。
――大嫌い。
目の前のデイジーは、私を気遣い「もう、心配したんですよぉ」と言いながら涙をふく仕草をしている。
「でも、お嬢様が無事で良かったです! 早く着替えて帰りましょう」
デイジーがこちらに伸ばした腕をさけるように私は身を引いた。
「お嬢様?」
首をかしげるデイジーの背後で、黒い化け物がニタリと笑っている。
――大っ嫌い。
化け物の声を聞きながら、私は頭を抱えた。
どういうことなの? この幻覚は、感情がみえるようになったのではないの?
混乱してしまい、考えがまとまらない。
心配そうなデイジーが私の背中にふれようとしたので、私は「さわらないで!」と叫んでしまった。
その瞬間、ほんの一瞬だけ、デイジーの瞳に嫌悪が映った。気をつけていないと見逃してしまうほどのわずかな変化だったけど、その変化と同時に化け物の声も聞こえる。
――大嫌い。
「デイジー、下がって!」
「お、お嬢様!?」
私の言葉で女性騎士がデイジーを医務室から追い出してくれた。
「どうされましたか?」
そう聞いてくれる女性騎士の周りでは、心配の精霊がアワアワとあわてている。その様子を見て、私は少しだけ落ち着くことができた。
私のみているこの幻覚が、本当に感情を表しているのか確認しなければいけない。
「騎士様に頼みたいことがあるのですが……」
「なんでもお申し付けください」
私は女性騎士に、密かにデイジーのあとをつけるように頼んだ。
もし、幻覚で聞こえた『大嫌い』が本当なら、私の前でだけ良い顔をして、他の人の前では私を悪く言っているかもしれない。
医務室で一人待っている間、私はどんどんと冷静になっていった。
あのデイジーがそんなことを思うはずがない。幻覚はやっぱりただの幻覚よね。こんなことでデイジーを疑うなんて……。
そう思っていたけど、医務室に戻ってきた女性騎士の険しい顔を見て私は泣きたくなった。
「お嬢様……。お付きのメイドは代えたほうがよろしいかと」
「デイジーは、私について何か言っていましたか?」
口ごもる女性騎士。
「お願いです。教えてください」
「……はい。メイドは、お嬢様の悪口を言っておりました。『えらそうに! 私とどこが違うの? 美人でもないくせに』……これ以上は私の口からは……」
女性騎士の周りの精霊が、泣きそうな顔をしているので、悲しいはずの私は小さく笑ってしまった。
「そうですか……。ありがとうございます」
やっぱりこの幻覚は、感情の精霊がみえているということで間違いないのね。そして、デイジーは私と仲の良いふりをして、私のことが大嫌いだった。それが真実。
「着替えます。少しだけ手伝っていただけますか?」
「もちろんです」
デイジーが持ってきた大きなバスケットから、私はワンピースを取りだした。ピンク色でリボンがたくさんついたワンピースをデイジーは「可愛いです! お嬢様に良くお似合いです!」といつも褒めてくれる。
ワンピースを着ながら、私は女性騎士に尋ねた。
「このワンピース、どう思いますか?」
「あ、えっと……」
女性騎士からまた別の精霊が飛び出して『困った』とつぶやく。
「私は王都の流行りはわかりません。しかし、これだけリボンがついていると少し子どもっぽいのでは? お嬢様は、とても知的な雰囲気ですので、もっと大人っぽい服のほうが似合うような気がします」
「……そう、ですか」
デイジーとの楽しかった思い出が音をたてて崩れていく。私のことが大嫌いなデイジーが『お似合いですよ』と薦めてくれた服は、本当に私に似合うものだったの?
今までの全てのことに悪意が含まれていたのではないかと疑ってしまう。
私を嫌っているのはデイジーだけ?
私はずっとメイド達に陰で笑われていたの?
私の目尻に涙が浮かぶと女性騎士が息をのんだ。
「お気を悪くされましたか!?」
「いえ、正直に言ってくださり、ありがとうございます」
「申し訳ありません! 我が主、クレム殿下の命により、我ら騎士は、正直にまっすぐ悔いなく生きることを課せられていまして」
「クレム殿下の命令で、ですか?」
「はい」
「殿下は、どうして、そんなご命令を?」
女性騎士は、とても優しく微笑んだ。
「戦場に出る我らは、明日、死ぬかもしれないからです」
女性騎士から飛び出した新たな精霊は『誇らしい』とささやく。
「死ぬ間際、後悔しないように日々懸命に生きる。それがクレム殿下率いる騎士団の掲げる精神です」
王都から戦場は遠い。死を覚悟しながらまっすぐに生きているからこそ、クレム殿下も女性騎士もこんなに優しいのかもしれない。
そんな彼らが、とても眩しい。私は、彼らのように堂々とまっすぐ生きられそうもない。
だって、だれにも怒られたくないし、嫌われたくない。
みんなに褒めてもらいたいし、愛されたいと思ってしまう。
でも、このままメイドにバカにされて生きるつもりはない。
私は両手を強く握りしめると、私のことを嫌うデイジーと向き合う覚悟を決めた。