04 使えるものは使いましょう
それから、どれくらい眠っていたのかわからない。
「失礼します」という遠慮がちな女性の声のあとで、温かいものが私の頬をなぞった。
目を開けると、私をのぞき込んでいた女性と視線があう。
まだ夜会は終わっていないのか、遠くから音楽が聞こえてきた。医務室の中は、薄暗かったけど、ベッド脇のサイドテーブルに置かれたランプのおかげで女性の顔がはっきりと見える。
女性は赤い髪をひとつにくくり、キリッとした表情をしていた。意志の強そうなグレイの瞳が私を見ている。
「起こしてしまいましたね。大変申し訳ありません」
キビキビと話す女性は「私は、クレム殿下に仕える騎士の一人です。殿下より、お嬢様の護衛とお世話をうけたまわりました」と深く頭を下げた。いわれてみれば、たしかに騎士服を着て、腰に剣を帯びている。
「クレム殿下が?」
「はい。勝手ながらお苦しいだろうと思い、お嬢様のドレスを脱がせました。今は、お顔の化粧を落とすところです」
女性騎士のいうとおり、私は豪華なドレスではなく、ダボダボの質素なナイトウェアを着ていた。
「これは?」
「も、申し訳ありません! 私のものなのですが、お嬢様には大きかったですね」
「騎士様の?」
私がそう尋ねると、女性騎士は困った顔をする。
「はい、失礼だとは思ったのですが。医務室には、着替えは置いていないとのことで」
「お医者様は?」
「仮眠室で眠っています。お嬢様の具合が悪いのでしたら、すぐに起こして……」
「いえ!」
私は立ち上がった女性騎士をあわてて止めた。
「大丈夫です。でも、どうして騎士様がメイドのようなお仕事を?」
服を着替えさせたり、化粧を落としたりするのは騎士のすることではない。
「クレム殿下の周りには騎士以外いないのです。メイドもおいておらず」
第二王子のクレム殿下は戦争好きで王都にはおらず、いつも戦場にいるというウワサがある。だからメイドが必要ないのかもしれない。
そんな中、クレム殿下が戦で大勝を収めたので戦勝祝いとして今回の夜会が開かれた。
今までの戦勝祝いでは、主役のクレム殿下は参加せず、代わりにいつも王太子殿下が挨拶をしていた。なので、私がクレム殿下に会ったのは今日が初めてだった。
「私のほうこそ、ご迷惑をおかけしました」
こんな格好で夜会会場に戻るわけにはいかない。
今日はもうロバート様に会わなくて良いと思うと気が楽になった。
「で、では、お嬢様。お化粧落としのつづきを」
神妙な顔で化粧を落とそうとしてくれる女性騎士に私は微笑みかける。
「自分でします」
「いえ、そういうわけには!」
「大丈夫ですよ。いつもメイドにやってもらっているのを見ているので、自分でもできるはずです」
ためらっている女性騎士から桶と布を受け取り、私は見よう見まねで化粧を落とした。
さっぱりして気持ちが良い。桶の中の水が温かいのも嬉しかった。
「わざわざお湯をここまで運んでくださったのですか?」
「あ、はい。冷たい水でお嬢様を驚かせてはいけないと思い」
なんて優しい方なのかしら。
騎士様は、みんなこんなに優しいの?
「ありがとうございます」
私が心の底からお礼を言うと、フワッと温かい風を感じた。
それは、クレム殿下から感じた風とよく似ている。
気がつけば、女性騎士の側には、花の妖精のような生き物がフワフワと浮かんでいた。
――嬉しい。
「良かったです。お嬢様にそう言っていただけて、とても嬉しいです」
女性騎士がニコリと笑うと、花の妖精も嬉しそうに飛び回る。
「あの、騎士様。これ……見えていますか?」
「どれですか?」
辺りを見回す女性騎士には、花の妖精は見えていないようだ。
「……やっぱり、私は頭の打ちどころが悪かったようです……」
「と、言うと?」
「おかしな幻覚が見えるのです」
「幻覚!? それは心配ですね」
心配という言葉と共に、小人が女性騎士から出てきた。
それはクレム殿下から出てきた小人と一緒で。
――心配です。
女性騎士から出てきた小人は、クレム殿下の小人と同じことを言った。
もしかして……。
私は有り得ないと思いながらも、ひとつの可能性に思い至った。
この幻覚は、相手の感情を形にしているのでは? だから、心配してくれたクレム殿下と女性騎士から『心配』という小人が飛び出てきた。
子どものころに大好きだった絵本には、こういう不思議な生き物がたくさん出てきて、それらは『精霊である』と書かれていた。精霊は、万物に宿っているという。だったら、感情に宿る精霊がいてもおかしくはない。
「お嬢様、やはり医師を起こしてきます。もう一度、診察していただいて……」
「いえ、大丈夫です!」
私は、自分でも驚くくらい必死に女性騎士の言葉をさえぎった。
「幻覚はもう消えました。少し寝ます」
女性騎士の周りでは、心配を司る小人型の精霊がフワフワしている。
「大丈夫です。本当に」
「わかりました。私は医務室の外で控えているので、いつでもお呼びください」
礼儀正しく頭を下げた女性騎士は、颯爽と去っていった。
一人になった私は、ケガをして包帯を巻かれた頭にそっと手を当てた。
もし、本当に感情が見えるようになったのなら、もうロバート様に怒られずに済むかもしれない。それどころか、ロバート様の感情がわかれば、彼とうまく交流できて褒められるかも?
私は嬉しくなって胸を高鳴らせた。
幻覚でもなんでもいいわ。使えるものは使わないと。
心弾ませる私は、自分の感情の精霊が姿を現さないことに、このときはまだ気がついていなかった。