02 怒られたくない
結婚式より数か月前。
「フィアナ、聞いているのか!?」
責めるような婚約者の声で、私は我に返った。目の前には、美しい銀髪を後ろになでつけ、華やかに着飾ったロバート様が立っている。
「夜会の最中にぼんやりするな!」
婚約者のロバート様は、社交界でとても女性に人気がある。それなのに、彼の婚約者の私は、よくあるライトブラウンの髪色で容姿もパッとしない。
「も、申し訳ありません、ロバート様……」
エメラルドのような瞳が、私をにらみつけている。
「まったく君はいつもそうだ! 少しも周りが見えていない! 他人に気遣いすらできない! そんな婚約者がいる私の身にもなってほしい!」
「申し訳ありません……」
私はいつもロバート様を怒らせてしまう。今も、夜会でうまく会話を弾ませることができず、一緒にいる彼に恥をかかせてしまった。
その場にいられなくなった私達は、逃げるようにバルコニーまで来た。ここならロバート様と私以外、だれもいないので一息つける。
ロバート様は、苛立つようにバルコニーの柵を手で何度も叩いた。私はただうつむいて彼が許してくれることを待つしかできない。
どうして、私はこんなにも愚かなんだろう。
弾むような音楽が聞こえてきた。横目でホールを見ると、みんな楽しそうにダンスをしている。
どうして、私はみんなのように夜会を楽しめないの?
今日のためにたくさん準備をして一生懸命着飾ったのに。
高級なドレス、整えられた髪、美しく見えるようにほどこされた化粧。
そのどれもが、自室の全身鏡で見たときは、とてもきれいだと思った。身支度を手伝ってくれたメイド達もきれいだといってくれたし、これならロバート様も褒めてくれると心が弾んだ。
それなのに、私はロバート様の前に立つと自分が少しもきれいだとは思えない。もちろん、そんな私をロバート様だって褒めてくれない。それどころか、今日もまた彼を怒らせてしまった。
とても愚かな私は今すぐにでも、この場から消えてしまいたくなる。
「フィアナ!」
ロバート様に怒鳴られて身がすくむ。早く彼に謝らないと。すべて私が悪いのだから。
慌てた私の身体がグラリとかたむいた。
「危ない!」
ロバート様の瞳が大きく見開いている。
ロバート様が腕をのばして、体勢を崩した私を勢いよく引っ張った。そのおかげで私は倒れることはなかったけど、勢いあまってバルコニーの柵で頭を打った。
そのとたんに目の前で光が散る。
「大丈夫か!?」
視界がチカチカと点滅し、打った頭がひどく痛む。
「だ、大丈夫です」
これ以上ロバート様に迷惑をかけてはいけない。頭の痛みをこらえながら立ち上がると軽くめまいがした。
こちらを見ていたロバート様が「大丈夫なら良いが……」と眉間にシワをよせる。
しばらくするとめまいは治まったけど、視界のチカチカは治まらない。
ロバート様は、私から視線をそらした。
「ダンスが終わったようだ」
そのあとにファンファーレが鳴り響く。
「王族のだれかが来られたようだな。いくぞ、フィアナ」
「……はい」
何度も瞬きをしながら私は、ロバート様の腕に手をかけた。王族に会うのだから、今度こそきちんとしなければ。
ロバート様のエスコートを受けながらホールに出ると、人だかりができていた。その中心にいるのは、まばゆい金髪を持つこの国の第一王子殿下だ。
第一王子殿下は、次期国王に選ばれて今は王太子殿下になっている。
侯爵令息であるロバート様は、王太子殿下と面識があるようだった。でも、私はそれほど力も強くない伯爵家の長女なので、王太子殿下にご挨拶をするなんて緊張してしまう。
「挨拶をするくらいなら、フィアナでもできるだろう」
ロバート様の独り言のようなつぶやきを聞きながら、私は『もし、挨拶すらまともにできなかったら、どうなるの?』と足がふるえる。
王太子殿下に向かって足を進めるロバート様に、私は必死についていった。
「殿下」
ロバート様の声で王太子殿下が振り返った。殿下の青い瞳がやさしそうに細められる。
「やぁ、ロバート」
「王太子殿下にご挨拶を申し上げます」
ロバート様の声と共に、私も淑女の礼をとる。そのとたんに、先ほど打った頭がズキッと痛んだ。
痛みは少しずつ強くなり、談笑している王太子殿下とロバート様の声が遠くなっていく。
頭が痛い、どうしよう、どうしたら……。
王太子殿下の前で倒れたら、ロバート様にまた恥をかかせてしまう。私が必死に痛みに耐えていると、徐々に視界がぼやけていった。
もう、だめ……立っていられない。
私がそう思った瞬間、力強く抱きとめられた。とたんに周囲で悲鳴が上がる。
私を支えてくれたのは黒い仮面をつけた金髪の男性だった。仮面には装飾品がいっさいついておらず、顔の半分以上を覆ってしまっている。だから、私を支えてくれた男性は、目の部分と口元しか見えない。
「どこが痛むんだ?」
仮面の隙間から見える瞳は、青くてとても澄んでいた。
私が小さく首を左右にふると「ウソをつくな。今のお前は戦場で骨折した兵士と同じような顔をしているぞ」とあきれた声が返ってきた。
声はあきれているのに、なぜかとても温かく感じる。
「あ、頭が」
私がそう伝えると、婚約者のロバート様が怒鳴った。
「フィアナ!」
またロバート様を怒らせてしまった。
仮面の男性は、「失礼」と声をかけると私の髪にそっと指をさし入れる。
「クレム殿下!? フィアナに何を?」
戸惑うロバート様にクレム殿下と呼ばれた仮面の男性は自身の指を見せた。その指先は赤く染まっている。
「血だ。令嬢はケガをしている」