18 仮面の下は【クレムSide】
一日が終わるとフィアナに付けているカーラが俺の執務室に報告に来る。
「フィアナ様は少し体調を崩されたようで、今日は早めにおやすみになられました」
「そうか。医者には見てもらったか?」
「はい、問題ありませんでした。生活環境が変わり疲れが出たのではないか、とのことです」
「わかった」
報告が終わっても退出せず、カーラは何か言いたそうな顔をしている。
「なんだ?」
「……殿下。フィアナ様に偽装婚約などとおっしゃるのはやめたほうが……」
俺は仮面を外してカーラを見た。カーラはわずかに目をそらす。
「実の父に奴隷の烙印を押された俺が、女性を幸せにできるとでも?」
この烙印は、実際に数年前までこの国で使われていたものだ。兄の尽力で奴隷制度はこの国では廃止されたが、俺の顔に押された烙印が消えることはない。
奴隷ですら背中に押される烙印を、父はわざわざ俺の顔に押しつけた。
「しかし、殿下はフィアナ様のことを……。フィアナ様だって殿下のことを良く思っています」
「フィアナは、俺の仮面の下を見たことがない」
まさか王子と呼ばれる者の仮面の下に、奴隷の烙印があるなんて想像すらしていないだろう。
フィアナに出会うまで、自分が女性に好意を持つ日が来るなんて思わなかった。
フィアナに初めて出会ったあの日、悲鳴をあげるわけでもなく、嫌悪を浮かべるわけでもなくフィアナは俺に『優しいのですね』と言った。
それだけで、俺がフィアナを特別に思うには十分だった。
フィアナに偽装婚約を提案したのは、フィアナを元婚約者のロバートから引き離すためだ。ロバートの側にいてはフィアナが不幸になるのが目に見えていたから。
それに、俺が父に敗戦国の姫をあてがわれそうになっていたことも真実だった。だから、俺にとってもこの偽装婚約は有難かった。
お互いの利益のために結ばれた契約だったが、予想外なことにこの偽装婚約は俺に幸せを運んできた。
俺のことを少しも怖がらず、まっすぐ見つめてくれる女性が、この世に存在するなんて。今でもときどき夢を見ているのではないかと思ってしまう。
最近では、フィアナがあまりに俺に自然に接するので、自分が仮面をつけていることすら忘れそうになる。
だからこそ、フィアナはだれよりも幸せになるべきだ。
奴隷の烙印がある限り俺は一生仮面を外せないし、表舞台に出ることはできない。出ようとも思わない。そんな男の妻が幸せであるはずがない。
だから、これ以上は望んではいけない。
ロバートや俺なんかよりも、フィアナにはもっと相応しい男がいるはずだ。だから、俺はカーラにはっきりと告げた。
「フィアナとの婚約は、兄上が王位を継ぐまでだ」
兄が国王になればこの国は戦をくり返すこともなく、もっと豊かになるだろう。俺はそんな立派な兄を陰から支えて生きていく。
カーラに「殿下は、それでいいんですか?」と尋ねられた。
「ああ」
俺の答えを聞いたカーラは、静かに頭を下げると部屋から出て行った。
フィアナからもらったこの温かい記憶だけで、俺は一生、生きていける。
そう思っていたはずなのに、今日、ロバートからの手紙をフィアナに見せられると俺はおかしくなってしまった。
ロバートには『二度と会いたくない』と言いながら、フィアナはまるで恋する乙女のように顔を赤らめた。
その瞬間、ロバートへの殺意がふくれ上がった。もし戦場でロバートに出会っていたなら、確実に息の根を止めていた。それくらい強い殺意だった。
どうしてもフィアナにふれたくなって、髪や頬をなでると欲が出てしまった。
今後は気を付けなければいけない。
フィアナとの婚約を白紙に戻すときは、フィアナに不都合がないように、細心の注意をはらうつもりだ。フィアナは両親との折り合いが悪いので、実家には帰りたくないだろう。だったら、兄嫁の侍女になるのも良いかもしれない。
王妃の侍女になれば、フィアナを悪く言う者はいないだろう。
そう決めてしまえば、待ち遠しいはずの兄の即位が、なぜか憂鬱にも感じる。
「フィアナと少し距離を置いたほうがいいかもしれないな」
そう決心した次の日に、兄から夜会への招待状が届いた。
夜会は全て断っていたが、兄からの手紙には『私が主催する夜会だから必ず参加するように』と強く念を押されていた。そして『婚約者も絶対に連れてくるように』と。
「はぁ……」
仕方がない。あきらめて夜会にフィアナを誘うと、フィアナはパァと表情を明るくした。
嬉しそうにされるのは想定外だったので、つい、その笑みに見とれてしまう。
「あの、クレム様」
フィアナに声をかけられてハッと我に返った。
「なんだ?」
「クレム様は夜会当日、何色の衣装を着られますか?」
「黒だが?」
「黒ですね」
フフッと微笑むフィアナは、どこか浮かれているようにみえた。
そのときは、どうしてフィアナが浮かれているのかわからなかったが、夜会の当日にようやくわかった。
身支度が終わったというフィアナは、黒いドレスを身にまとっていた。よく見れば、フィアナのアクセサリーと俺のカフスボタンが対になっている。
「こんなに大人っぽいドレスを着たのは初めてです」
頬を赤らめるフィアナは当たり前のように俺の腕に手をまわす。
「クレム様と夜会に行けるなんて、とても嬉しいです」
美しいフィアナに見とれていると、護衛のカーラや周囲の使用人たちが口をパクパクさせて何かを伝えようとしていることに気がついた。
ホ・メ・ロ
褒めろ。必死にそう言っている。
「フィアナ、きれいだ。良く似合っている」
見たままのことを告げるとフィアナの頬は赤く染まる。少しうつむいたフィアナに「クレム様も、とても素敵です」と言われた。社交辞令だとわかっているのに柄にもなく照れてしまう。
フィアナと一緒に馬車に乗り込むと、フィアナはずっと楽しそうに微笑んでいた。
そんな顔をされると、俺に好意を持ってくれているのかと勘違いしそうになる。
フィアナとの婚約が白紙に戻ったら、俺はこの日のことを繰り返し思い出すだろう。
幸せそうに微笑む彼女と過ごした、この幸せな時間を。何度も、何度も。