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16 ロバート様からの手紙

 荷物を運ぶ騎士達をかき分けるように護衛騎士のカーラが部屋に入ってくる。

 カーラの後ろには年配の男性と女性がついて来ていた。


「フィアナ様、この邸宅の管理を任されているご夫婦です」


 白髪の紳士と、優しそうな雰囲気のマダムがそろって私に頭を下げた。男性のほうが一歩前に進み出る。


「クレム殿下より、引き続き離宮の管理を任せていただけました。心地好く過ごしていただけるように、最善を尽くします」

「私はこの離宮で働くメイドを統括しております。なんなりとお申し付けください」


 男性のほうが執事で、女性のほうはメイド長なのね。二人とも私にとても丁寧な対応をしてくれている。


「クレム様の婚約者フィアナです。よろしくお願いします」


 私はアンを振り返った。


「この子は、私付きのメイドです」

「ア、アンと申します」


 緊張しているアンに、年配夫婦はそろって温かい視線を向けている。ここでなら、私ものんびりと自分らしく暮らせる気がする。


 私のそんな予想は大当たりして、離宮での時間はとても穏やかに流れていった。


 食事の時間にクレム様と交わす、たわいもない会話が私の毎日の楽しみになっている。


 クレム様との婚約は偽装だけれど、表向きは私は未来の公爵夫人。なので、少しでも公爵夫人にふさわしくなれるように先生をつけてもらった。知らなかったことを知る日々はとても楽しい。


 邸宅内で偶然クレム様と出会うときがあるけど、いつ会ってもクレム様は仮面を着けていた。


 それが嫌ではないのだけれど『どうして、ずっと仮面をつけているのかしら?』と気になってしまう。


 でも、私達は偽装婚約なので、そこまで深入りしてはいけない。クレム様も私によくしてくれているけど、それはあくまで友のようにで、私達の間には決して男女の熱い想いはない。


 それなのに私は、ときどき『この婚約が本当だったら良かったのに』と思ってしまう。だって、クレム様の側はあまりにも心地好いから。


 そのたびに、『恐れ多いことを考えてはいけないわ』と自分の考えをあわてて打ち消す。


「今がこんなに幸せなんだもの。クレム様に感謝して現状に満足しないと」


 そんな私の元にある日、一通の手紙が届いた。


 アンが渡してくれた手紙を見て、私は思わず息をのんだ。身体が強張り、手紙を持つ手が小刻みにふるえる。


 手紙の差出人は、私の元婚約者ロバート様からだった。


「お嬢様? 大丈夫ですか、お嬢様!」


 アンの心配そうな声が聞こえる。


「大丈夫よ、少し驚いただけ」


 元婚約者のロバート様とは、私が頭を打った夜会以来、一度も会っていない。


 王家から私達の婚約を白紙に戻すように言われたときも、ロバート様からは一切連絡がなかったし、私もロバート様と連絡をとる必要を感じなかった。


 だからこそ『どうして今になって手紙を?』と思ってしまう。この手紙には、また前の手紙のように私を責めるひどい言葉が書かれているかもしれない。


 手紙の封を開けるのをためらっていると、アンがおずおずと他の手紙を差し出した。


「あの、お嬢様。またご実家からお手紙が来ています」

「お母様から?」

「はい」


 私が伯爵家を出てから、何通も母から手紙が届いている。その内容は、『醜悪(しゅうあく)王子との婚約は間違っている』『あなたが醜悪王子を好きだなんてウソ。あなたはだまされているの。はやく帰って来なさい』というような内容だった。


 『私の幸せを願っている』と言っていた母。でも母は、母が理想とする幸せしか認めてくれない。私の気持ちなんてどうでもいいのね。


 自分の意見を押しつけるだけの人に、私は関わりたくない。


「今後は、お母様からの手紙は受け取らなくていいわ」

「わかりました」


 問題はロバート様からの手紙だった。


 私はすぐに開ける気にならなくて、手紙を机の引き出しにそっとしまった。


 気分転換にアンとカーラを誘って庭園へと散歩に行く。


 その途中で、クレム様に仕える騎士達に出会った。騎士達は姿勢を正すと礼儀正しく頭を下げる。騎士の一人が、こちらに向かって小さく手をふった。


 そのとたんに、アンはビクッと身体をふるわせカーラの後ろに隠れる。


 カーラに「あっちに行け!」と言われた騎士は「アンちゃん、またねー!」と明るく去っていった。


 おびえるアンの様子を見る限り、二人は付き合っているようには見えない。


「アン、大丈夫?」


 私が声をかけるとアンは「は、はい」とうなずいた。カーラは「うちの団員がすみません!」とアンに頭を下げている。


「カーラ、それってどういうこと?」

「実は、さっきのヤツがアンさんを気に入って一方的に付きまとっているんです。やめるように言っているのですが、聞く耳を持たず……」

「そうだったのね」


 気のない男性から言い寄られておびえるアンをこのままにしておけない。


「私からクレム様に……」


 その言葉を聞いたアンは、勢いよく首を左右にふった。


「いえ! 大丈夫です! 何もされていません!」

「でも……」

「本当に何もされていないんです! ……ただ、私が男の人が怖いだけで……」


 私とカーラは困ったように視線を合わせると、涙ぐむアンに庭園のベンチに座るようにすすめた。


「男の人が怖いって、今までどうしていたの?」


 ここほどではないけれど、私の実家の伯爵家にも男性の使用人や警護のための騎士がいた。


「男の人全員が怖いんじゃないんです。ただ、ときどきすごく怖いと感じる人がいて……さっきの騎士様もそうなんです」


 アンは目元の涙を手の甲でぬぐった。


「す、すみません! これ以上、お嬢様やカーラさんにご迷惑をかけないようにしますから!」


 必死なアンを見て、私は少し前の自分を思い出していた。


 ロバート様に気に入られようと頑張り、怒られたくないといつもおびえていた私。


 もし、あの夜会で頭を打って感情の精霊がみえるようにならなかったら、私は一生そうしてロバート様の顔色をうかがいながら過ごしていた。


 自分の感情を押し殺すと、ろくなことにならない。


 久しぶりにみてみようかしら?


 私はアンの感情の精霊をみることにした。ジッとアンを見つめていると、ポポポンと様々な精霊が飛び出してくる。


『恐怖』『不安』の感情が強い。でも、その中に『悲しい』とつぶやく精霊もいた。


 悲しい?


 今の状態で『悲しい』と思うことがなんだかピンとこない。


 私はアンの顔をのぞきこんだ。


「ねぇ、アン。あなたのお話を聞かせてほしいのだけど」

「はい、お嬢様」


「男性が怖くなった原因はわかっているの?」

「わかりません。気がついたらそうなっていました」


 ということは、つい最近のことが原因でそうなったのではないということ。


「一番はじめに怖いと感じたのはいつ?」


 アンは少し遠い目をすると「あ」と小さくつぶやいた。


「子どものころに私、近所の男の子にいじめられていたんです。そのときからかもしれません」

「じゃあ、さっきの騎士がそのいじめっ子に似ているのかしら?」

「いえ、外見は少しも似ていません」


 さっきの騎士に何もされていないなら、悲しみの精霊は過去の経験から来ているのかもしれない。


「ねぇ、アン。もし、つらくなければ、そのいじめっ子の話を聞かせてくれない?」

「は、はい。子どものころの話なので、つらいとかはないです」


 そういうアンは、ムリに笑顔をつくっている。


「私は、こういう外見だから、その……『ブス』とか『お前は絶対に結婚できない』とか言われていじめられていたんです……。それなのに、周りの大人はだれもその子を怒らなくて……ニコニコ笑って見ているだけで……」


 アンの瞳にまた涙がにじんだ。


「私はできるだけその男の子を避けるようにしていたのですが、ある日その子が私に言ったんです。『お前はブスでだれとも結婚できないから、俺が嫁にもらってやる』って。『ブスでガマンしてやる』って……」


 カーラが「それって……」とつぶやき、私はコクリとうなずいた。


「その男の子は、アンのことが好きだったのね」


 アンは「はい、大人になってからわかりました」とうなだれる。


「でも、そのときは大っ嫌いな男の子と結婚するなんて嫌で嫌で。私が嫌だと言っているのに、周りは『お似合いだ』って言うんです! そんなときに、メイドの募集があったので飛びついたんです」


 そうして家を飛び出してから、アンは一度も家に帰っていないらしい。


 アンの感情の精霊は、いつの間にか『悲しい』『くやしい』に変わっている。


「アン、あなた今、どんな気持ち?」

「私の気持ち、ですか?」


「そう、そのときの出来事を思い出したら、どんな気分になる?」

「私は……」


 昔のことを思い出すために、アンは静かに目を閉じた。


「私は、あんなに嫌がっていたのに……」


 急に怒りの精霊が飛び出し、ググッと大きくなった。


「嫌だって言ったのに……どうして皆、私とアイツをくっつけようとするの!?」


 怒りで頬を赤くしたアンがそう叫んだ。叫んだあとに、ハッとなりあわてて口をふさぐ。


「お嬢様の前で声を荒げて申し訳ありません!」

「気にしないで。今のことでわかったことがあるの」


 アンはイジメてくる男の子が怖かったんじゃない。


「アン。あなた、男の人が怖いんじゃなくて、周囲の人達が自分の意志と関係なく、興味がない男性と自分をくっつけようとすることを怖がっているんじゃない?」

「……え?」


 アンは私をしばらく見つめたあと、「そうかもしれないです」とつぶやく。


「さっきの騎士様は、フィアナお嬢様の婚約者クレム殿下の配下ですし、カーラさんの同僚ですし……」

「無理やりくっつけられるかもしれないって思った?」


 コクリとアンはうなずく。


「私、大好きなフィアナお嬢様や、優しいカーラさんにあの騎士様と付き合うように言われたらどうしようって……。それが怖かったみたいです」

「そんなこと絶対にしないわ」


 私の言葉にカーラは「そうですよ! こんどアイツに声をかけられたら、ヤツの急所を()って逃げてくださいね!」と過激な発言をする。


「はい……はい!」


 そう返事をしたアンの周りは喜びの精霊であふれていた。


「不思議です。フィアナお嬢様にお話を聞いていただいたら、なんだか心が軽くなりました。ありがとうございます」

「そう? 良かったわ」


 アンの心が軽くなったのなら嬉しい。


 今回のことで、人は自分の感情ですら正しく判断できていないのだとわかった。


 カーラが「異国では、戦帰りの傷ついた兵士の心を治療する人を『心の治療士(セラピスト)』と呼ぶそうですよ」と教えてくれる。


「心の治療って、今フィアナお嬢様が私にしてくださったことみたいですね!」

「セラピスト……」


 私は初めて聞く言葉を小声で繰り返した。


 人の心を癒すなんて大それたことはできないけど、せめて私に誠実に接してくれる人だけでも、心穏やかに過ごしてほしい。


 そのために、感情の精霊がみえることを使えるなら、これからはどんどん使っていこう。


 そう決めた私は自室に戻ると、机の引き出しからロバート様の手紙を取りだした。


「おびえているだけではダメだわ。アンのように、私も過去と向き合わないと……」


 ロバート様の手紙を開くと、私を責めるひどい言葉はそこにはなかった。


 その代わり、丁寧な季節の挨拶と共に『君に会いたい』と書かれていた。


 この手紙をロバート様の婚約者だったころにもらっていたら、私は大喜びしていたかもしれない。


 でも、今さらもらっても、私の心は少しも動かなかった。


「もう婚約者ではないから、返事の必要はないわよね? 元婚約者と会って変なウワサがたったら困るもの」


 私はロバート様からの手紙を捨てようとしたその手をふと止めた。


 クレム様のご意見をうかがってみようかしら?

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