15 クレム様が私を婚約者に選んだ理由
そのあとクレム様は、私を抱きかかえたまま馬車まで運んでくれた。
二人で馬車に乗り込むと、私とクレム様は同時に「はぁー」と息を吐く。
「……クレム様、ご無理を言って大変申し訳ありませんでした。とても助かりました」
「いや、気にしなくていい」
両親を説得するためとはいえ、大勢の前でクレム様に愛の告白のようなことをしてしまった。今さらながらに恥ずかしくなって私の頬は熱くなる。
このまま黙っていても仕方がないので、私は向かいの席に座るクレム様に改めてお礼を言った。
「急なことでしたのに、私の住む場所を提供してくださりありがとうございます」
この馬車は、どこに向かっているのかしら?
どこに住まわせてもらえるのか分からないけど、どこでも文句を言うつもりはない。
「このご恩にむくいるためにも、婚約者のふりを精一杯させていただきます」
「ああ、頼んだぞ」
「はい」
クレム様の側はとても温かいので、馬車の中は春のようにポカポカしている。
私は必死にあくびをかみ殺した。それを見たクレム様に「泣いているのか?」と聞かれたのであわてて首を左右にふる。
「いえ、クレム様のお側がとても心地好くて睡魔が……」
「俺の側が心地好い?」
クレム様の口がポカンと開いている。失礼なことを言ってしまったかしら?
「も、申し訳ありません」
「謝るな」
「はい?」
「俺には謝らなくていい」
「でも、クレム様にはご迷惑をおかけしてばかりで」
「いいんだ。あなたは俺に迷惑をかけていい。まぁ、あなたに迷惑をかけられたことなど一度もないがな」
元婚約者のロバート様には、いつも迷惑がられていた。うまくできなくて、怒鳴られて身体がすくんで、さらに失敗してしまう。ずっとそんな悪循環をくり返していた。
あのころはロバート様のエメラルド色の瞳ににらまれるのが怖くて、私はいつもうつむいていたような気がする。
でもクレム様は違う。私を怒鳴らないし、完璧な淑女であることを求めない。
偽装婚約を提案されたとき、クレム様は『あなたにしかできないことだし、これはあなたにしか頼めない』と言っていた。その理由が知りたい。
「クレム様は、どうして私に婚約者という大役を与えてくださったのですか?」
仮面の隙間から見える瞳が、私を真っすぐ見つめている。
「俺の瞳の色は?」
「青です」
クレム様の瞳は、クレム様の兄である王太子殿下と同じ青色だ。澄んでいてとても美しい。
「それがあなたを婚約者に選んだ理由だ」
「私がクレム様の瞳の色を答えられたからですか?」
「そうだ」
「そんなの、だれでも知って……」
クレム様はフッと笑った。
「知るわけがない。俺の目を見て話せる令嬢は、あなたくらいだ。ほとんどの者は恐怖で視線をそらすか、汚らわしいものを見るように仮面をにらみつけてくるからな」
「そんなことは……」
ないとは言い切れない。なぜなら、クレム様は社交界で『醜悪王子』と呼ばれているから。
「あなたは、出会ったときから俺を怖がらなかった」
言われてみれば、出会った瞬間から私はクレム様のことを温かい人だと感じていた。その思いは、今になっても変わらない。
「それは、クレム様がケガをした私のことを心配してくださったから……」
「あんなに真っ青な顔をした人を心配しないほうがおかしい」
でもあの夜会で、私の具合が悪いことに気がついてくれたのはクレム様だけだった。隣にいたロバート様でさえ気がついていなかった。
そういえば、ロバート様と馬車に乗っているときは息苦しかった。何を話せばロバート様が喜んでくれるのか、そんなことばかり考えていたような気がする。いつも早く目的地に着いてほしいと願っていた。
でも、クレム様とはもっと話していたい。だから、クレム様に「着いたぞ」と言われると、私はガッカリしてしまった。
馬車の窓から外を見ると、私の実家とは比べ物にならないほどの豪邸が見えた。
「こちらはどなたの邸宅ですか?」
「俺とあなたの家だ」
「へぇ、クレム様と私の……え?」
驚く私にクレム様は手を差し出した。エスコートしてくれるらしい。私はそっと手を重ねる。クレム様の手は、大きくて手袋の上からでも分かるぐらいゴツゴツしていた。
「私がここで暮らすのですか?」
「もしかして、フィアナは王宮で暮らしたかったのか?」
「い、いえ! 私は住める場所をクレム様にご紹介いただけるのかと?」
「一人で暮らす気だったのか?」
「いえ、メイドのアンと、護衛騎士のカーラと三人で暮らせればいいなと思っておりました」
「……俺を頼りたいというのは、そういう意味だったのか」
クレム様はなぜか気落ちしているように見える。
「まぁいい。今日からフィアナもここに住んでくれ」
「クレム様もここで一緒に暮らすのですか?」
「嫌か?」
「まさか」
私は必死に首を左右にふる。
「でも、クレム様は王宮で暮らすのかと思っていました」
この国の王族は、戦地にでも行かない限り、王宮で暮らしているから。
「兄上はいずれ国王になられる。その即位を邪魔する気がないことを示すために、俺は自ら臣下にくだったんだ。だから、これからの俺は第二王子ではなく、レイストラルド公爵だ」
「そうだったのですね……」
戦の功績でクレム様が公爵位を賜ったとは聞いていたけど、そんな理由があるとは知らなかった。
クレム様と共に邸宅の中に入ると、王宮に負けず劣らず華やかだった。
「何代か前の王が、愛妾のために建てた離宮だそうだ。こんなことに税を使うのはバカげているが、王都で住むところをすぐに提供してもらえたのは有難いな」
クレム様に案内された部屋は、とても美しかった。
「わぁ……」
広い室内には洗練された家具が並んでいる。
「フィアナ、こっちだ」
クレム様に呼ばれてバルコニーに出ると、そこからは庭園が一望できた。
「ここが、この離宮で一番良い部屋だそうだ」
「じゃあ、ここがクレム様のお部屋ですね」
「あなたの部屋だ」
「私の!?」
「嫌か? 嫌だったらすぐに別の部屋を用意させるが?」
「い、いえ、とても嬉しいです!」
フッと笑ったクレム様は「フィアナは、いちいち驚くんだな」と楽しそうだ。
「もっと喜ばせて驚かせたくなる」
少年のように声を弾ませるクレム様に私の心はときめいた。こんな感情、ロバート様には感じたことがない。
クレム様は今、私のことをどう思っているのかしら?
そのときになって、私はクレム様の周りに感情の精霊がいないことに気がついた。
「あれ?」
「どうした?」
「い、いえ……」
両親に別れを告げたときには、両親の負の感情が見えていたし、バラの花びらも舞っていた。
でも、今は何もみえない。もしかして、精霊がみえなくなってしまったの?
そういえば、私の頭の傷はすっかり治ってしまっている。
どうしよう、感情の精霊がみえていたから、これまでうまくできていたのに。みえなくなってしまったら、またダメな私に戻ってしまう。
そうなれば、ロバート様のようにクレム様も私を嫌うかもしれない。
「……クレム様」
クレム様を呼ぶ私の声は、情けないほど弱々しい。
「疲れてしまったので、少し一人にしていただけませんか?」
「わかった。ゆっくり休んでくれ」
「はい……」
クレム様が出て行き一人きりになった部屋で、私は「これからどうすればいいの?」と、途方に暮れてしまった。
このまま部屋の中で立ちつくしていても仕方ない。
私は自分の今の感情に集中してみることにした。
他人の感情はみえなくても、自分の感情はみえるかもしれない。そんなかすかな希望にすがりつく。
今の私は何を思っているの?
目を閉じて自分の感情に向き合うと、一番最初に出てきたのは『怖い』だった。私は優しいクレム様に嫌われたくない。嫌われるのが怖い。
それに、せっかくすべてがうまくいきだしたのに、また元のような生活に戻ってしまったらどうしようという『不安』。でも、もしかしたら、感情の精霊がみえなくなっても、うまくやれるかもしれないという自分への淡い期待もあった。
ため息をつきながら目を開くと、そこには精霊がいた。
「えっ!?」
嬉しいはずなのに私が驚いてしまったのは、その数が多かったから。
見たことのある精霊から、知らない精霊まで大小五体はいる。
精霊たちは、それぞれに何かを話していた。『怖い』や『不安』は聞き取れるけど、他の精霊たちの声は小さくて聞こえない。
「これって……私が強く感じている感情ほど声が大きいのかも? でも、どうして急にこんなにたくさん出てきたの? 今までは一体ずつしか出てこなかったのに……」
扉の向こうが騒がしくなった。
メイドのアンの声が聞こえる。
「お嬢様、荷物が届きました。お部屋に入ってもいいでしょうか?」
「どうぞ」
私が部屋に招き入れると、アンの後ろにズラリと荷物を持った騎士達が並んでいた。騎士達は室内にテキパキと私の荷物を運んでくれる。
この場には、たくさん人がいるのに、だれの感情の精霊も見えない。
「ねぇ、アン」
アンが「はい、お嬢様! なんでしょうか?」と嬉しそうに近づいてきた。
「あなたは今、どんな気持ちかしら?」
「え?」
アンは驚きながらも「すごく豪華なお城で緊張しています」と答えてくれる。
そのとたんに、アンからバッとたくさんの精霊たちが飛び出てきた。
『緊張』『嬉しい』『不安』までの精霊の声は聞こえたけど、他の精霊たちの声は小さすぎて聞こえない。
自分の精霊と、アンの精霊を見て、私はひとつの仮説にたどり着いた。
精霊が一度にたくさんみえるようになったのは、私が感情をよりくわしく分析できるようになったということなのかもしれない。
でも、今までは私の意志と関係なくみえていた精霊が、私が精霊をみようと強く意識しないと見えなくなった。
これは、私が精霊を見る力を自分の意志で操れるようになったともいえる。
みえなくなったのではなく、より力が強くなったと分かり、私はホッと安堵のため息をついた。
そして、これからは必要なとき以外は、他人の感情の精霊を見ないと決めた。人の感情をみると、その人の心を盗み見ているような罪悪感があったから。