14 私が幸せになることを喜んでくださいね
私はメイドのアンと、護衛騎士カーラに手伝ってもらいながら、この家を出る準備を終わらせた。
「着替えとアクセサリーと……」
今まで使わず貯めていたお金。
父が『なんでも与えて贅沢させてやっているのに、お前たちはいったい何が不満なんだ!』と言っていた通り、今まで必要なものはなんでも買ってくれていた。
でも、幼い私がほしかった『父からの愛情』は少しももらった記憶がない。
先ほどカーラが『早馬で手紙を出します!』と言っていたとおり、すぐにクレム様の騎士達が数名で伯爵家を訪れた。
その中の一人が姿勢正しく私に報告する。
「クレム殿下より『俺を頼ってくれ』とのことです!」
「良かった……」
クレム様が私を受け入れてくれなければ、行く先がなかった。
「すぐにこちらに迎えの馬車が来ます。フィアナ様のお荷物は、我らが運びますのでご安心ください」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
私の部屋から荷物を運び出す騎士達を見たのか、両親があわてて私の部屋に来た。
「フィアナ、何をしているんだい?」
戸惑いながら話しかけてきた父を、私は冷静に観察する。
父はクレム様の騎士達や、家に滞在している王家の使者の視線を気にしているようで、穏やかさを装っている。でも、他人がいなければ昨日のように怒鳴りつけてくるはず。父と二人きりにならないように気をつけないと。
「お父様、今まで大変お世話になりました」
「な、何を?」
「私はクレム様の元へ行きます」
「何を言っているんだお前は! 正気か?」
母は涙を流しながら、父を責めた。
「フィアナが急におかしくなったのは、あなたのせいよ! あなたが家に帰ってこないから! 父親の役目を果たさず、ずっとあの女のところに入りびたっているから!」
「なっ!? 皆の前でやめるんだ!」
人格者を装っている父には、外に愛人がいるらしい。どうりで私と母のことをうっとうしく感じるはずだ。
父が愛人を持ったから、母が不安を抱えるようになったのか、常に不安を抱える母から逃げるために、父が外に愛人をつくったのか、そんなことは私にはわからない。
『父だから』とか『母だから』『家族だから』と考えるからややこしくなる。
私に対して誠実か、不誠実か。見るのはきっとそれだけでいいのね。
家を出て行こうとする娘の前で言い争いを始めた両親は、どうみても不誠実だった。だから、私も両親には誠実な対応をする必要がない。
私は言い争っている両親を無視して、荷物を運んでくれている騎士達に感謝した。
若い騎士が私に「あ、この前の差し入れの肉と酒、うまかったっす!」と軽口を利いて、先輩騎士に「バカッ! この方は、クレム殿下の奥様になられるお方だぞ!?」と頭を叩かれている。
クレム様は、配下の騎士達にも、私との婚約が偽装だということを言っていないのね。
騎士の中で知っているのは、おそらくあの場にいたカーラだけ。これからは、バレないようにうまく隠し通さないと。
私が邸宅から出て行こうとすると、ようやく両親が言い争いをやめて追いかけてきた。
「フィアナ! バカなことはやめるんだ!」
「行かないでフィアナ! あなたがいないと私はどうしたらいいの!?」
父の周りには怒りの精霊が、そして、母の周りには不安の精霊がみえる。
父は私の腕を強くつかむと、私の耳元で「フィアナ、勝手なことは許さんぞ! 今すぐ部屋に戻るんだ!」と脅してきた。
こんなときでも周囲の視線を気にしている父にあきれてしまう。
「離してください」
私の声を聞き、眉間にシワを寄せたカーラがこちらに近づいてきた。しかし、カーラはハッとなって立ちどまる。
そのとたんに、私の背後から父の腕がつかまれた。淡々とした声が降ってくる。
「俺の婚約者を離してもらおうか?」
振り返るとそこには、仮面をつけたクレム様が立っていた。
「クレム様……どうしてここに?」
「あなたを迎えにきた」
クレム様を見た母は「フィアナ、逃げて! 早く、その醜悪王子から逃げるのよ!」と、また無礼なことを叫んでいる。
「クレム様、母が大変申し訳ありません」
「気にするな。俺は気にしていない」
そう言いながら、クレム様はつかんでいた父の腕を離した。
「ラリアル伯爵、久しいな」
父の顔には穏やかそうな笑みが張り付いている。
「第二王子殿下にご挨拶を申し上げます」
「何やらもめているようだが?」
仮面の下の瞳はとても冷たい。父はゴクリとつばを飲み込んだ。
「急な婚約でして、当家としても驚きを隠せな――」
「伯爵は、フィアナと俺の婚約に反対なのか?」
父の言葉をクレム様がさえぎった。
「い、いえ、そうではなく」
はっきりしない父を見て、母が叫んだ。
「フィアナにはロバート様がいるのよ!? どうして、あなたなんかと婚約しないといけないの!?」
父が「やめろ!」と言ったが母はやめない。
「フィアナには愛する人と結婚して幸せになってほしいの! 私のように裏切られて不幸になってほしくない! ロバート様なら浮気なんてしないわ!」
私は母の言葉を聞きながら、どうしてそう言い切れるのか不思議だった。なんとなく母は、もしロバート様が浮気したら『フィアナ。浮気をさせた、あなたが悪いのよ』と言いそうな気がしてゾッとする。
気がつけば私は、縋るように、クレム様の腕に触れていた。
「あっ、私ったらご無礼を!」
「……いや」
クレム様は気まずそうに視線をそらす。その間も父と母は、自分勝手なことばかり言っていた。
父は「殿下、少しお時間をくださらないでしょうか? 当主ではなく、愛する娘の父親としてフィアナの気持ちを今一度、確かめたいのです」と言い、母は「フィアナは愛する人と結婚して幸せにならないといけないの!」と叫んでいる。
私は背伸びしてクレム様にそっとささやいた。
「ご無礼続きで申し訳ありませんがお願いがあります。私を抱きかかえていただけませんか?」
クレム様の瞳が見開き、「……抱き、かかえるだと?」と戸惑う声が聞こえる。
「はい。私達の婚約をあの両親に認めさせるためには、それくらい過激なことをしないとわかってもらえないと思います」
「わかった」
クレム様は軽々と私を持ち上げ愛おしそうに抱きかかえてくれた。その演技力に驚いてしまう。
「ありがとうございます」
お礼を言いながら、私もクレム様の首に腕をまわした。そして、できるだけ多くの人に聞こえるように大きな声を出した。
「お父様、お母様。私は愛する方を見つけました。今、とても幸せです」
またバラの花びらが舞い始めた。
なんて美しい光景なのかしら。
うっとり辺りを見回していると、クレム様の優しい瞳に出会った。とたんに、私の心から感謝の気持ちがあふれ出す。
「クレム様に出会えて、私、とても幸せです」
クレム様の青い瞳が、私を見つめている。
綺麗な瞳……。私達が見つめ合っている間に、王家からの使者が来たようでパチパチと拍手をしてくれた。それをきっかけに、護衛騎士のカーラ、お付きのメイドのアンも拍手する。
「おめでとうございます、お嬢様!」
「フィアナ様、おめでとうございます!」
その場にいた騎士達も祝福と共に拍手をしてくれた。
「クレム殿下、おめでとうございます!」
祝福に包まれる中、顔を真っ青にしている両親を私は見下ろした。
「お父様、お母様。どうか、私が幸せになることを喜んでくださいね」
皆の前でこういえば、周囲の目を気にする父は反対できない。そして、私の幸せを願っているという母も、本当に私の幸せを願っているなら、この婚約を認めるしかない。
王家の使者が父にサインを求めている。外面を気にして反対できない父は、頬を引きつらせながら私達の婚約を認める書類にサインした。
こうして私とクレム様の偽装婚約が成立した。