13 私の精霊が泣いている
疲れきってしまった私は、夕食も取らずにベッドに入った。
カーラには、来客用の部屋を使ってもらおうとしたけど、「フィアナ様のお側におります!」と断られてしまった。カーラとの話し合いの末、私のメイドが控えるためにある部屋を使ってもらっている。
ベッドに横たわっても、少しも眠くならない。
今日一日で起こったいろんなことが、私の頭の中をグルグルと回っている。感情がぐちゃぐちゃになってしまって、もう何がなんだかわからないわ。
「……感情がぐちゃぐちゃ……?」
私の感情の精霊は、どうなっているのかしら?
もしかしたら、精霊達も私の中でぐちゃぐちゃになって苦しんでいるのかも?
そうだったら、なんだか可哀想ね。
私は今、自分が何を感じているのか考えてみることにした。うまくいけば、私の感情の精霊を出せるかもしれない。
ゆっくり目を閉じると、先ほど見たおびえる母の姿が頭に浮かんできた。
あのときは、カーラがいるのにクレム様のことを醜悪王子と呼んだことにとても驚いた。もし、カーラがクレム様に報告したら、不敬罪に問われても仕方ないようなことなのに。
母は、どうしてあんなことを言ったの?
それに、どうして、いつもおびえているの?
どうして、私の話を聞いてくれないの?
どうして――
そこまで考えて、私はふとロバート様からの手紙を思い出した。そこには、『どうして、ケガのことをすぐに言わなかった? どうして倒れるまで我慢するんだ! 君のそういうところがダメなんだ!』と綴られていた。
この手紙に私は返事をしたいとは思えなかった。むしろ、母が私に『ひどいわ、フィアナ』と言ったように、私もこの手紙を『ひどい』と感じた。相手を『どうして』と問い詰めると、ひどいと思われてしまうのかもしれない。
感情の精霊をポンッと気軽に出せるクレム様やカーラは、こういう考え方をしていないような気がする。
クレム様やカーラがしていることは、正直にまっすぐ悔いなく生きること。どうしたら、そんな生き方ができるの?
私は必死に二人の言動を思い出そうとした。
「カーラは、私にドレスが似合っていないことをためらいながらも教えてくれたわ。クレム様は、私に会わないと自分が後悔してしまいそうだからと会いに来てくれた。もしかすると、お二人は自分が感じたことを口にして、自分が思うように行動しているのかも?」
それがまっすぐ悔いなく生きるということだとすれは、私は相手がどう思っているのかではなく、自分がどう思っているのかを考える必要がある。
「あのとき、母に感じたことは……」
私は怒っていた?
それとも、あきれていた?
どれも合っていて、どれも違うような気がする。
『お母様、話を聞いてください』と、そう必死に訴えたのに、母は私の話を聞いてくれなかった。
私はそのことが……。
「とても悲しかった」
私の胸元が淡く光ると、泣いている精霊が出てきた。
――悲しい。
そうつぶやいた小人は、なぜか私にそっくりだった。私はそっと悲しみの精霊を両手にのせる。
小さな子どものように泣きじゃくる精霊を見ていると、私の胸はしめつけられた。
「そうね、悲しかったよね」
コクリと精霊はうなずく。
「ごめんね、あなたがこんなに泣いているのに、私は少しも気がつかなかった……」
母だけではない、父の言葉にも私は傷ついていた。
父に怒鳴られ、うっとうしいと思われて私はとても悲しかった。
――悲しい。
「本当に、悲しかったね……。あなたはこんなに泣いているのに、私はどうして気がつけなかったの?」
両親は私を大切にしてくれない。でも、きっと、今まで私自身も私を大切にしてこなかった。
私は今まで両親に逆らったことがなかった。それは、裏を返せば自分の意見ややりたいことを、無意識にすべて押し殺していたということ。
「……本当にごめんなさい」
私だけは、あなたを大切にしないといけなかったのに。今まで、気がついてあげられなくてごめん。
私は精霊の頭をヨシヨシとなでてあげた。
「これからは、私があなたを大切にするわ。もうあなたをこんな風に泣かせない」
ふと、クレム様の言葉が私の脳裏によみがえった。
『あなたは自分に不誠実な者を遠ざけたのだろう? ならば、よくやった』
「そう、そうだわ……。私に不誠実な人を、私に近づけたらいけないんだった」
それが、たとえ私を今まで育ててくれた両親であっても。
私は手のひらの中の精霊に話しかけた。
「ごめんね、私はもう間違えないから」
精霊は涙でぐっしょりと濡れた顔を上げると、少しだけ笑ってくれた。そして、光に戻り私の胸の中へと消えていく。
そのあとは、心が穏やかになった。
クレム様が優しく私の名前を呼んでくれたことを思い出しながら、私は幸せな気持ちで眠りについた。
朝になり目を覚ますと、私のお腹が小さくグゥとなった。いつもなら、どれだけお腹がすいていても我慢して母に時間を合わせて二人で食事をとっていた。だけど、今日からはもうやめる。
私はメイドを呼ぶと、私とカーラの分の朝食をこの部屋に運ぶように指示した。
カーラと二人で食べる朝食は、とても楽しかった。
食事が終わったころに、母が部屋に押しかけて来た。
「フィアナ、どうして降りてこないの?」
「おはようございます、お母様」
母から朝の挨拶は返ってこない。
「しかも、そこの騎士と一緒に食べたって……?」
「はい、そうですよ」
また不安の精霊が母を包み込んでいる。
「ひどいわ、フィアナ」
私は母を冷静に観察した。
私の話を少しも聞いてくれないのに、常に私のことをひどいと責めてくる。
「どこがひどいのですか?」
「だって、今までずっと朝食は私と一緒に食べていたじゃない」
「だから?」
「だからって……。あなたまで私を嫌うのね!?」
母は自分が父に嫌われていることに気がついているようだ。だから、私にも嫌われるのを恐れている。
「別にお母様のことを嫌いではありませんよ。でも、私は自分のことをひどいとは思っていません」
「ひどい、ひどいわフィアナ……」
泣き崩れる母に、私が何を言ってもムダだった。
この人は、自分の思い通りに行動する娘がほしいだけ。
そこには、私の意志や幸せなんて含まれていない。だから、母の意見や考えに反したとたんに、私は母にひどいことをする敵になる。
そんな無茶苦茶な考えに振り回されたくない。私はもう、悲しくて泣きじゃくる私の感情の精霊を見つけてしまったから。あのこをもう一人きりで泣かせないと決めたのだから。
だから、私に不誠実な人を、私に近づけない。私の心も身体も、もうだれにも傷つけさせはしない。
私は母の肩にそっと優しく手をおいた。
「お母様、私はもうすぐクレム様に嫁ぎます。私がいない食事に早くなれてくださいね」
ニコリと微笑みかけると母は「いやぁ!」と叫んだ。
「フィアナ! どうしてそんなひどいことを言うの!? あなたにはロバート様がいるじゃない!」
「私はロバート様に嫌われています。今ごろ、ロバート様もこの話を聞いて大喜びしていますよ」
「そんなことないわ! あなたの幸せにはロバート様が必要なのよ! どうしてわかってくれないの!? 私がこんなにもあなたの幸せを願っているのに……」
しくしくと泣く母を見ても、少しも感情が動かない。だって、この人は、私の精霊を悲しませる私に不誠実な人だから。
「お母様、私の幸せを願うなら、私と少し距離をとっていただけませんか?」
「……え?」
母の顔が真っ青になった。
「どうして? フィアナ、急にひどいわ!」
「お母様は、私の幸せを願ってくださっているのですよね?」
「そうよ! 当たり前じゃない!」
私は小さくうなずく。
「でしたら、私と距離をとってください。それが私の幸せにつながりますから」
「そんな……ひどい、ひどいわ!」
泣き叫ぶ母を残して、私はカーラと共に部屋から出た。全身が重く疲労感が強い。
「ねぇ、カーラ」
「はい、フィアナ様」
母との会話をすべて聞いていたカーラの表情は険しい。
「私って……その、ひどい?」
カーラは「そんなことはありません!」とはっきり否定してくれた。彼女の横で感情の精霊がプンプンと怒っている。
一瞬だけ、私は母にひどいことをしているのかも?と思ってしまったので、その言葉を聞いて安心した。
「私、この家を出たいのだけど、クレム様を頼ったらご迷惑かしら?」
カーラの表情がパァと明るくなり、ポンッと喜びの精霊が現れる。
「いえ、ぜひそうしてください! クレム殿下はお喜びになると思います! すぐに手配するように早馬で手紙を出します!」
「ありがとう。私も準備しておくわ」
カーラと一緒にのんびり庭園を散歩してから私は自室へと戻った。
部屋の中に母の姿はなく、ホッと胸をなでおろす。
すぐにメイドのアンが来て「お嬢様、お茶になさいますか?」と聞いてくれた。
思い返せば、アンは私が『とある方に会いに行くわ。伝えたいことがあるの』と、遠回しな言い方をして出掛けたことを母に告げ口していなかった。それに、とても丁寧に私の世話をしてくれている。
「ねぇアン。私はクレム様の元へ行くけど、あなたはどうしたい?」
「えっと……」
「私と一緒に来るという選択肢もあるのだけれど」
その言葉を聞いたとたんに、喜びの精霊がポンと勢いよく飛び出した。
「い、いいんですか!? ぜひ一緒に行かせてください!」
こんなに喜んでもらえるとは思わず、ビックリしてしまう。
「アンは、どうして私について来てくれるの?」
私の質問にアンは、目をぱちくりとさせた。
「え? だってお嬢様のことが好きだから……」
アンは、ハッと両手で口をふさいだ。
「あ、その! ご無礼を! あの、メイド仲間から聞いたんです! 他の貴族のお嬢様はすごくわがままだって! いじわるなこともいっぱいするって! でも、うちのフィアナお嬢様は、だれにでも優しい素敵な人だって! 私もそうだと思います! だから、だから……」
カァと頬を赤くするアンを見て、私は心が温かくなった。