12 歪(いびつ)な家族
「フィアナ、こちらに来なさい」
私は父が座っているソファーの端に腰をかけた。人が良さそうな顔をした父がニコニコと微笑んでいる。
「フィアナ。使者様は『お前と第二王子クレム殿下の婚約が進んでいる』と言われているが本当なのか?」
「はい、今日クレム様に婚約を申し込まれました」
「なんと……」
使者は「これで間違いではないと、ご理解いただけましたか?」と父に話しかけた。
「は、はい。しかし、わたくしどもの意見だけではなんとも……」
父は私の婚約者であるロバート様の実家、モンクスフード侯爵家を気にしているようだった。そんな父に使者は毅然とした態度で説明する。
「ご安心ください。王家からはこちらだけではなく、モンクスフード侯爵家にも同時に使者がたっています」
ロバート様の家にも王家からの連絡が行っているのね。クレム様の仕事の速さに感心してしまう。
「ラリアル伯爵。とにかく書面をよく見てください。決してあなたが不利になることは書かれていません。あと、これはあくまで王家からの打診だということもお忘れなく」
断れるような雰囲気ではない。
父は「とにかく書面は受け取りました。私達に少し時間をいただけませんか?」と使者に尋ねた。
「もちろんです。私はいくらでも待ちましょう」
そう言ったけど、使者はソファーから立ち上がる気配はない。この使者は、父から返事を受け取るまで帰る気はないみたい。
ひきつった笑みを浮かべた父が、使用人に「使者様を客室に案内してさしあげろ」と指示を出す。
部屋から使者が出て行くと、父は顔から笑みを消して頭を抱えた。
「どうなっているんだ? なぜ、第二王子殿下がフィアナを……?」
「お父様。先日の夜会で倒れた私をクレム様が助けてくださったのです」
「倒れた? お前がか?」
心底驚いている父は、私が倒れたことを知らなかったようだ。忙しい父は、ほとんどこの家に帰ってこないので、そもそも父と話すこと自体が久しぶりだった。
「それで? 第二王子殿下や、ロバート様に失礼はなかったのか?」
倒れた、と伝えたのに、父は私の体を心配する様子がない。
「なるほど、そのときにお前がクレム殿下に見初められてしまったのだな。なんて厄介な……」
「厄介? どうしてですか? クレム様はこの国の英雄です。光栄なことでは?」
「英雄など庶民が騒いでいるだけだ。戦が終わればクレム殿下の立場などないに等しい」
「そうでしょうか?」
王太子殿下とクレム様は仲が良さそうだった。だから、クレム様は、これからこの国の重要人物になっていくような気がする。
父は深刻な顔で、使者が持ってきた書面に目を通した。
「クレム殿下は、戦の功績で公爵の爵位と、広大な土地を得るらしい。お前がクレム殿下に嫁げば公爵夫人か……」
黙り込んだ父は、頭の中で利益を計算しているようだ。
「モンクスフード侯爵家との婚約を白紙に戻せば、褒美もくださるそうだ。悪くない話ではあるが……」
「何が問題なのですか?」
ため息をついた父は、表情を曇らせた。
「お前の母だ。あれは、見目麗しいロバート様を婿として気に入っているからな。代わりに醜悪王子に嫁がせるというと、またキィキィとうるさく騒ぐだろう」
そういう父からポンとトゲトゲした生き物が飛び出した。その精霊は『うっとうしい』とつぶやく。
「……お父様は、お母様のことがお嫌いなのですか?」
父は返答を避けた。
「あれを妻に迎えたのは私だ。だから、最後まで責任は取る」
その言葉は、まるで『少しも愛していないが、拾ってきたから死ぬまで面倒だけは見てやる』と言っているように聞こえる。
「責任は取るって……。お母様に、そんな言い方は……」
私の言葉を聞いた父の目が釣り上がった。
「お前まで、私に文句を言うのか!? なんでも与えて贅沢させてやっているのに、お前たちはいったい何が不満なんだ!」
父の怒鳴り声に、私はふるえあがった。
社交界でいつも穏やかに微笑んでいる父は、貴族の中でも人格者としてその名をはせていた。しかし、私は父が家の中で微笑んでいるのを見たことがない。
私が黙り込んでいると、父はまたため息をついた。
「それにしても、よりによって、醜悪王子に娘を嫁がせることになるなんて……。私が周囲にどんな目で見られるか……」
父はするどく私をにらみつけた。
「そういえば、フィアナ。お前に付けていたメイドを勝手に解雇したそうだな?」
「はい、彼女は私に不誠実で……」
「まったく何をしているんだ! 没落貴族の哀れな娘を助けた私の美談が、お前の勝手な行動のせいで台無しだ! 追い出したメイドが『伯爵家のわがまま娘に、こき使われ追い出された』と言いふらしているぞ!」
「そんな……。私は、わがままなんて言っていません!」
「おまえの意見などどうでも良い! これ以上、私に恥をかかせるな!」
父の周りには、ずっとうっとうしいの精霊が漂っている。
ああ、そうだったのね……。
父がうっとうしく思っているのは、母だけではなかった。娘の私でも、父の評判を下げるような者は決して許してもらえない。
「……お父様は、どうしてデイジーを助けたのですか?」
これは優しい父が、幼い子どもがひどい目に遭うのを見過ごせなかったという美談。
「デイジー? だれだ、それは」
でも、助けた子どもの名前すら憶えていない父は、子どもを助けたかったのではない。子どもを助けたという美談がほしかっただけ。
部屋から父が出て行くと、私はなぜかおかしくなって笑ってしまった。
私の両親は、なんて歪な人達なんだろう。
私を大切にしてくれる優しい両親なんて、どこにもいなかった。
ひょいと部屋の中をのぞいたカーラが、あわてて駆け寄ってくる。
「フィアナ様!? どうされましたか!? 顔が真っ青ですよ! ご気分が悪いのですか?」
カーラの側では、心配の精霊がオロオロしている。
両親の言葉で冷えてしまった私の心は、他人のカーラの言葉で温かくなった。そうなってから、私はようやく涙を流した。
それは悲しかったのではない。
カーラの優しさがうれしくて、たった一人でも私を心から心配してくれる人が側にいてくれることに、感謝で胸がいっぱいになったからだった。