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口裂け女のその心

作者: いか!

 僕はあまりオカルト的なことは信じないたちだが、最近少し、それっぽい経験をした。せっかくなので、そのことを少し、脚色も交えながら物語風に語っていこうと思う。


 ある日の夜、眠れないので、仕方なく人気のない田舎の薄暗い街を散歩していたら、向こうからマスクをした女性が歩いてきた。こちらをまっすぐに見ているようで、僕は少し不気味に思いながらも、目をそらして通り過ぎようとした。

 だがその女は、避けようとした僕にぶつかるように進路を変え、僕は思わず立ち止まって、その女を見た。

 赤い目をしていたが、眉は整っており、肌は傷一つなく透き通るように白かった。髪は美しく、街灯に照らされて、光沢を放っていた。

「あたし、きれい?」

 僕はぽかんと間抜けにも口を開けて、相手の言っている言葉の意味を理解しようと努めた。ごくんと唾を吞んだ後、僕はその女性から目をそらした。

「わかりません」

 正直、女性と関わる機会の少ない僕は、面と向かって人を綺麗だとかそうでないとか言うことはできなかったし、そもそもそういう話をするのはマナー的に正しくない気がしていた。

「ねぇ、あたし、きれい?」

「だから、わかりませんって。別の人に聞いてくださいよ」

 僕は逃げ出したい気持ちになった。夜中に、わけのわからない女に絡まれて、今すぐにでも逃げ出したかった。

「教えて。あたし、きれい?」

 あんまりにもしつこくて、僕はなんとなく腹が立った。だから、言ってやることにした。いつも、心の中で思っていることを。

「別に、見た目なんてどうでもいいんですよ! ルッキズムっていうんですかね? そんなにきれいになりたいなら整形でもすればいいじゃないですか。どうでもいいんですよ、そんなの……」

「あたし、きれいじゃないの?」

「きれいかどうか以前に、最低限の常識を身に着けてください。まぁ、こんな夜中に歩いてる僕もアレですけど……」

「じょうしき……」

「常識と言えばですね、そもそも、女性に向かって面と向かってきれいとかきれいじゃないとかいうの、今はダメなんですよ。失礼ですからね」

「しつれい……」

「思ってても、言っちゃダメなんです」

「じゃあ、あなたはあたしをきれいだと思う?」

「どうしても言わせたいんですか?」

 女はうなずいた。

「あのですね。あんまり見た目にこだわり過ぎない方がいいと思いますよ。あんまりよすぎると嫉妬されてめんどくさいですし、別に求めていない人に迫られたりもします。悪すぎると不都合は多いかもしれませんが……見た感じ、あなたはそこまで見た目に困るような人には思えません」

 女は、少し迷いながらも、マスクを取った。口が耳元まで避けていて、赤い肉が見えていた。僕は思わずぎょっとして目をそらした。口裂け女、という言葉が頭に浮かんだ。でも詳しい話は知らなかった。目の前の女は、妙にリアリティがあったし、幽霊や化け物の類には思えなかった。もしかしたら、ドッキリのたぐいなのではないかと思った。

「あたし、これでもきれい?」

「きれいかどうかはわかりませんって……」

「ねぇ……」

「その、そういうのって手術で何とかなったりしないんですか? 現代の技術なら、多少跡は残ると思いますが、少しは楽になるんじゃないですかね?」

「……あたし、きれいじゃないのね?」

「そんなの個人の感覚じゃないですか。僕にはわかりませんよ」

「じゃあ、あなたにとって、あたしはきれいに見える?」

 僕は、気乗りはしなかったが、観念して、その女をじっと見つめてみることにした。瞳は赤く、肌は不自然なほど白かった。髪は、とても美しかった。服装はシンプルで、少し古臭くはあったが、サイズはあっており、悪い印象はなかった。

「アングルによると思います。あぁ、少し笑ってみてください」

 女は、裂けた口をさらに引き上げる。目元に少し皺ができて、印象が少し柔らかくなる。

「今度は少し悲しい顔をしてください」

 女は目を伏せ、口角を下げたが、口が裂けているせいで、それでも口元はかなり笑っているように見える。

「笑っている方がきれいだと思います」

「あたし、きれい?」

「横顔も見せてください」

 女は横を向いた。すると、その裂けた口が、何かおそろしいものではなく、単に傷跡にすぎないことがわかりやすくなった。彼女のよく通った鼻筋と、長いまつげが強調され、真夜中ということもあり、その姿は神秘的とさえ言えそうだった。

「お世辞じゃありませんが、横顔は本当に美しいと思います」

「……ありがとう」

「さながら芸術品のようです。あと、あなたは姿勢がいいですね。背筋が伸びていて……所作も、ゆっくりとしていて丁寧だ」

「はじめていわれた」

「そうですか? まぁ、あんまりこういうことも、面と向かって言うものではないですしね。立ちっぱなしでは疲れるでしょう。その辺に座りませんか?」

「うん」

 僕らは並んでベンチに座った。

「でも、なんでそんなに見た目を気にしているんですか?」

「みんな、あたしの口を見てブスだって言うの」

「それはひどいですね」

「うん。でも、あたしも、鏡をみると、ブスだって思う」

「……昔は、口が裂けていなかったのですか?」

「うん。そのときは、みんなあたしをきれいだって言ってくれた」

「なるほど。そのときと比べて、自分がきれいじゃなくなったって思ったんですね?」

「うん」

「そうですか。その、僕もさっきは、あまり見た目を気にしすぎるのはよくないって言いましたけど、でもやっぱり、人は人を見た目で判断することが多いですし、自分でも、ひとからよく思われたいと思いますもんね」

「うん」

「ところで、あなたから見て僕はどうですか? きれいですか?」

「ふつう」

 僕は思わず笑ってしまった。

「まぁ、そうですよね」

 僕は少し考えた後、ひとつ提案してみようと思った。

「もし、僕の口が裂けていたら、どう思う?」

「え?」

「僕のことを、ブサイクだって思う?」

 口裂け女は、少し悩んだ後、首を横に振った。

「でも、普通ではないよね」

 頷いた。

「僕は、口が裂けていたら苦しいと思う。つらいと思う。君みたいに、マスクで隠すだろうし、もし見られたら、人からどう思われたか気にすると思う」

 口裂け女は、今度は反応をしなかった。かと思ったら、手で顔を覆い、どうやら泣いているようだった。僕もなぜか、泣きそうになった。この人は、ずいぶん苦しい思いをしてきたのだろう。誰からも理解されず、誰からも……愛されず。

「人間は、冷たい生き物です。自分と似た人とは心を通わすことができても、違う人、理解できない人のことは、脅威に感じて避けようとします。避けられた方は、なぜ自分が避けられているかもわからず、ただいろんな方法で、人に受け入れてもらおうと試みますが、そのうち諦めます。僕も、そうして避けられてきました。僕の場合は、見た目ではなくて、心に問題があるわけですが」

「……こころ」

「そうです。僕は寂しがり屋で、ひとりでいるとつらくなって誰かと話したくなるのに、いざ誰かと話すと、その人にうんざりしてしまうんです。人は誰しも欠点がありますが……なんていうんでしょうね。とても、居心地が悪くなってしまうんです。嫌いにはなりませんが、しばらくひとりきりになりたくなるんです」

「……あたし」

「今は大丈夫ですよ。あなたは、話を聞いてくれる。僕の、少しややこしくて、ひねくれた言葉に、ちゃんと正面から向き合ってくれている。多分、多くの人はそれをしてくれていないんです。ごまかして、嘘をついて、あたりさわりのないことを言って。そういうコミュニケーションに、疲れてしまうんです。その点では、もしかすると僕とあなたはよく似ているのかもしれませんね」

「人は、あたしを正面から見てくれなかった」

「そうです。そうするだけの余力がなかったから」

「よりょく」

「そうです。みんな、自分のことで精いっぱいなんです。他の人の、つらいことや、苦しいことに、向き合うだけの体力も、強さもない」

 女は、深く頷いた。

「でも、僕自身も、ほとんどの場合はそうなんです。きっと、あなたもそうでしょう。ふだんは、自分のことばかり考えていて、他の人がどのように感じて、何に傷つくかなんて、注意する余裕がない」

 女は、悲しそうな表情をした。口が裂けていても、この人にはちゃんと表情がある。だんだんそれがわかるようになってきた。

「生きることは難しいと思います」

 僕は最後にそう言って、ベンチの背もたれに深くこしかけて、目をつぶって、もの思いにふけった。昔のことを思い出した。人から裏切られたこと。それに対して、復讐を試み、そのあとで、そのことを深く悔やみ、恥じたこと。今まで多くの人を傷つけてしまったこと。そして、人と関わることが怖くなって、誰ともかかわらないよう引きこもっていたこと。そういった日々も終わり、だんだん人と関わることに慣れていき、それでも心と体の傷はまだ癒え切っておらず、こうして、夜眠れなくなると、外を歩きたくなってしまう、無力で、弱い自分。

 このまま、ずっと生きていくのだろうか。ひとりぼっちで、悩みながら。時々こうして、偶然知り合った人と心を交わし、そこで互いのことを、ほんの少し理解して、また別々の道を行く。人生とは、これの繰り返しなのだろうか。

 僕はこの苦行を、最後まで耐えられるのだろうか。

「あたしは、あなたがきれいだとおもう」

 女は、立ち上がった。背を向けたまま、少し涙声でそう言った。

「僕が?」

「あなたの、こころが」

 僕は、唇を噛んで、悩んでいるそぶりを見せた。でも実際は、嬉しくて流れてしまいそうな涙をこらえているだけだった。

「あなたが、うらやましい」

「僕が?」

「あなたはきれいで、これからもっときれいになれる」

 僕は、意識を自分自身から、その女の方に向けた。君はどうなんだ。君は、きれいなのか。これからもっときれいになれるのか。

「ねぇ。君は、自分をきれいだと思うか」

 女は、背を向けて、首を横に振った。

「こころも?」

 女は、そうだと首を振った。

「この先、きれいになれると思うか」

「あなたに会うまでは、そんなふうには考えられなかった。でも今は……」

「君には、きれいなところがたくさんある。それに気づいていないだけだ」

「あたし、きれい?」

「きれいだし、もっときれいになれる。でもそれは、君次第だ」

 女はそれ以上何も言わず、ただ静かに立ち去っていった。最後までその歩みは穏やかで、気品があった。

 僕はしばらくそのベンチに座って、先ほどの会話と、彼女の姿を繰り返し咀嚼した。

 そのあと、僕は少しだけ、彼女の幸運と幸福を祈った。

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