飼育委員
アーチェリー選手がそっと二階の窓を開け、花壇の前に立つ僕に向かって、いつでもいいぞというように頷いた。図書委員はバジリスクが僕の前に現れたらすぐ三階に走り男の子を探すことになっている。今は少し離れた昇降口の前でタイミングをうかがっていた。
僕は外掃除用のバケツと箒を震える手に握っていた。大きな音を立てて獲物の位置を知らせ、現れたところで頭を射抜く。うまくいくかわからなかった。遠くで蝉が鳴いている。向日葵の黄色い花に蜻蛉がとまって羽を休めていた。夏の青空は絵日記のように澄んでいた。
バジリスクの瞳は絶対にみるな。作戦を指示する図書委員の声は鬼気迫っていた。
僕はうつむいて目を閉じ、箒の柄でバケツを打ち鳴らした。ブリキを叩く乾いた音が静まり返った校舎にこだました。僕はバケツを叩き続けた。目をくり抜かれた教頭の顔が頭に浮かび、僕は怖じけて手を止めた。校舎に再び静寂が戻る。
二階の窓のところでアーチェリー選手が張り詰めた顔で弓を構えている。バジリスクはあらわれない。荒く呼吸をしながら、僕はもう一度顔を伏せてバケツを叩き始めた。暑さと恐怖で額から汗が吹き出し、閉じた目の横を流れていく。僕は流れる汗を拭う間もなく、手が痛くなるまで音を鳴らし続けた。
箒を持つ指先が痺れて僕は叩く手を止めた。少しの間蝉の声がやみ、また鳴き始める。向日葵の葉が風に揺れる音がした。痺れた指先に心臓の鼓動が伝わる。僕はバケツと箒を地面に置いた。雛が生まれたら名前をつけようと決めていた。僕は目を閉じ俯いたまま雛の名前を呼んだ。耳の横を蝿の羽音がかかすめていった。少し声を大きくしてもう一度呼ぶ。口の中が乾いて声がかすれている。僕は唇を舌で湿らせ、雛の名を叫んだ。僕の声が校舎にこだました。
頭の上でガラスの割れる音がして、大きな翼の羽ばたく音が聞こえた。羽ばたきの音はぬるい風を僕に吹き付けながら次第に下へ降りてきて、僕のいる少し前で止んだ。なにか大きな生き物のいる気配がしている。低く喉を震わせる音が、僕からほんの数歩離れたところで聞こえる。くるるるる、くるるるる。卵を温めていた雌鶏の幻がふと閉じた目に浮かんで、僕は不思議と体の震えが消えていくのを感じた。声の主を見たくてたまらなかった。二十一日の間、僕に夢見心地の幻想を見せ続けてくれた雛を、どうしても自分の目で見たかった。瞳を見なければ大丈夫だ。僕は自分に言い聞かせるようにつぶやいた。
蛇のような体は金色の鱗に覆われ、陽差しを浴びて虹の色に輝いている。背中に生えた大きな白い羽が、絵に描かれた天使のように広げられていた。湧き上がってくる感情が僕を笑顔にさせた。もう一度名前を呼ぼうとしたとき、弦をはじく音をさせてアーチェリー選手が矢を放った。矢は鱗に覆われた首に当たり、固い音を立て跳ね返ると地面に落ちて転がった。続けて放たれた二本目は大きくそれて、雛の頭の上を通り過ぎて行った。
二階を見上げると、アーチェリー選手が苦しそうに歯を噛みしめ、目を閉じて深呼吸をしている。上下していた肩が次第におさまり、ゆっくりと開いた目が的を見つめた。纏う空気が針のような鋭さを帯びていた。アーチェリー選手は落ち着いた動作で力一杯弓を引き絞り、何かを叫びながら矢を放った。矢が弓を離れた瞬間、アーチェリー選手の顔に狂気のような喜びが浮かんだ。一本の細い残像が、風を切る音をさせながら雛の頭へ向かって伸びていった。〈了〉