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バジリスク

 翌朝の空は藍を溶かしたように晴れ渡っていた。僕はいつもよりも早く家を出て学校へと向かった。生まれたての雛と砕けた卵が交互に頭にちらついて、息切れするのも構わずに学校までの道のりを走った。


激しく息を切らしながら校門の前までくると僕は立ちすくんだ。校門が閉まっている。早く来すぎたせいで門を開ける先生がまだ来ていなかったのだ。僕は校門に手をかけながら迷っていた。校門はその気になればなんとか乗り越えられる高さだが、許可もなく校内に入るのはためらわれた。開門に来る先生が担任や教頭なら少し注意されるくらいで済むかもしれない。もし、最初に来る先生が生徒から鬼婆と呼ばれている教務主任の先生で、僕が校門に登っているところを見つかったら、あの甲高い金切り声で怒鳴られてしまう気がして怖かった。


 僕は校門から中を覗き込んでしきりにそわそわしていた。学校を囲う緑のフェンスに朝顔の蔓が絡みつき、紫色の花を咲かせている。門のそばの木に蝉がとまって鳴き出した。エンジンの音が近づいてきて僕は期待を込めて振り返ったが、一台のバイクがそのまま通り過ぎていっただけだった。


あと五分待って誰も来なければ門を乗り越えてしまおうかと考え出した頃、校門の前に黒いセダン車が止まり、担任の先生が降りてきた。


「あれ、おはよう。どうしたの、こんな朝から」


「おはようございます。ぼく飼育委員なんで小屋の掃除に来たんですが、早く来すぎて校門が開いてなかったんです」


「おお、そうか。ごくろうさん。今開けるから、ちょっと待ってて」


 先生は通用門の鍵を開けて中に入ると校門を開けてくれた。


「ありがとうございます」


「うん。じゃあ俺職員室にいるから、もしなんかあったら呼びに来て」


 先生が言い終わるのも待たずに僕は走り出していた。校舎の角を曲がり、校庭の隅に飼育小屋が見た瞬間、体から血の気が引いていくのがわかった。見慣れた飼育小屋の形がいつもと違うと、遠くからでもすぐに気がついた。僕は自分の目が信じられず、校庭を全力で駆け抜けた。


 小屋の屋根は吹き飛ばされたようにばらばらになってあたりに散らばっていた。緑の金網は破れて、割れたドアが地面に倒れている。小屋の中を覗くと、餌入れの容器がひっくり返って穀粒のからが地面に散らばっている。いつも突然羽ばたいては僕を驚かせた雄鶏も、卵の上にうずくまって喉を震わせていた雌鶏もいなくなっていた。無駄とは思いながらも、僕は今日孵るはずだったひよこの姿を探した。割れた卵の破片が落ちているだけだった。


僕は崩壊した飼育小屋を前にしばらく呆然と立ち尽くしていた。雷が落ちたのだと思った。悪夢の中にいるようでどうしていいかわからかったが、とりあえず先生に報告をしようと沈んだ気持ちのまま職員室へ向かった。


 職員玄関の前に着くと、ちょうど通勤してきた教頭が校舎に入ろうとしているところだった。教頭は半袖のワイシャツにネクタイを締めていた。


「やあ、おはよう。小屋の掃除は済んだのかい」


 僕は黙ったまま教頭を見上げた。


「どうした? 悲しそうな顔をして」


「昨日の夜、飼育小屋に雷が落ちたみたいなんです」


「えっ、ほんとうかい」


 僕は教頭を連れて小屋の前まで戻った。


「これは雷じゃないな」


 教頭は壊れた小屋の破片を手に取って確かめている。


「そうなんですか?」


「雷が多いからね、この辺りは避雷針が多いんだ。校舎の屋上にも設置してある。ここに落ちる可能性はほとんどないんだよ。それに、見てごらん」と教頭は破れた金網に触れた。


「ほら、破れたところが内側から外側に沿っている。これは内側から破られたんだ。それにしても、まさか野良猫が入ったとかじゃないよなあ。一体何がこんな」


 そこまで言うと教頭は何かに思い当たったように黙り、たちまち顔が凍りついた。


「バジリスクが生まれたのか?」


 教頭は独り言のようにつぶやいた。顎に当てていた手が細かく震えている。


「バジリスク? 何ですかそれ」


「卵はちゃんと割って捨てていたかい?」


 教頭は問いには答えず、いつもの質問を僕にした。いつもの優しそうな笑顔は浮かべておらず、目には怯えの色が

はっきりと浮かんでいた。僕は鬼気迫った教頭の目に気圧されて何も答えられずにいた。


「ちゃんと割っていたのか? どうなんだっ」


 教頭が声を荒げるのを初めて聞いて僕は身をすくめた。教頭に怯えと怒りの入り混じった目でみつめられ、僕は罪の自白を迫られていような気がして、黙ったまま目を逸らした。教頭は目を伏せる僕の仕草で悟ったらしかった。教頭は顔に恐怖の色を浮かべたまま、何かを探すようにぐるりと校庭を見渡し、それから校舎を見上げた。


「まさか校舎に入ったのか?」


 一人呟く声がかすかに震えているようだった。


「君は校門のところにいて、誰か男の先生がきたらすぐ校舎に来るよう伝えてくれないか? それから、もし生徒がきたら校舎には入らないように止めて欲しい」


 教頭はそう言い残し、ひどく慌てた様子で校舎へ駆けていってしまった。教頭の怯えきった様子に僕はひたすら混乱しながら、急いで校門へと走った。


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