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Guilty Pleasure

その夜、僕は学習机にカレンダーを広げると、今日から二十一日後の日付を確かめ、七月三十日を赤いマジックで大きく囲んだ。その日から毎日、夜寝る前にその日の日付を斜線で消すのが楽しみになった。雌鶏は飼育小屋の隅で卵と石の上にうずくまって動こうとせず、僕は雌鶏の近くに餌と水の容器を移してやった。カレンダーの斜線が増えていくごとに気分が昂まっていった。僕は毎日昼休みになると図書室へ行き、「にわとりの育て方」を手にとっては飽きることなくひよこの写真を眺め続けた。


 終業式がすぎて夏休みが始まった。朝の通学路からランドセルを背負った小学生の姿が消えて、かわりに野球やサッカーのユニフォームを着た子たちが、スポーツバッグを下げて通り過ぎていった。公園で女の子がブランコに乗ったり縄跳びをしたりして遊んでいる。緑の木々が涼しい風に吹かれてかすかに枝を揺らし、重なった葉の奥で油蝉の鳴き声がした。僕は毎朝八時を少しすぎた頃に学校へ行き、鶏の世話をした。


 気がつくと、雌鶏が卵を抱いている姿を見るのが一日で一番楽しみな時間になっていた。雌鶏は卵の上にうずくまったまま動かず、僕が近づくと、ゆっくりとまばたきを繰り返しながら喉を震わせるような声で鳴いていた。花壇に糞を蒔いている僕に、ジョギングにやってきたアーチェリー選手が声をかけてきた。


「よう、おはよ。鶏の世話?」


 アーチェリー選手は毎朝規則正しく校庭に現れ、ストレッチしながら僕と少し雑談し、体をほぐし終えると校庭を走り始めた。それから夏休みの朝は花壇の前でアーチェリー選手と話すのが日課になった。


「なんでアーチェリー始めたの?」


「アヴェンジャーズって映画観たことある? あれに出てくるホークアイって弓使いのキャラがでてくるんだけどさ。その人がばんばん弓で敵倒すのがかっこよくて、俺もやってみてー! ってなって。まあ本当は、生き物には絶対弓を向けちゃ駄目なんだけどね」


「アーチェリーおもしろい?」


「すげえおもしろいよ! 真ん中の黄色いところが中心点っていうんだけどさ、あそこに当たると、よっしゃー、ってなる! 最初は全然当たんなかったけどね。でも今は、これは当たった、てのが射った瞬間にわかるんだ。インドアなら狙って当てられるよ」


 アーチェリー選手は競技の話になると饒舌になり、ルールや練習メニュー、大会の様子などを嬉しそうに教えてくれた。


「今度さ、弓と矢持ってきて見せてやるよ」


 ひよこが生まれたらアーチェリー選手に一番に見せよう、どんな顔をするかな。そう考えながらアーチェリー選手と話をするのは楽しかった。


 カレンダーにつけた赤丸が一週間後に迫り、夜は気分が高まってなかなか寝付けず、朝は目覚ましが鳴るよりも早く起きた。もしかすると卵はもう孵っているかもしれない、そう思うと学校に向かう足取りが自然と早くなり、校門を過ぎると小屋までは駆け足になった。小屋に入り、うずくまったままの雌鶏を見るたびに高揚した気持ちがたちまちにしぼんで、もどかしさがこみ上げた。


 夏の陽射しは日ごとに強さを増していった。夕方や夜には、昼の暑さを洗い流すように強い雨が降った。カレンダーは次第に斜線で埋まった。カレンダーの赤丸がいよいよ翌日に迫っていた夜、僕は父さんと母さんと二年生の妹と近くのガストへ食事に出かけた。メニューを注文し終え、妹とドリンクバーをついで戻ってくると、「あっ」と妹が窓の外を指差した。


「今、空光った。雷」


 窓の外は暗く、ガラスに店内が反射して見えにくかったが、よく目をこらすと遠い夜空に稲妻が走っていた。窓ガラスに一粒二粒水滴が落ち、やがて無数の雨粒が激しく窓を打ち始めた。


「今日も暑かったからなあ」と父さんがぼんやり外を眺めてつぶやいた。


「暑かったから雨なの? なんで暑いと雨が降るの?」


「湿った空気が太陽の熱で温まると空に上がって雲になるんだ。夕方や夜になるとその雲が雨になって降ってくるんだよ」


「なんで空気が温まると空に上がるの?」


「うーん、説明が難しいなあ」


 子供にも分かりやすい言葉を選んでいるのか、父さんは腕を組み、ときどき考え込むように唸りながら妹の質問攻めに答えていた。僕は時折輝く空を眺めて湧き上がる不安を感じていた。雷が小屋に落ちて育った卵が砕けてしまうような気がして落ち着かなかった。


 食事を終えて店を出る頃には雨はすっかり上がっていた。濡れたアスファルトに外灯の明かりが滲んだように反射していた。まだ遠くの方で空に稲妻が走るのが見えた。その夜僕は落ち着かない気持ちを抱えたままベッドに潜り、朝を待った。


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