5.
胸に広がるこの気持ちは、この感情はなんだろう?
ぼうっと窓の外を眺めながらそんな事を考える。
最近、そんなことばかり考えている。
あまりにもぼうっとしているからか両親やマーリンにはどうしたのか?と心配をかけてしまっている。
しっかりしなければと頬を叩くも、完全に振り払うことは出来ず気付けば同じことの繰り返しだった。
あの日以降も、リーリアは変わらず昼は決まって彼の元を訪れた。
時折お気に入りのお菓子を持ち込んで、彼と共に過ごす時間が今ではとても掛け替えなく大切な時間になっている。
…けれど
居心地のいいはずの彼の隣はなんだか最近では酷く落ち着かない気持ちになるのだ。
胸がドキドキなって、彼の顔を見るだけでふわふわとした気持ちが沸き起こる。
彼に頭を撫でてもらうとあまりの気持ちよさにゴロゴロとなる喉を止めることが出来ない。
彼の優しげな瞳が、その微笑みが堪らなく嬉しくてちょっぴり恥ずかしい。
お菓子よりも甘いこの胸の疼きがなんなのか…
今のリーリアにはまだ分からない。
ただ、傍にいたいと思った。
猫の時だけでなく、出来れば本来の姿の時も…。
人として、彼にリーリアを見てもらいたかった。
けれど、それは出来ない。
彼は貴族で、リーリアは平民だ。
身分差は勿論のこと、彼は私が猫だと思っているからこそあんなにも優しいのであって、もし人だとバレてしまったら…それこそ変態だと罵られ蔑みの視線を向けられることだろう。
それだけはどうしても嫌だった。
でも、彼に嘘をついているこの状況がリーリアはいつしか苦しくて仕方なくなっていった。
彼には嘘をつきたくないと思ってしまったから。
本当のことを打ち明けてしまいたい…
けれど、それはこの心地よい関係に終止符を打つということだ。どうすればいいかなんて、馬鹿なリーリアには分からない。猫のままでいれば、学園にいる間は彼とずっと共に入れる。
分かっている、なのに…
どうして涙があるれるのだろう?
「…ア。リー…ア」
ぐるぐる
ぐるぐる
なんだか目が回りそうだ。
「リーリア!」
バンッ!と机を叩く音にびくりと肩が跳ねた。
慌てて振り向けばそこには険しい顔をしたマーリンがいた。
「び、びっくりした…どうしたの?」
「それはこっちのセリフよ!あんた最近本当に変よ?どうしたのよ。普段能天気に振舞ってるあんたが…悩みでもあるの?聞いてあげるから、ほら。そろそろ帰るわよ」
「え?授業は?」
「授業なんてとっくに終わってるわよ、もぅ!」
「うそっ!」
慌てて時計を見れば確かにとっくの昔に授業は終わり、いつの間にかHRも終わっていた。
なんなら教室に残っているのはリーリアとマーリンの2人だけだ。
「えぇ、いつの間に…」
「ほら早く!帰るわよ!」
「ま、待ってよー!」
リーリアの鞄を奪い取ったマーリンはさっさと教室を出ていってしまう。慌ててあとを追い玄関へと向かったその途中で、ふと窓の外に目を向けた時。
ドキンッ!
リーリアの胸が高鳴った。
視線の先には大好きな彼がいた。
しかし、そこにいる彼はリーリアの知る彼ではなかった。
彼はいつも浮かべている柔らかい笑みはなく、酷く冷たい顔をしていた。鋭利な刃物のように鋭く冷たい瞳には何も写っていないかのように嫌に澄んだ眼差しをしていた。
ピクリとも動かないその表情はまるで仮面を張りつけたかのようで…以前見た能面よりは多少マシだが、あんなにも冷たい顔をする彼がなんだか悲しくなった。
けれど、彼の近くにいる女性達はそんな彼の姿を見つけると恍惚とした表情を浮かべるのだからあまりの温度差に首を傾げる。
「リーリア?何見てるのよ」
「…あの人」
「ん?あぁ、氷の王子ね」
「氷…?」
「あんたまさか知らないの?!彼、この国の王子よ?
自分の国の王子の顔くらい知っときなさいよね…」
「おう、じ?」
その言葉が上手く飲み込めない。
しかし、良く考えればあのピンクピンクしい女生徒に彼は『でんか』と呼ばれていなかったか?
もし、それが『殿下』だったとしたら…彼は王族なの?
「そう、この国の第2王子様。
王族ならではのバカ高い魔力に繊細な魔力コントロールで難易度の高い魔法をバンバンうてる天才!リーリアみたいに詠唱破棄もできるみたいよ?
他にも、学園に入学してから1度も首席の座を譲ったことがないくらい頭が良くて、剣術大会でも騎士団長の息子を押さえつけて優勝したとか。
欠点らしい欠点も特になく眉目秀麗・文武両道なんでも出来るハイスペック王子様って噂よ」
「へぇ、すごいんだね…」
まさか彼が王族だったなんて…
しかも、第二王子でなんでも出来る天才らしい。
平民で魔法は得意な方だけれど優秀でもなんでもない、それどころか一般的に忌避される変身魔法使いのリーリア。
ただでさえ遠い存在だったのに…
余計に遠くなってしまったと酷い絶望感に目の前が真っ暗になった。ズキズキと痛む胸を抑えて、それでもジッと彼から視線を外すことが出来ずただ静かに見詰めていた。
「ただね『氷の王子』なんて寒い二つ名が付くくらいには人にも自分にも厳しいし、何よりピクリとも笑わないあの鉄面皮!それはそれで女性たちにはクールでカッコイイ!なんて人気だけど…あたしは好きじゃないわね。
そもそも、本当に完璧な人間なんているわけないし、あの透かした顔がなんだかいけ好かなくて好きじゃないのよねぇ。ま、観賞用としてなら見れなくもないけど」
「…そう」
なかなかどうしてマーリンの不敬すぎる発言にもリーリアは全く反応しない。ボンヤリと彼の人を見つめ続けるリーリアの横顔をマーリンはじっと見つめた。
悲しくも恋い焦がれる顔をした幼馴染の顔を。
当のリーリアは、隣にマーリンがいることすら忘れてまたボンヤリと思考の海をさまよっていた。
…なんて、似合わない名前だろうか。
彼は本当はとても優しくて、温かい人なのに。
決して、氷のように冷たい人ではないのに。
それどころか、春の麗らかな温かな風のようにフワリと優しく包み込んでくれるようなそんな安心感を与えてくれる人なのに。
彼に氷なんて、似合わない。
寧ろ…
「…ねぇ、リーリア。あんたはあーゆーのが好きなの?」
突然の問いかけに、ドキリと胸が跳ねた。
何故だか、顔や耳がが熱くて堪らない。
まさかそんな!私が?彼をすすすす好き?!
「え?!な、なにゃにゃにゃにお?!」
ぐるぐるぐるぐる
グツグツグツグツ
目が回って、頭の中が熱で沸騰する。
なんでこんなにも恥ずかしい気持ちになっているのか。
何をそんなにも慌てているのか自分でも分からない。
上手く言葉が出てこなくて、自分が何を言っているのかも分からなかった。
そんなリーリアの姿に、一瞬マーリンは瞠目したが直ぐに呆れたように息を吐いた。
「…まさか、気付いてないの?」
「な、何が?!」
パタパタと手で顔に風邪を送って何とか冷まそうとしているリーリアを尻目に、マーリンは顎で彼を示した。
「あんたの最近の悩みってもしかしなくとも彼でしょ」
「なっ!ななななんでそれを?!」
「見てればわかるわよ、あんたわかりやすいんだから。
どこで接点持ったのか知らないけど…それはただの憧れの感情なの?それとも…」
「それとも…?」
「ま、いいわ。ほら、そろそろ帰るわよ」
「えぇ?!そこでやめるの?気になるんですけど」
「ハイハイ、ほら行くわよー」
「もー!待ってよー!」
最後にチラと視線を彼に向けると一瞬、目が合った気がしたけれどきっと気のせいだと背を向けた。
マーリンが言いかけた言葉がなんだったのか?
今のリーリアには分からない。
分からないけれど…近い将来、知ることが出来る気がすると漠然とそう思えばなんだか嬉しくて自然と笑みが毀れた。
パタパタと忙しなく去ってゆく彼女の姿を彼もまたジッと見つめていたことに気付かないまま。