10.
間違えて人として会ってしまった日から早2週間。
あれからもリーリアは変わらず猫として過ごしていた。変わったことと言えば、彼が殊更甘い雰囲気を醸し出すようになったことくらいだろうか…
こちらが思わず照れてしまうほどのキラキラとした笑顔で、まるで口説いているかのような言葉を発するのだ。そんな彼に最近はリーリア自身戸惑いつつも嬉しい気持ちが込上げる。
しかし、所詮リーリアは『猫』だ。
猫としてしか彼と接することが出来ない現実に胸が苦しくなってくる。けれど今更、実は人間でした!とカミングアウトして彼に軽蔑されたくなかった。
この世界では変身魔法は…変態の技なのだ。
リーリアは天才なだけで変態では無いけれど、彼に侮蔑の視線を向けられ『この変態め!!』と罵られる事が酷く恐ろしかった。
けれど、彼の事が好きだからこそ彼には打ち明けてしまいたい。今の騙し続ける状態が苦しくて仕方がないのだ。
万が一、億が一…彼が本当の自分を受け入れてくれたなら…とそんな有り得ない妄想を繰り返す。
「にゃあ…(はぁ…)」
そんな、甘くも苦いお菓子タイムを過ごした後、リーリアは悶々と1人校舎に向かって歩いていた。
すると、何処からか甘い匂いが漂ってきた。
…ん?なんか、甘い匂い…あま…いや、くさっ!?
えぇ?!何この匂い?!あっま!甘ったるすぎて気持ち悪くなってくる程のこの匂いは確か…
「やっと見つけた!!」
「にゃ゛?!!」
突然、茂みから現れたのはいつか見たピンク髪の女の子だった。彼女は驚き固まるリーリアの首根っこを乱暴に掴むとニヤリと不気味な笑みを浮かべた。
「ふふふふふ!やーっと捕まえた!!いつもいつも勝手にフラフラフラフラと!!これだから猫は嫌なのよ!」
「にゃにゃ…に゛ゃ!?(え、えっと…くさっ!?)」
ムワリ…先ほど感じたのと同じ、しかしそれ以上に強烈な匂いが鼻を刺激した。
うにゃぁぁあ、くっっっさぁ!!!
なんでこんなくっさいの?!
いつもいつも香水みたいな甘い匂いしてたのは知ってるけど!この距離はやばい!!鼻が曲がる!!
ただでさえ猫になって嗅覚が人より良くなっているリーリアにこの至近距離の彼女の匂いはまさしく毒である。
あまりの臭さに悶えるリーリアは必死に離れようと藻掻くも以外にも力が強くなかなか離してくれない。
「あんたね!猫の癖に私の殿下に気安くまとわりついてんじゃないわよ!一緒にお菓子食べるわ、撫でてもらうわ、殿下の笑顔独占するわ!!
私なんか未だに彼に名前を呼ばれたことも無いのに!!どうせ私が殿下にあげたお菓子もあんたが食べたんでしょう?!」
いやいやいやいや!!!!!
あんなもの食べられるわけないじゃん!!
アレは最早、食への冒涜だよ…?!
そ、それより逃げなきゃ!!超臭い!!!
「にゃにゃあ!!(離して離して!!)」
「こら!暴れるんじゃないわよ!!このっ、泥棒猫!!」
「にゃ?!(はぁ?!)」
いや、確かに猫だけど…!何かを盗んだことは無いですよ?!それに猫に向かって泥棒猫っている人初めて見たよ!?
「マーリンもマーリンよ!自分の猫の躾くらいちゃんとしなさいよね!!…でもこれでゲーム通り上手くはずだわ!」
なんでそこでマーリン?
げぇむ?この人、何言ってるんだろ?
「猫!今までの分含めてちゃぁ~んと仕事しなさいよね!
じゃないと私が殿下とハッピーエンドを迎えられないでしょ!」
「にゃ?(は?)」
「私はヒロインなの!殿下は私のものだって運命で決められているのよ?なのに、あんたがマーリンの傍に居ないからゲーム通りに情報もアイテムもくれないのよ?!そのせいで殿下には素っ気なくされるし、イベントは発生しないの!!全部全部あんたのせいなんだから!!責任取ってよね!」
「…」
この子…な、何言ってんの?
ふと、その時。
いつの日か食堂でマーリンが言っていた言葉が頭を過る。
『最近、変な女がいるみたいよ』
『香水かなにか知らないけど兎に角甘ったるい匂いを全身から醸し出してるのよ。気持ちが悪くなるほどね!』
…あぁ!!マーリンの言ってた『変な女』だ!!
マーリンの言う通りこの人あ、頭大丈夫かな?
い、いや…大丈夫だったらこんなこと言わないし、何よりあんなもの生成する人がまともなわけないよね…うん。
それにしても…ひろいん?いべんと?ってなんの事だろう?
あと、殿下って『彼』の事だよね。
彼に素っ気なくされるのが私のせいみたいな事言ってるけど…それ絶対あなた自身の問題でしょうに。
思わずため息が漏れた。
すると、目の前の彼女は馬鹿にされたと思ったのか顔を真っ赤にして怒り出した。
「ちょっと聞いてんの?!…何その顔、猫の癖に生意気なのよ!このっ!!」
「にゃ゛!」
視界がぶれ、全身に激痛が走った。
一瞬何が起こったのかわからなかったけれど…
どうやらリーリアは投げ飛ばされたようだ。
「けがわらしい獣風情がヒロインである私を馬鹿にするのがいけないのよ!!この世界は私の為にあるの!モブですらないただの猫が私の王子に擦り寄っていいわけがないのよ!」
「ぅぎゃ!!」
女はそう叫ぶと、倒れているリーリアの腹を蹴りあげ踵で踏んずける。何とか逃げようともがくも痛みでまともに動くことが出来ない。
痛い痛い痛い!!
怖いよ…誰か、助け
ガサリ…
草むらをかき分ける音にリーリアを蹴っていた足がピタリと止まった。やってきたのは見知らぬ男3人。
格好から貴族らしい彼らはボロボロのリーリアの姿に瞠目したあと直ぐに視線をピンク髪の彼女に移した。
「チェルシー、どうした?」
「何だこれは…」
「うっわ、チェルちゃん触っちゃダメだよ!」
彼らはどうやら彼女の知り合いだったらしい。
一瞬、助けが来たかと期待したリーリアは目の前が真っ暗になった。
彼らは恐らく、例の『チョロい高位子息達』だろう。彼らはピンク髪の取り巻きだ。噂では学園内では彼女とともに色々と問題を起こしまくっているらしい。
「あら、皆。丁度いいわ、この猫連れていってちょうだい」
「は?こんなのどうするのさ」
「ちょっとね」
「まぁ、チェルちゃんが言うなら…」
「…仕方がない。俺が持っていこう」
リーリアの前に膝を着いたのは赤く長い髪をした男だった。
顔を顰めている彼の顔はとても恐ろしかった。
大きな手がリーリアに近づいてくる。今度は殴られでもするのかと体を強ばらせた。
「…可哀想に」
ポツリと呟かれたその言葉と共にやってきたのは痛みではなく暖かい温もりだった。恐る恐る目を開ければ、ふわりと優しい光に体が包まれ痛みが引いていった。
「にゃぁ…」
リーリアを抱き上げた赤髪の彼は先程と同じく顰められ一見恐ろしい顔に見えたが…その瞳だけは優しく微笑んでいた。
その瞳に思わず安堵したリーリアはそのまま意識を手放した。




