しらたまさんとの小説その6?
昔の記憶は大抵が曖昧で忘れていることも多いが、この事だけは鮮明に頭に残っている。
「親父より偉くなったら結婚するんだよ」
そう言ってあなたが出した拳の中には小さなおもちゃの指輪が入っていた。
「ありがとうございます。楽しみにしてますね」
確かにあなたはそう言ったのだ。20年前、自分が誠心誠意を込めて渡した指輪には好きな人への嘘偽り無い気持ちがあった。
「しらたま様本日の朝食のメイン鮭のムニエルでございます」
「ありがとう」
今日も変わらない1日で変わらないあなた。多分自分が産まれた時から変わらないのだろう。
親父とは同じ朝食のはずだが、席は違う。これも昔からの習慣。
「零」
「なんでしょう」
「親父は?」
「旦那様は先程お出になられました」
何か今日はあるのだろうか。いつも自分より遅い親父に対してこの返事は珍しい。
「パソコンの調子が悪いんだ、見ておいてくれる?」
「承知しました」
そう言ってあなたは頭を下げる。
執事と雇用主の息子という関係は23年ずっと変わらない。これからこの関係に変化などあるのだろうか。
「ご馳走様」
「お車の準備をさせていただきます」
今日も親父の会社に行く、普段の変わらない日常が待っている。
「おはよう」
「おはよう」
社長の一人息子という肩書きは会社では何の意味もなさない。同僚も上司も普通社員扱いだ。
「今日は社長が遅いから気楽に行けるよなー」
「え?今日は俺より早かったみたいなんだけど」
「そうなの?じゃあなんか寄り道かな」
「パンケーキ食べてるのかも」
「官房長官じゃあるまいし」
「そもそもこんな朝から空いてるか!」
他愛の無い話で今日も1日が始まる。
「疲れたー!」
「おう、お疲れ様ー」
「あれ課長まだいるんですか?」
「うんうん、久しぶりに残業だよ。管理職はサービス残業だから辛いね」
「その分普段もらってるじゃないですか」
「あ、バレた?」
「じゃあお先に失礼します」
「おう、明日もよろしくなー」
「しらたまー今日は飲みに行かねー?」
「うーん、今日は帰る」
「そっかまた明日なー!」
「おう!」
会社の地下の駐車場に潜るといつも通りのあなたがいる。
「お疲れ様です。しらたま様」
最初は社会人になっても車の送り迎えと聞いて抵抗したが、今ではすっかり慣れたものだ。
「零もお疲れ様」
車の助手席に乗り込む。
何度も後ろに乗るように言われたが、社会人になると好きな人に接近できるチャンスがあまり無いので最近はずっと助手席だ。
何度も引かない自分に、あなたはどう思ったのだろう。
「それでは発車します」
都会の明るい街並みを黒のセダンが静かに走る。
その衝撃は突然やって来た。
「お見合い…」
父が今日早かったのはそのためだったのだ。
相手は有名な財閥の次女らしい。今どきあるのかという、完全な政略結婚だ。
助けを求めてあなたを見るが、あなたは何故か目を背けた。
「まぁ、気に入ったらの話だから」
そこには自分の意志の決定権など無いような気がした。
その日の夜。
自分が子供の頃に使っていた部屋から明かりが漏れているのを見つけた。
「誰かいるの?」
どうしてあなたがここにいるのか。今一番2人きりで会いたいあなたが。
「申し訳ございません。少し部屋の整理をしてまして」
「…なんかある?」
「ええ、懐かしい物が色々と」
唾を大きく飲み込み聞いてみる。
「あのさ、お見合いの話どう思う?」
「良い話だと思いますよ」
そうじゃないんだよ。俺は…
「なんで良い話だと思う?」
「旦那様が持ってきた話ですから」
あぁ、今も昔もあなたの雇い主はずっと親父なんだ。俺は雇い主の子供なんだ。23年ずっと。じゃあいつになったらこの想いは届くのか。もう一生届かないのか?だったら…
「零…」
人が一人倒れた大きな音が近くでする。
あぁダメだ。この想いは本物なのに。
大きく見開かれたあなたの目を覗き込むとそのままあなたの身体を貪った。
朝目覚めると昨夜自分が好きな人を冒した部屋にいた。
胸元からあなたの香りが漂ってくる。
起きて見ると普段見慣れたスーツが自分の上に被せられていた。
悲しいのは自分ではないはずなのに。
何故か涙が止まらなくなった。
お皿の割れる音が遠くで聞こえる。
「零さん!もう何ぼうっとしてるんですか!?」
耳の近くでメイドの金切り声が響く。
「すみません。考え事をしてしまって」
「どうせしらたま様のことでしょう?昔から零さんはしらたま様に甘いんだから」
「そうでしょうか?」
「そうですよ。お見合いだって嫌だったくせに」
素直に驚いた。周りにはそんな風に見えてたのか。
「それより2枚もお皿割られたら仕事になりませんからしらたま様の昔の部屋早く片付けちゃってください。新しい夫婦の部屋になるんですから」
「すみません。本来私が言うべきところを」
「はいはい」
しらたま様の昔の部屋はだいぶ使われていない。昨晩も片付ける為に入ったのだが…
(しかし23年ですか)
23年の片想いは純粋に嬉しかった。一緒に居た時間が長いせいで良いところも悪いところも全部見てきた。
ただ嬉しかった、だけで済む話ではないのだ。
自室に戻って掃除する格好に着替える。何かが手に触れて小さな音をたてて落ちた。
(これは…)
しらたま様が3歳の頃、初めて他人にあげたものだ。小さなおもちゃの指輪。
あの時の記憶を鮮明に思い出せる。
小さく弱々しい手なのに何故か力強く思えた。この先も誰かを力強く守っていけるのだと思えた。
着替えを終えて指輪を大切にしまい、部屋に行く。埃っぽい部屋に昨晩の跡が嫌でも目に入る。
(20年間誰も見向きもせずに…)
なぜ自分だったのかは分からない。最初は戯言に過ぎなかったはずなのだ。
彼の中でいつ本物の恋に変わったのだろう。
気を取り直して部屋の片付けに切り替える。
今度の日曜の後には素敵な彼女を連れてくるのだから。
日曜日。
ベッドから降りなきゃ1日は始まらないと、固く決意していたが…。
「しらたま様お時間過ぎてますよ」
優しい声が耳をくすぐると、つい聞きたくなってしまう。
「い、や、だ」
「もう大きくなったのですから駄々をこねないでください」
「大きくない!」
「私から見れば充分大きいですよ、だから早く起きてください」
「まだ大丈夫だもん!」
さっきからこの会話をずっとループしてる気がする。実は大丈夫じゃない時間なことは分かっているが、行きたくないものは行きたくないのだ。
「仕方ありませんね」
零がため息を付いて去って行った。
まさか諦めた訳ではあるまい。
警戒心むき出しのままベッドに潜っていると、次第に懐かしい香りが漂ってきた。ドアを開ける音がする。
「しらたま様、あなたが1番好きなオニオングラタンスープです」
子供の頃、人一倍身体が弱かった。すぐ風邪をひいた。そんな時に料理長ではなく零が作ってくれたのが、このオニオングラタンスープだ。
(これで言うこと聞くと思って…)
と思ったと同時に、お腹がせっつく様に大きな音をたてた。
ゆっくりと篭城していたベッドを明け渡す。
目の前には美味しそうなオニオングラタンスープが湯気を立てて、置いてある。
(結局…)
あなたにとっては俺はあやすべき子供ということか。
一生懸命涙を堪えて食べたオニオングラタンスープは何故か塩の味がした。
お見合いには付いていかない。それが決まりだからだ。今日中に部屋を片付けなければならない。
部屋を片付けていると、捨てるものか捨てないものか判断に迷う時がある。
例えば今目の前にある本もそうだ。
初めて自分で選んだ大学に行きたいと旦那様に反抗し、しらたま様本人が買った参考書。
結局難し過ぎて内容が分からず教えた思い出がある。
しらたま様の幸せのために23年尽くしてきた。実はそれが契約内容だったからだ。
(私の大事な息子の専属の執事になってくれ)
自分が雇われた時の優しい手の皺を思い出す。
これから好きな女の人ができて、結婚して幸せな一生を過ごすはずだった。
(それが何故分かりやすい政略結婚の見合いなんか…)
旦那様の考えは1歩先に行くので正直その考えを理解できた試しがない。
本を捨てる方に持って行こうとすると、近くの机の上に見覚えのあるスーツが乱暴に置かれているのを見つける。
(これは…)
いつぞやにしらたま様に掛けた自分のスーツだ。
(涙の跡がある…)
どれだけ好きだったか。どれだけそんな表現しかできない自分が悲しかったか。
(そこまで…)
追い詰められていたのか。
気付けば部屋を飛び出していた。
「では後は若い2人に任せて…」
会ってその人が良い人なのは分かった。年上で落ち着いていて、しっかりした自分を持っている。
ただ良い人だから好きになれるかと言うと、そう人間は単純に出来ていない。
「お庭を廻りませんか?」
いつまでも黙っている自分に困惑したのだろう。ゆっくり立ち上がる彼女に黙って付いて行く。
「そろそろ薔薇が綺麗な季節ですね」
「お花に詳しいのですか?」
「常識程度です」
薔薇がいつ咲くか分かるのは常識なのだろうか…
庭はあるが薔薇がいつ咲くのか気にしたこともない。
これからこの女性と一緒になれば色んな常識を教わるのだろうか。それはそれで良い人生かもしれない。
「晴れていればお庭も綺麗でしたのに」
「曇りでも花は綺麗だと思いますが」
「そうですか?やはり日の光を浴びた方が綺麗に見えると思いますが」
花の美しさに天気が関係するのだろうか?
すると突然腕を引っ張られてそのまま抱きしめられる。
(この感じ…)
「すみません、お嬢様。この方は私の大事な方なので持ち帰らせて頂きます」
懐かしい声がする。懐かしい香りがする。23年その腕の中で育ったのだ。
「行きますよ」
軽く頷くとどちらともなく手を取って走り出した。
「それで責任を取りたいと」
「はい」
応接室には重い空気が漂っている。
「責任をどう取るつもりなのだ」
「辞めます。今後こちらの家には一切関わりません」
「父さん!辞めさせるなんて言わないで。俺が悪いんだ。手を振りほどかずに付いて行った俺が悪いんだ」
「それがお互いの本心か」
「…違います」
「本心を言ってみたらどうだ。責任がどうと言わずに」
「…私の役目は息子さんを幸せにすることでした。しかし息子さんが一生かけて愛した相手は恥ずかしながら自分です。今回のお見合い相手より自分の方が幸せにできると思ったら」
「つい身体が動いていたと」
「…申し訳ありません」
「それだけか」
「いえ…23年息子さんだけをずっと見てきました。良いところも悪いところも知っています。全てを知っているからこそ…これほど愛したい人がいた事を初めて知りました…」
あまり表情の変わらない零の顔が少し赤くなる。初めてかわいいところを見た。
「しらたまは」
「俺の気持ちは変わらない。20年間ずっと零が好きだし、今後他の誰かを好きになることもない。そして零を幸せにするために親父を超える」
旦那様が小さく息を吐いて重い声を出す。
「2人共出ていきなさい」
やはりそうなったか。厳しい旦那様のことだ。
「愛し合ってるなら2人で生活してそれを私に証明しなさい。そして私を超えるならしらたまはまず自立をしなさい。先方にもちゃんと自分で謝るように」
この答えは意外だった。
優しい皺のある手が自分の頭をなでる。
「息子を幸せにしてくれてありがとう。今度はあなたが一緒に幸せになりなさい」
ここで今日のお見合いの意味が分かった。本当に旦那様は1歩も2歩も先を行く。
アパートを借りた。
そう言うだけなら単純だが、経緯は大変だった。仕事もイチから探さねばならなくなったし、親父の名前を出さなければ受かるのも大変だった。
金銭感覚も、今までがおかしかったことも分からず苦労した。でも傍に零がずっと居たから何とか1年を無事に過ごすことができた。
零も執事を辞めて家政夫として再出発していた。
始めは「働かなくていい」と大見得を切ったが、実際零が働かなければ生活はもっと苦しかっただろう。
これが普通の人の現実だと、嫌というほど知ったが、案外悪くないと思う自分もいた。
夕方、会社から帰ってくると良い香りが部屋中に漂ってきた。
台所には何かを熱心に作っている零がいる。
隣に立ってようやくこちらに気付いてくれた。
「何作ってるの?」
「車海老のブイヤベースですよ。エビの殻からいい感じに出汁が出て…」
説明してくれるあなたが愛しくて抱きしめる。
「ブイヤベースより零が食べたい」
「出来たてなんですが…」
「人間だって酸化するよ、人間のほうがいつも出来たてだよ」
「…自分で何言ってるか分かってます?」
「分かってない。零食べたい」
あなたが小さくため息をついても撫でてくれるのが嬉しい。
「少々お待ちを。離して頂けないと冷蔵庫にも入れられませんよ」
「うん。後でちゃんと食べるから」
ベッドでゆっくり横になると愛おしさがどんどん止まらなくなる。
「好き…ずっと一緒に居て…」
「あなたの望むままに」