今夜、勇者とバーで。
雨が、降っていた。
窓ガラスに当たった水滴は、落ちていく過程で他の水滴とくっついたり、或いはまた別れたりを繰り返して地面に向かっていく。
さながら人間のようだな、と私は思った。
人も、出会っては別れ、仲良くしては喧嘩し、産まれては死んでいく。
全く同じだ。
自嘲気味に笑う。
いけないな。
雨を見ると、どうしても気分が落ちるような気がする。
落ちた気分を洗い流すように、手許のグラスを呷る。アルコール特有の熱さが喉から胸へと下がっていくのを感じた。
雨降る夜の様子を見ていたら、窓ガラスに男が映った。
どうやら私の方を見ているようなので、何か自分に用があるのか、と顔を向ける。
そこには若い青年が立っていた。
彼は上品な言葉遣いで私に訪ねた。
「相席、よろしいですか?」
周りを見れば、バーの中はかなり混んでいる。一人で四人席を使うような贅沢で空気の読めない人間は、私だけのようだ。
私は微笑んで彼に言った。
「ええ、どうぞ。」
「ありがとうございます。」
彼は静かに笑って、優雅な所作で席に着いた。
青年は若く、まだ少年といっても過言でないような見た目である。
しかし、それでいて、まるで老人のような落ち着きもあり、正直、仙人が少年に化けていると言われても驚かない。
不思議な印象だ。
でも、最近の若者はませているからな。
私が彼ぐらいの年齢のときは、もっとやんちゃだったように思う。
立ち振舞いも雑で、大声で笑い、口調も粗野で、にぎやかだったはずだ。
思い返せば懐かしい日々だが。
もう二度と戻らない。
思い出してはいけない。
私は心の中で頭を振る。
なにかしゃべらなければ。
せっかく相席なのだ。互いに背を向けて呑むわけにはいかない。そう思って、彼に聞いた。
「お一人、ですか?」
うん、我ながら話すのが下手だと思う。
相席を聞いてくるのだ。一人には違いはないのだろうが、しかし良い話題が思い付かなかったのだ。
「えぇ。気ままに一人旅をしているのです。」
彼はゆらゆらと手元のグラスを揺らしながら言った。
「貴方もお一人ですね?」
私は頷く。
「ええ。月に1、2回来るのです。此処は雰囲気が良い。」
人の入りは多いが、下品な連中は少ない。かといって、王都から離れているため、貴族主義の気取った連中も少ない。
ちょうど良い具合に上品で、ちょうど良い具合に庶民的な、実にバランスのとれた空間だ。
とても良いバーだと思う。
「この近くにお住まいで?」
「いや、それほど近くではありません。人里離れて暮らしているので、時折人と喋るために来るのです。」
彼は首をかしげた。
「そんなに、普段は人と話さないのですか?」
「ええ、私の家は、人間が一人しか住んでいませんから。」
だから、時折はこうして人と喋らないと、人とのしゃべり方を忘れそうになるのだ。
彼は微笑む。
「一人暮らし、ですか。僕も、旅に出るまではとある村で一人暮らしをしていました。」
「そうなんですか。若いのに、一人暮らしはすごいですね。」
私は驚いた。
目の前の青年は、話し方といい、グラスの持ち方やその他の所作が上品だったので、どこかそこそこ裕福な家の生まれかと思っていた。
従者はつけていないので、そこまで大金持ちではないだろうだとは思ったが、まさか一人暮らしとは。
彼はグラスに口をつけた。
「えぇ。家族はとうにいません。しばらくはその村で医者の真似事をして暮らしていたのですが、すこし、目的が出来て。」
「医者、ですか。」
私はまた驚いて復唱した。
目の前の青年は、医者となるには若すぎるような気がする。
この国では、医者になるには何年も専門の教育を受ける必要がある。とても彼のような年齢で取得できる資格ではない。
彼が頭を振った。
「いえ、真似事ですよ。僕は少々治癒系の魔法が使えるので、応急措置ぐらいはできるのです。」
確かに、それなら医師免許は要らないかもしれない。
「治癒魔法ですか。それは素晴らしい。」
しかし、例え治癒魔法の適正があったとしても、行うのは難しい。
その上、彼ほどの若さで、治癒魔法を自在に操り、医者(の真似事だとしても)を行うのは、よほど優れた者だということだ。
彼は少し照れたように笑って目をそらした。
しかし、それでは村を出て一人旅をする必要性は感じられない。
通常医者は大きな街にしかいない。
彼は正式な医者でないとはいえ、治癒系の魔法を使える者はそう多くない。彼のよう人間はそれだけで生きていけるぐらいには希少な存在だ。
余程重要な用事なのだろうか。
「ちなみに、その、旅の目的とは?」
私は遠慮がちに聞いた。
遠慮がちに聞くのは、さっきから私ばかりが質問しているような気がするからだ。
彼は気にした風もなく、さらりと答えた。
「魔王退治です。」
私はグラスを倒しそうになった。
「ま、魔王退治?」
医者が、魔王退治?
なんだそれ。
なんだ、この青年。
突っ込みどころが多すぎないか?
彼は淡々と言う。
「また新たな魔王が来たらしいのですよ。」
「それは知っています。」
前回の魔王討伐からはや5年。新たな魔王が現れた。ただし、まだあまり人間への被害は出ていない。
しかし、これからも被害が少ない保証はどこにもない。彼らにしてみれば不安なのだろう。
「しかし、君が?」
「えぇ。『勇者』という感じですかね?」
失礼だが、全くそうは見えない。
全身細いし、屈強そうな感じはない。勇者みたいな体育会系ではなく、室内で本を捲る学者のようなインテリ系の方が似合いそうだ。
「だ、大丈夫なのかい?」
私が思わず聞いてしまうと、彼は微笑した。
「まぁ、なんとかなりますよ。」
私は彼を見つめた。
果たして、彼で魔王に叶うのだろうか。殺されてしまうのではないか。
不安になる。
人は見た目によらない、のパターンだろうか。
なにかチート能力持っているとか?
しかし、不安になるのはそれだけではない。
「前の魔王を倒したという『勇者』は、魔王討伐のあと、」
「処刑されかけたらしいですね。」
彼は私の言葉を先回りして言った。
私は頷く。
そうなのだ。前『勇者』は、魔王討伐して王都に無事帰ってきたのは良いのだが、なんと処刑されかけたらしいのだ。
最も、彼は強すぎて、断頭台まで行ったものの、なぜか死ななかったらしい。結局は国外追放になったたいうが。
「その点は心配ありませんよ。そもそも、前の『勇者』が処刑されたかけた理由、知っていますか?」
私はかぶりを振った。
丁度、そのとき、私は遠く離れた地にいたのだ。詳しい話はあまり知らない。
すると、彼は笑いながら言った。
「魔王討伐の報告の途中で、国王を侮辱したんです。」
「は?」
「いや、魔王討伐の資金を十分にくれなかったから仲間が死んだ、どう落とし前をつけてくれるんじゃワレェ、みたいな感じらしいですよ。」
・・・それは。
まぁ、わからなくもない。
魔王倒すのは、そりゃ十分な支援がなければできないだろう。食料だって買わなくてはならないし、自身や仲間の治療費だっている。
それに、仲間が死んでしまったのなら、国王を責めたくもなる前の『勇者』の気持ちも分かるような気もする。
私はこの国の国王の性格を憂いた。
「彼の仲間は、合わせて四人いたのです。」
彼は悲しそうな顔をして言った。
「四人、か。」
「生きて帰ってきたのは、『勇者』ただ一人です。」
「・・・。」
侮辱されたのは、国王の自業自得では。
それだけ仲間が死んだのならば、やはり国王の援助不足も大きい気もする。
「ちなみに、その『勇者』も、もうこの世にはいません。追放されて、その先でなくなりました。」
絶句した。
結局、全滅じゃないか。
というか、断頭台まで行って死ななかったのに、なんで追放先で死んでいるんだ。
「しかし、どうして、君はそんな悲惨なことを知っていて、それでも、魔王討伐に行こうとするんだ?」
彼は、目を伏せた。
どうこたえるか、悩んでいるようだ。
しばらくして、彼が口をゆるゆると開く。
「それは。」
彼はグラスに注がれている液体を覗きこんだ。水面に映る彼の顔は、酷く切なげだった。
彼がぼそりと言った。
「ある人と、約束したんです。」
ある人とは、と聞こうとした、そのとき。
ガッシャーンッ!
ガラスの割れる音がした。
思わず、何事かと立ち上がる。
配膳していたグラスをおとして割った、とかそんなレベルの音ではなかった。
もっと大きく、分厚いガラスの割れる音だ。
音の方向で悲鳴が上がった。
それを皮切りに、人々が音ののした方向から離れるように走り出した。
「何事だっ!」
そう広くない店内。
一瞬にしてパニックに染まる。
「ま、魔物だぁぁぁっ!」
「こ、来ないで!」「助けて!」
その声に、顔面から血の気が引くような気がした。
魔物、だって?
ここで、危害を?
私は青年を見た。
彼も顔を強ばらせて、騒ぎの方向を見ていた、
そして、おもむろに騒ぎの方向にむけて、走り出した。
「あ、待ちなさい!」
私は彼を追う。
彼は今、何も武器を持っていない。丸腰で立ち向かえるほど、魔物は弱くないのだ。
魔物にやられてしまえば、魔王討伐どころではなくなる。
騒ぎの中心は、やはり魔物だった。
店の窓ガラス二つが粉々に砕け散っている。幸い、客席に接した窓ではなかったため、ガラスの破片で怪我をした人間はいないようだが。
問題は侵入者だ。
侵入した魔物は、そこそこ大きなものだった。
ケンタウロスと猪を合体させたような醜い姿の魔物が、暴れている。
壁には叩きつけられたのだろう、数人、気絶した人間が項垂れている。
私は唇を噛んだ。
本来、魔物はあまり人を襲うことは少ない。ましてや、こんな人混みにわざわざ襲いに来る魔物は珍しい。
人混みを襲えば、必然的に魔物討伐隊が動く。
すなわち、退治される可能性が大きくなるのだ。魔物はそこまで馬鹿ではない。
出来る限りローリスクで、必要以上の略奪はしない。
では、どうして。
余程命知らずなのか。
余程自惚れているのか。
私が少し考え込んだ隙に、青年は飛び込んでいった。
「あっ!待ちなさい!」
「≪拘束≫!」
彼は短く詠唱した。
その瞬間、魔物の動きが止まる。
その隙に、彼が叫ぶ。
「誰か、武器を持っていませんか?」
しばらくざわめいていたが、一人の紳士が彼にサーベルを差し出した。
「これを使うんだ!」
「ありがとう!」
彼はサーベルを受け取り、じりじりと魔物に近づく。
魔物は唸り声をあげながら、彼を睨み付けている。
私ははらはらとしながらその様子を見ていた。
あとは彼が魔物に止めを刺すだけだというのに、落ち着かないのだ。
まるで晴れている空の向こうに、暗雲を発見したときのような、不安を感じる。
そんな私の不安を他所に、群衆は彼を頼もしそうに見つめている。
彼がサーベルを振り上げ。
魔物の頭部に振り下ろした。
「ガァァァっ!」
バンッ!
「───────────────────っ!」
悪い不安が当たった。
彼が魔物にかけた拘束魔法が破れてしまったのだ。
彼には悪いが、拘束魔法を無詠唱で発現出来ない時点で、分は悪いのではないか、と思う。
きっと、彼は治癒魔法以外の魔法は不得手なのだろう。
「くそっ!」
彼が苦しげに叫ぶ。
再びパニックに陥った群衆の悲鳴が木霊する。
「グルルゥゥゥっ!ガァァァっ!」
魔物が前足を振り上げて、彼を蹴った。
「ぐっ!」
蹴り飛ばされた彼が、周りの机などを巻き込みながら壁に激突した。
思わず声をあげる。
「あっ!」
最悪だ。
流石に無事ではすまないだろう。
私は彼の元に駆け寄る。
短い間とはいえ、先程まで喋っていたのだから、死なれるのは寝覚めが悪い。
彼は、頭から血を流し、それでもふらふらと立ち上がった。
その様子に、嫌な予感がした。
無理をさせてはいけない。
「おい!」
しかし、彼は静かに笑うと、私を制した。
「ご心配には及びません。」
するすると傷が塞がっていく。
「自分で治せますから。」
たしかにそうだ。
治癒魔法が使えるのだから、自分で怪我を直せるのは当たり前だ。
しかし、その言葉に、私は言い様のない居心地の悪さに襲われた。
「ふぅ、確かに魔物は面倒ですね。」
彼は血を拭いながら言った。
傷は、きれいに塞がっている。
そして、私が止める間もなく、魔物の前に躍り出た。
居心地の悪さの原因は、すぐに知れた。
この、目の前で魔物と戦う青年が、怖かったのだ。
彼の胸に、魔物の角が突き刺さった。
しかし、彼は躊躇なく角を引き抜き瞬時に傷を治す。
彼の両足が魔物に踏みつけられ、無惨に折れる。
しかし、彼は両足を一なでして、また立ち上がる。
彼の左腕が吹き飛んだ。
しかし彼は何事もなかったかのように、左腕を拾い、くっつける。
そう、終わりがないのだ。
どれだけ体に損傷を負っても、即死しない限りは治癒できる。
否、出来てしまうのだ。
普通、胸を貫かれたら、両足を折られたら、左腕が吹き飛んだら、一旦退却するだろう。
しかし、それが彼には出来ないのだ。
即死するか、魔力が枯渇するかしない限りは、彼に『退却』の二文字はない。
延々と戦い続ける。
ごくり、と生唾を飲んだ。
彼が、『なんとかなる』と言った理由は、これなのだろう。
しかし、これでは戦闘人形と同じじゃないか。
狂戦士ですら、引き際を知っているというのに。
彼の左腕が3回吹き飛んだのを見たとき、私は我慢できなくなった。
「止めたまえ!」
私は彼を羽交い締めにする。
「しかし!」
暴れる彼を、無理矢理に押さえつける。
いくら『勇者』と言えども、私と彼では体格差がありすぎる。押さえつけるのは容易とは言えずとも、可能だ。
「危ない!」
群衆の誰かが叫んだ。
見上げれば、魔物が、前足を高く掲げて、私たちを踏み潰そうとしていた。
仕方ない、あまり人前では使いたくはなかったが、やむを得ない。
彼のこれ以上の魔力の行使は、危険だ。そろそろ決着をつけなければ。
私は魔物を睨み付けた。
(汝、我に逆らうこと勿れ。)
魔物の動きが止まる。
(我に逆らうは。)
私はより一層目に力を込めた。
(死に値得る。─────────────去ね。)
私が心のなかで詠唱し終わると、魔物はビクビクと魚のように痙攣して、倒れた。
「──────────!」
彼が驚いたように息を飲んだ。
魔物は、やがて痙攣さえやめて──────────死体すら残らず、ただの灰となった。
魔物だった灰を回収して、気絶した人を介抱して、群衆のパニックが冷めて、大体は日常に戻った。
私たちは、元の席でまた相席をしていた。
私は彼から目をそらす。
「もっと早くあの術を発動させられていたら、良かったんだけどね。あまり、人前では使いたくなくてね。」
完全に自己保身だ。
「いえ、僕の力不足です。」
彼は首を振った。そして、自嘲するように笑った。
「魔物も満足に倒せないのに、魔王討伐とか、笑っちゃいますよね。」
正直、彼の言う通りだ。
彼の実力で、魔王に勝つのは難しいかもしれない。
彼の治癒魔法には目をみはるものがある。しかし、それだけだ。半永久的に回復できるとはいえ、戦闘力が高いわけではない。
「そうかもしれないね。
君は魔力が枯れるまで回復ができるようだけど、魔王の魔力は膨大だ。きっと、君が魔力を使い果たすのが先だろう。」
私の言葉に、彼は悔しげに俯く。
「しかしね。」
私はグラスを揺らす。
「物語の結末とは、すでに決まっているんだ。」
私は、思い出した。
彼女を失った、あのときも。
物語の結末は決まっていた。
「私たちはね、その通りに、忠実に動かされているに過ぎないんだよ。」
あれは、そんなに遠い昔のことではない。
「動かされている、ですか。」
「そうだ。」
すべてが曖昧模糊としたなかで、唯一あの冷たい感覚だけは、やけに鮮明だ。
冷たく鋭利な、それでいて生ぬるい彼女の血は。
一生忘れられない。
「しかし、今この瞬間は。」
「自由意思など、ないのだよ。」
彼は押し黙った。
私は続けた。
「君にも、勿論、私にも。」
結末は決まっている。
例えどんな無理難題でも。
彼は、俯いたまま、グラスを握りしめた。
「じゃあ、僕は、魔王を倒せないんですか。」
「さあね。もう結末は決まっいる。だけど、君がどんな結末を迎えるのかは、分からない。」
私は彼の顔を覗きこんだ。
「結末は、自分で見たまえ。」
バッドエンドとハッピーエンドは、表裏一体。
みんながハッピーエンドは、あり得ない。
世界の半分がハッピーエンドならば、もう半分はバッドエンドなのだから。
自分がどちら側の人間なのか、見極めよ。
彼は、私を緊張した面持ちで見た。
「貴方は、一体。」
私は微笑んだ。
「さぁ。」
そして、答えないままに立ち上がる。荷物を持ち、もう一度だけ彼を見た。
彼は物足りなげに私を見た。
「もう、帰るのですか。」
「あぁ。部下がうるさいからね。帰らないと。」
魔物のせいで、あまり喋れなかった。
彼が戸惑ったように私に聞いた。
「部下って、貴方、一人で住んでいるって。」
「人間は、ね。」
彼の顔が一瞬で強張る。
私は笑みを崩さないで言った。
「惜しまなくても、すぐに会える。」
「あ、貴方は。」
「ちなみに、魔王城へは一般ルートの峠を越えるよりも、沢沿いを通った方が良い。急がば回れだ。」
私は彼の言葉を遮って言って、背を向けた。
「待っているから。」
彼が何か言いかけたのが聞こえたが、無視して、外に出た。
死のように冷たい外気を、肺一杯に吸い込んだ。
雨は、なお降り続いていた。
さぁ、マリーゴールドを買って帰ろう。
今は亡き、あの方へ送る花を。
「変わらない愛」を。
私の物語の終わりは近い。
結末は決まっている。
どれだけ荒唐無稽なそれだとしても。
悪役として、生きた。
彼女との約束を守るためだけに、生きてきた。
約束は違えず。
結末を
終演を。
ありがとうございました!