第5話
縛られている壱号は、鬼束と老人のやり取りを聞くことしかできずにいる。しかし、その会話からうかがい知れる鬼束の素性は、壱号の想像を絶するものであった。
その幼い外見に反し、かつての鬼束は〈銀髪鬼〉と呼ばれる異世界の魔王であったらしい。
異世界から人間の支配するこの世界に侵攻し、暴虐の限りを尽くした銀髪鬼であったが、人間の勇者に敗れ、囚われの身になったのだという。
その後、なし崩しにその勇者に力を貸す羽目になった銀髪鬼は、その男が天下を統一した際に『鬼束』の姓を賜り、そのまま臣下として仕えることとなった。
そして男の死後も、銀髪鬼はこの世界の守護者として人と共に在り続けている――。
「……世の中は常に変化するものじゃ。お主の命も、与えられた役割もとっくに過去の話になっておる。悪いことは言わん。未練を残さず、すっぱりと成仏するがよい」
鬼束の老人に対する言葉は真摯で、嘘偽りのないように壱号は感じた。それと同時に、焦りの成分が含まれていることも。
その理由はすぐに判明した。
「嘘だ‼ 嘘だ嘘だ嘘だうそだウソだうソダウそダウウウウウウウウソソソソソソソソソソ」
老人の身体が、突然空気の入れた風船のように膨れ上がった。それと同時に、老人の顔や手足がドロドロと溶けていく。
「オオオオオオオオン‼ ウオオオオオオオオオオオン‼」
不気味な咆哮を上げる『それ』を見て、知性のある存在だと思うものはいないだろう。
今や老人は、ヘドロを思わせる黒い粘液状の怪物と化していた。
「ちっ、間に合わんかったか! ……仕方がない!」
歯噛みした鬼束だったが、すぐさま後ろを振り返り、誰かに合図を送る。
「茜! 説得は失敗じゃ‼ 手はず通りに頼む‼」
「は……はいぃい‼」
泣きそうな声と共に、奥の瓦礫の陰から人影が飛び出す。
「う、動かないで……く、くださぁい!」
へっぴり腰で剣を構えたのは、紛れもなく壱号に瓦礫をぶつけた黒髪の少女であった。
「良いか茜! 落ち着いて、攻撃を当てることだけを考えるじゃ!」
「で、でも! わたし、わたし……」
「ええい、往生際の悪い! 責任はわしが取る! 四の五の言わず、やってみせい‼」
「う……わあああああ‼」
茜と呼ばれた黒髪の少女が、大声を上げながら怪物に斬りかかる。
構えも何もあったものではない。目をつぶったまま剣をブンブン振り回しているだけの、無謀な突撃。
ちなみに彼女は裸ではなく、全身に呪文のようなものが書かれた包帯を巻き付けている。
先ほどの鎧よりも、さらに異様な風体ではある。だが敵に相対している今の状況で、そんなことを気にしている余裕はないようだ。
素人丸出しの剣の扱いといい、鬼束に急かされてようやく動き出す臆病さといい、どう見ても茜が戦闘に向いているとは思えない。
「ウオオオオオオオオオオオン‼」
案の定、怪物は攻撃が届く前に迎撃態勢を取る。その黒い粘液を触手状に伸ばし、鞭のようにしならせて茜の頭上に叩きつけた。
「ギイヤァアアアアアァァアアアァア‼」
が、悲鳴を上げたのは怪物の方だった。茜に襲いかかったはずの触手が、あっさりと斬り飛ばされている。
対する茜は全くの無傷。見れば彼女の全身が、黄金色の光に包まれている。
「うっ……うっ……」
しゃくり上げながら、剣の切っ先を怪物に向ける茜。
神々しい輝きが一層強まり、怪物が明らかにひるんだ様子を見せた。
「今じゃ! 精神を集中させよ‼」
「ふううううっ‼」
鬼束の合図で、茜は大きく息を吐いた。両手でしっかりと剣の柄を握ると、彼女の全身の光が刃に集まっていく。
後は必殺の一撃を、目の前の怪物に喰らわせるのみ。
「っ⁉」
と、茜が発する光に耐え切れなくなったのか、身にまとった包帯がちぎれ飛んだ。再びその白い肌があらわになる。
「きゃあっ‼」
「ば、馬鹿者‼ 心を乱すな‼」
鬼束の言葉も及ばず、動揺した茜の剣にヒビが入る。そして――。
ズガアアアアアアアアアアアン‼
剣が大爆発を起こし、瓦礫と怪物を木っ端みじんに吹き飛ばした。
「ぬうっ‼」
鬼束の角が電光を発した。とっさに防御の術を張ったらしく、近くにいた壱号もろとも目に見えない壁に護られる。
強大な存在であるはずの元魔王と魔導人形は、必死でエネルギーの暴風を耐え忍んだ。
「茜! おい、茜! 大丈夫か⁉」
衝撃は数十秒で収まり、鬼束が爆心地にいるはずの茜に声をかける。普通に考えれば、あの爆発で無事な人間などいるはずがない。
「ひっく……ひっく……うえええええええええん‼」
それでも、その少女は生きていた。
散乱していた瓦礫も、黒い粘液の怪物もきれいさっぱり消滅した更地。
その中心に立ち尽くし、泣きじゃくる全裸の少女。
しかしこの光景を作り出したのは、紛れもなく彼女なのだ。
「は、はは。はははは……」
思わず、壱号の口から笑い声のようなものが漏れた。
謎の老人に記憶を奪われた挙句、得体の知れない金属の身体に、殺戮をもたらす兵器にされたと思っていた。
それがどうだ。自身の砲撃も、先ほどの爆発も。この茜という少女に、毛ほどのダメージも与えられない。
これではまるで、彼女の方が――。
「怪物に見えるかのう?」
内心を見透かすような声に、壱号はふと我に返った。いつの間にか、鬼束が傍らで壱号の顔をじっと見つめている。
「……何なんだあいつは」
鬼束の問いには答えず、壱号は自らの疑問を口にした。
「勇者病、じゃよ」
「勇者病……」
「わしら異世界の侵略者に立ち向かうため、かつての人間たちは必死で強くなろうとしたのじゃ。そしてその企みは成功した。じゃが」
どこか遠くを見るような目をしながら、鬼束が話を続ける。
「平和になれば、強大過ぎる力は必要なくなる。しかし、時折現れるのじゃ。先祖返りの力を、生まれながらに持ってしまう者が」
かつて魔王を倒した先祖の力を持て余し、日常生活にまで支障をきたす症状。それを総じて〈勇者病〉と呼び、茜はその患者なのだという。
「先祖返りだと? ではあいつは、つまり……」
「察しが良いのう。あやつの名字は『風魔』。わしを倒した勇者、『風魔小太郎』の末裔じゃよ。まあ、勇者の血族以外でも発症するがのう」
「………………」
元魔王と勇者の子孫が、手を取り合って生きる世界。
長き眠りについていた壱号には想像もつかない変化が、この世界には渦巻いている。
「壱号、と言ったな。良かったら、わしらの元へ来んか?」
「……俺を殺さないのか?」
急に話が変わったことに、壱号は戸惑った。未遂に終わったとはいえ、茜を殺そうとした自分を助けようとする意図が読めない。
「物騒なことを言うでない。今はそう簡単に、殺生などできる時代ではないのじゃよ」
分からないこと、知らないことが今の壱号には多過ぎるらしい。
「旧き魔導人形よ。お主はこれから、多くのことを学ばなくてはならん。それがきっと、お主の疑問を解くことにもなるじゃろう」
この世界と異世界のこと。黒づくめの老人と、それが変じた怪物のこと。茜と〈勇者病〉のこと。
そして何より、自分は一体何者なのか――。
「分かった。今の俺に残っているのは、『知りたい』という気持ちだけだからな」
「決まりじゃな。後、これからはわしのことは『理事長先生』と呼ぶがいい。目上の者に対する礼儀もみっちり教えてやるから、覚悟するのじゃぞ?」
「……何だかよく分からんが、善処しよう」
壱号を縛っていたロープが解かれる。元魔王が差し伸べた手を、壱号はがっちりとつかんで立ち上がった。
西暦二〇XX年。かつて異世界侵略を撃退した人間たちの世界は、新たなる災厄に蝕まれつつあった。
悪霊〈精霊喰い〉。人間世界と異世界の狭間で、輪廻転生から外れた忌まわしき魂。
実体化した亡霊である精霊喰いたちは、それがこの世への復讐であるかのように、あらゆるものを喰らい尽くした。
平和に暮らす人々の大半は、その脅威を未だ知らない。そして、精霊喰いにその身一つで立ち向かう者たちがいることも――。
そんな世界の片隅に、魔王と勇者の古戦場跡に作られた学び舎がある。
その名も〈私立魔王城学園〉。元魔王、鬼束エレオノーラによって創立された、〈勇者病〉の治療を目的とした学校法人である。
ある日の学園地下で起きた、勇者の力を持て余す少女と、数百年の眠りから目覚めた魔導人形の運命の出会い。
問題だらけのこの二人が、世界に何をもたらすのか――それはまだ、誰にも分からないことであった。