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第一話「怪奇! 蜘蛛男」 09

 太田黒清右衛門が国会では見せたことのない甘ったれた笑いを満面に浮かべて孫娘を披露すると、桃子が立ち上がって頭を下げた。


 客たちが心のこもらないぶん盛大に拍手した。


 これまで桃子には会ったこともないだろう議員が乾杯の音頭をとり、祝宴が始まった。料理が次々と運ばれるなか、少女よりも祖父に関係の深い人間たちが交互に立って祝辞を述べた。


 これはつまり新商品発表会のようなものなのかもしれないな、と中村は広間の隅から宴を眺めながら思った。


 ここにまたひとつ大田黒と繋がれる経路が開きました、という告知なのだ。この経路を独占するためにはそれなりの代償が必要なのは言うまでもない。


 可哀想なのは売りに出された少女である。あたら青春を死に損ないの政争の具として利用されてしまうのだ。


 蜘蛛男にさらわれるほうが幸せだとは言わないが、ここに残ることも幸せとは言えまい。自分だったら貧しくても普通の家に生まれてきたかったと思うだろう。


 そんな冷たい目で宴会を眺めていた中村だったが、時間が経つにつれて次第に焦れてきた。

 蜘蛛男出現の報はまだない。


 料理はすでに主菜の肉料理に移り、中村が食べたことのない厚さのビフテキが入れ歯の老人の前にも供されていた。次はもうデザートだ。宴の途中で桃子が十八本のロウソクを吹き消したケーキが切り分けられ配られるだろう。その後はもう、桃子がお礼の挨拶をしてお開きだ。


 蜘蛛男の奴め、臆したか。


 中村が大田黒の咎めるような視線を受けながら、廊下に出たときだった。わっ、と大勢の発する驚声が外から聞こえてきた。それも四方八方から聞こえてきた。


 中村は何が起きたのかわからず、その場に立ちすくんだ。




 そのとき屋敷の周囲を三台のトラックが走っていた。トラックは警官隊の包囲とそれを包囲する記者団の間を走り抜けた。


 どのトラックも荷台には数人の男たちを乗せていた。男たちは警官の前に通りかかると荷台の上から漁師のように網を投げた。


 その網は驚いている警官たちの上を覆った。警官が振り払おうとすればかえって腕や首にまとわりついた。網は蜘蛛男の糸でできていた。


 トラックからは次々と網が投じられた。警官は鰺や鰯のように網にかかって引きずられていった。


 その様子を新聞社のカメラマンがフラッシュを焚いて写真に撮った。


 外の警官隊を一掃すると、蜘蛛男の一味は数か所から塀に登り、そこから庭の警官を狙って網を打った。


 外の状況をわかっていなかった警官たちはここでも簡単に網にかかった。


 蜘蛛男の手下たちが蜘蛛の糸で編まれた網を使って、警視庁自慢の機動警官隊、別名「新撰組」を制圧していった。


 庭のあちこちに白い網で包まれた警官の団子ができた。その間を蜘蛛男が悠然と歩いていた。


 蜘蛛男は真っ直ぐに庭に面した広間の大窓へ近づいて行った。




 窓の外の騒ぎに顔を向けた広間の客のひとりが、蜘蛛男に最初に気づいた。


「何だ、あれは?」庭を指差し大声で怒鳴った。


 皆の視線が窓に向けられた。


 赤い提灯が並ぶ下を、異様に手足の長い、ギョロ目の男が不気味な笑いをたたえてやってくる。


「蜘蛛男だ」と誰かが答えた。


 宴席は騒然となった。しかし、さすがに席を立って逃げだす者はいなかった。


 いったんは玄関に向かっていた中村だったが、広間から聞こえてくる騒ぎに踵を返した。


 彼が広間に戻ったのと蜘蛛男が大窓のすぐ外に立ったのが同時だった。中村は桃子の席へ走った。


 蜘蛛男は足元から大きめの石を拾い上げると、窓硝子に投げつけた。硝子に蜘蛛の巣のようなひびが走り、次の瞬間派手な音を立てて砕け散った。


 女の客が悲鳴をあげた。


 桃子は決然とした表情で窓辺に立つ蜘蛛男を睨みつけていた。


 中村は少女の前に立ちはだかり、拳銃(ブローニング)を抜いた。


 客たちは立ち上がり、窓とは反対側の壁のほうへ逃げようとしていた。右往左往する客が邪魔になって中村は蜘蛛男を撃てなかった。


 蜘蛛男は口を大きく開いた。その姿はもはや人間ではなかった。口から糸を吐いた。それは逃げ惑う客に向けられたのではなく、自身の真上の天井に向けられていた。


 蜘蛛男は糸をするすると伝って天井に張りついた。天井に四つん這いになっている人間から見下ろされるのは奇妙な感じだった。


 中村は桃子を背後にかばいながら戸口のほうへ誘導した。それを追って天井を滑るように蜘蛛男も移動した。


 中村は二発、銃を発射したがどちらも天井に穴を開けただけだった。


 蜘蛛男はシャンデリアに辿り着くとそれへ逆さまにしがみついた。無数のクリスタルグラスの間から蜘蛛男の大きな目が桃子を見つめていた。


 中村はまばゆい光のなかへ狙いをつけた。しかし、警部が引き鉄をひくよりも蜘蛛男の糸がその手から銃を奪うほうが早かった。


 中村は桃子を抱えて廊下へ逃げようとしたが、戸口はわれ先に逃げ出そうとする客たちで詰まっていた。


 中村はどこかに少女を守れる場所がないか周囲を見回した。太田黒と目が合った。老人は立ち上がってはいるものの、元の場所からほとんど動いていなかった。まるで他人事のように呆然と事態を見ていた。


 中村は庭へ逃げるしかないと判断した。しかし、草履履きの桃子はそんなに素早くは走れない。ふたりが広間を窓に向かって大きく迂回していくのを、蜘蛛男はシャンデリアから見ていた。


 中村は両手を広げ、桃子の身体を蜘蛛男から遮るようにして進んだ。じきに蜘蛛男が入ってきた大窓まで行ける――というところで中村はばったり倒れた。


 割れた硝子に手をついて怪我をした。両足首を蜘蛛の糸がひとつに縛り上げていた。


 桃子は窓の前に棒立ちになっていた。その頭へ、胴へ、蜘蛛男の吐き出した糸がからみついていく。すぐに彼女は薄綿に包まれたようになった。


 蜘蛛男は糸をたぐり始めた。じりじりと桃子は引き寄せられ、やがて足が床から離れた。振り袖姿の少女が吊り上げられていくさまは、たしかに蝶が蜘蛛に捕らえられたようだった。


 蜘蛛男は長い腕に少女を抱きかかえると天井から窓を伝い、床へ降りた。中村が桃子を連れ出そうとした割れた大窓から、蜘蛛男は桃子を小脇に抱えて出て行こうとしていた。


 中村は取りすがろうとしたが、蜘蛛男はゲタゲタ笑いながら警部の手が届かないぎりぎりのところを通りすぎた。


 少女は悲鳴ひとつあげなかった。その目は立ちつくしている祖父に向けられていたが、どこか怒りをはらんでいるようでもあった。


 戸口に殺到している客を掻き分けて、ようやく刑事たちが広間に入ってきた。


 銃声一発――弾丸は蜘蛛男の肩をかすめた。


「馬鹿。撃つな。娘に当たったらどうする!」


 中村は大声で発砲を制止した。


 蜘蛛男が中村から奪った銃を上げて、無造作に撃った。刑事が胸を撃ち抜かれて倒れた。蜘蛛男はまだ硝煙の出ている銃口を少女の頭に押し当てて、中村たちを牽制しながら庭へ出て行った。


 刑事たちが後を追ったが、人質を取られていては指をくわえて見送るしかなかった。


 蜘蛛男は桃子を担いで悠然と塀を乗り越えると待機させていたトラックに乗って逃げ去った。

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