魔力の覚醒
今宵、魔王の居座る城での祝勝会。いつぞやの無線で私が口にしていた言葉が現実に変貌していた。完全な死亡フラグを撒き散らしたはずなのだがこうして全員が生存して帰ってこれた。その喜びに私は浸り数ヶ月ぶりのビールを口にする。
「キンキンに冷えたやがるな! ウルフ!」
「だから前の世界でありそうなネタを出すのはやめろララーシェ」
この言葉もどこかで聞いたフレーズだったことは確か。日本のアニメが好きだった妻のことが脳裏を駆け巡る。今頃私をなくしてもなお日本の最新アニメをチェックしているのだろうか。そう思うと再びあの世界が恋しくなってくる。
一瞬目に映る目の前の現代世界が再び祝勝会の会場へと戻る。ぼーっと立ち尽くしていた私へララーシェが言葉を掛ける。
「どうしたんだ?」
「少し考え事だ。私としたことが」
捨て台詞を口にし、ビールでその口を満たす。芳醇な麦芽の苦味ある渋い味覚と強炭酸の刺激が喉を潤す。これぞ至福のひと時。ビール大国ドイツの私を唸らせる異世界のビールにはさぞかし驚かされる。黄金色の液体にここまで引き寄せられるのは魔族、人種共通の本能だと私は感じる。ジョッキグラスを握り締める右手が目に入ると、無数の擦り傷が形成されていることに気づく。手榴弾の破片で傷ついたのだろうか。
「大丈夫? 手」
私の様子をじっと見つめていたルーネが擦り傷で埋められた右手を見つけすぐさま回復魔法を展開する。レラージェの口にしていた私を魔族にしたという事実は真なのか。魔法陣の展開される腕を静かに見守る。
「終わったよ。これで元通り」
魔法陣による再生の過程をすべて目にした。それまで干渉を受け付けなかった魔法を、私を体で受け取ってしまっていた。レラージェが告げたあのことは真実だったことに私は絶句する。
「どうしたの?」
「....なんでもない。ありがとうルーネ」
私は残ったビールをすべて飲み干し代金だけを叩きつけ酒場を去る。その後姿に小隊メンバーは何も言葉を掛けず、一人寂しげに去っていく私をただ見つめていた。
漆黒の魔法陣がいつも通り足元へ展開される。呼び出されたサインと共に私は自分の体に掛かっていた力をすべて抜く。流し込むコンクリートのようにそこへと体を仰向けに倒すと、それまで居た酒場の入り口から引篭もり、もといレラージェの元へと転送される。
「まったく....お主はやはり魔族へ生まれ変わったことを後悔しておるな」
私のどこか浮かない表情にそう言葉を掛けるレラージェ。認めたくない現実と後悔に打ちひしがれ何も言葉が出ない私は情けなど音速で吹き飛ばされていた。
「お主はわらわと繋がりたいと申したはずじゃ。それがなぜ後悔などしておる」
月光に照らされる城下の町を見つめ紅茶を一口頬張る彼女に私は微かな呟きを放つ。
「まだ....あの頃の。元居た現実の感覚が残っているんだ。忘れられないあの声。ナターシャの」
元の妻の名前を口にした瞬間、私の唇へレラージェの口付けが始まる。私への手向けなのか嫉妬心から来る屈辱感なのか。その行動の真意は私にもわからない。
「その名は....口にしないでほしい。お主はわらわだけを見ていればよいのだ」
紅茶の風味を残した甘い口付けを離すが、体はそれを望まない。お互いの唾液が混った混合物の液体がそう私達へ告げるように繋がっている。彼女の目に映る小さな透明の液体が私へ元の妻を忘れろと言葉にせずとも伝わる。彼女の言う500年前の初恋相手など私は知ることのないまま彼女の交わりを望んでいた。
「お主は....わらわと繋がりたいのじゃろ?」
静かに呟く口先に私は頷く。彼女は静かに着ていたドレスのボタンを器用に外し私を強く優しく抱擁する。
「なら、わらわを満足させるのじゃ」
脱ぎ捨てたドレスと下着をベットの外へと放り投げると、私の目に映ったのは白く美しいレラージェの純粋なありのままの姿。ほぼ人種と変わらない構造に私は高ぶる興奮を抑えきれずにいた。冷静さを装うものの私の体はその純粋な小さな体に反応し、本能が興奮を抑えきれなかった。
「すまない。私を受け入れてくれ」
ベットへと押し倒した私はその後の記憶は消し飛び何があったかはわからない。しかし彼女の貞操を奪い、普段現れない大切な場所を白濁の液体が染めていたことは、私の微かな記憶に存在していた。
翌朝。私の横で満足そうな笑みを浮かべていた彼女の寝顔を見つめた私は訓練用ジャージへと着替え朝のランニングへと向かう。ポケットへ手を入れ私は写真を取り出す。それは妻と次男の小さな容姿が写った大切な一枚を私は両手で引き裂き徐々に小さくしていった。
それまで大切に扱っていた写真がこの時点からは私へ苦痛を与える忌まわしき物体へと認識を変え、バラバラにしたそれをレラージェの部屋へばら撒く。
二枚の扉を開き小隊メンバーの待つ城壁外周へと向かう。足早に動く私の体はどこか錘を備え付けたように重かった。走るたびに何かを背負っている感覚に犯され、いつもの私とは程遠い他の人間へ成り代わったような満たされない感覚に陥る。いつも通りスタート位置へと付きランニングを開始する。
そこで出会うものはいつもと変わらぬ顔。軽快に走る姿。私を呼ぶ声。何一つ外見は変わらない私に不謹慎な重量。しかし外見の何らかの変化は静かに現れ始めていた。
「ウルフ! 今日はなんの訓練を....って」
「どうした?」
私の背後を指差し動きを固めるララーシェ。人へ話を持ちかけ失礼ではないかと私は感じるがその指先にあった彼女の目に映る物体は小隊全員を驚愕させる。
「そ、それどこで植えたんだ! かっこいい」
「ん。どれ....だ」
背後へ首を回し私の背中に生えた何かを目視する。そこに映った何かは気を動転させ私の言葉を停止させる。
「す、すごいですね。ウルフさん」
「....なんと言えばいいのだろう。新兵器とでも言っていいのか」
私の呟きが示す新兵器。そして感じていた錘の正体にようやく気づく。背中から生える二本の黒いアーム。機械化したのか私はその腕を自由自在に操れ、これが腕と同化して使用できる事。収納はというと服に隠すしか今のところなさそうだ。私はとりあえず錘を背負ったまま訓練を指示する。ラペリング降下を教授するため私が設置された高台へと登りロープへと手を掛ける。
「今回はラペリングを教える。これは突入するときに使用する重要なテクニックだ。まずこのロープをしっかりと握って体重を腕だけで支えるんだ」
ロープを力強く握り、高台から飛び降りる。普段なら過負荷の掛からないこの作業も重量が極端に増えたことで支える腕が限界を迎えようとする。腕の筋が音を立てそれまで感じなかった痛みを伴い悲鳴を上げるが、私は構わず続ける。降下速度が徐々に上がり加速を続けたその瞬間、私の腕から魔法陣が展開され錘に苦痛を与えられていた腕が次第に軽くなり、降下速度も落ちていく。
地面へ足を着地させると不思議な軽さは消え、重さが再び戻る。ラペリング演習を目にしていた彼女達は口々に私の魔法についてざわめきを始める。
「どうした? 何か顔についているか?」
「いえ。そのー」
「魔法。使ってた」
自覚のないその行為に私は混乱しさっぱり理解が出来ない。魔力が備わり備蓄されていることについては把握しているが、放出まで修得したとは思わない。もう一度先程と同じように腕へ力を込める。
それは突然として現れた。魔法陣が展開されると背中から生えた漆黒の腕が皮膚色染まった元の腕へ同化を始め、目線に照準装置が現れる。
「待て! ストップだ!」
制止を呼びかける声を完全に無視し照準レティクルが城壁を示す。私は焦り体を城壁外の上空へと向け、腕に充填された魔力を炭酸ガスを吹き出すように放出した。紺碧の弾丸が大空へ舞い上がると一定の高度で空中炸裂し、衝撃波が地上の物体を吹き飛ばす。炸裂した魔力弾の直下には芝生が抉れ、まだ初々しい明るい茶色の土が露出する。城壁の見張り台を覆っていた屋根を剥がし、衝撃波はそれを城の方向へと弾き飛ばす。
漆黒の魔法陣が屋根を途方へ転移させ、消し飛ばす。私の元へとその魔法陣を展開させ、様子を観察していたレラージェが目の前へ現れる。
「魔力の制御がなっておらんな。まぁ外部への放出だけならできるようにはなっておる。上出来じゃ」
小さな体で私へ言葉を掛ける。昨日の出来事目を、が私を消沈させ本能のまま行動した背徳感が居心地を悪くした。
「なんじゃ。昨日の行為がそこまで嫌じゃったか? お主が先んじて行ったあれじゃろ?」
膝を付きレラージェへ頭を下げていたメンバーが一斉に私へと赤面を向けていた。
「な、ななな何したんですか!?」
「陛下だけズルいぞ!」
私へ向ける尖った追及に高笑いを見せるレラージェ。どうしてこうなったのだろうか。頭を抱えていると、それまでの口調を一変させたレラージェが真面目な会話を持ちかける。
「さて。ちと真面目な話を始めるか。ウルフのその羽のような....なんと言えばいいのかのう。魔力で形成された代物とでも呼ぼう。ほれほれ。どうじゃ?」
レラージェがポケット出したから一枚のカードを取り出す。私の目線から見えた風景はダイヤ柄の背表紙で見えないはずの絵柄が見えていた。クィーンの白い肌とレラージェの金髪が重なり、トランプの絵柄を選んだ理由がなんとなく理解できた。
「クィーン。絵柄の意味を知っていたな?」
「お見事じゃ。魔力がこうして常に放出されてるのじゃ。それを隠す方法は一つ。お主が魔力を完全に制御下へ置くこと。そうでなければ常に魔法が展開され居場所が筒抜けじゃ。わらわは別にそれで構わないのじゃが....」
「敵から丸見えってことはいくら遮蔽物に隠れても意味ない....ってことだな。了解した。それで私は何をすればいい?」
レラージェへ魔力の制御方法について問う。彼女が述べたその方法は原始的でかつ迷信的なものに近かった。
「人種、魔族に魔力を明け渡しているのが精霊じゃ。お主がわらわと直接的な交わりを交わしたことで、お主へ植え付けられた魔力の種、言うなれば精霊の卵じゃな。それが花開いたというわけじゃ」
精霊という言葉を耳にし、何か見えるものなのかそれとも単なる例えなのか理解し難かった。すると私の目線に現れる小さな蒼い光。足元から構成を始める小さな体。動揺を隠し切れず目線を向けていると全員の目が一斉に私へと向く。
「どうしたのじゃ?」
「いや。なんでもな」
「信じてないでしょ! もう。困っちゃうんだから!」
耳に一方的な攻撃を受ける私はその言葉に反射的な返答を返す。
「いきなりそう言われても私は信じられない。それにお前は誰だ?」
「私は主様の。つまりあなたの精霊。主様が意外と冷静でかっこいい人だと思ってたのにがっかりさせないでよ」
失礼な。私は冷静でただこの世界のよくわからない事象に動揺しているだけだ。勝手に期待した奴が悪い。私の形ない心の叫びが筒抜けなのかそれにすらも返答する。
「そうやって私に期待させる主様の主様よ」
「....心に秘めてた声まで聞くな」
その風景はまるで私が即興の芸を見せているようなものになっていた。精霊と直接会話できることが余程珍しいのか。私へ目線を一点に集中させ、会話を交わそうとするメンバーは誰一人として現れなかった。ただ一人を除いて。
「お主も珍しいのじゃな。精霊と直接会話できるなどと」
「....もしかしてなのだが、この中に私と同じ症状を抱えている奴はいるのか?」
私は挙手を求めるもののレラージェ以外誰として挙手をしない。精霊とはそれほど無口で閉ざした存在なのか。私は直接会話を持ちかける自分に宿った精霊へ語りかける。
「精霊というのは、会話すらも閉ざしたものなのか?」
「そんなの生まれたばっかりの私にわかるわけないじゃん」
生意気な。せめてごめんわからないの一言ぐらい入れて欲しいものだ。と言っても今そこまでの要求をしてはいけない。この生意気な精霊はまだ子供だ。私も冷静にならなければ。思い留めた彼女への苛立ちを隠す。
「仕方ないでしょ。まだ赤ちゃんなんたから」
「それなのにこんな危険な物扱ってるのか」
心の呟きをすべて透過しているような返答を見せる。その会話へ自分も構えと言わんばかりにレラージェが割って入る。
「まったくお主という奴は....」
肩に平手を据え置き物欲しそうな目線を送るレラージェ。これが嫉妬という奴なのか。私がその目線に瞳を一点集中させると、今度は気恥ずかしそうに目を逸らした。
女の心情とは紅い薔薇のように美しくも棘を備えた複雑なものだ。時に攻撃的で時に優しい。そこが男の私に引っ掛かる。
「それはいいんじゃが、お主の記憶を少し覗いていたらちと面白いものがあってのう」
「私のつまらない記憶に面白いものなどないぞ」
「なーに。大した代物じゃよ。お主達の世界では戦闘機と呼んでいたのう」
久しく耳にしていなかった人類の戦争史を覆した兵器の名を私は聞く。魔法陣を展開したレラージェは一瞬にして異世界の龍とも呼ぶべき兵器を完成させた。
「お主はこれに触ったことあるじゃろ?」
「一応空軍のテストパイロットでいじったことはある。だが乗る為には訓練が」
「大丈夫じゃ。たかがこのくらいでビビるわらわではない」
私は同時に生成された燃料を機体のタンクへ流し込み、コックピットに置かれた装備一式を着込み乗り込んだ。
「後ろに乗ってくれ。操縦は私がやる」
久しく目にしていなかったこの視点。テストパイロットで2年この機体を操り続け、すべてを熟知したが正式配備されることはなかった。
アメリカ海軍で長年空母の防空と中東の地を紅くそして黒煙で染め上げたF/A-18ホーネットへと私の体は乗り込んでいた。
「キャノピーを閉める。腕を出すなよ」
城壁の外へ機体を出すため城門をメンバーに開かせるが翼の先が城壁に引っ掛かり城壁外へ出ようとするホーネットを阻む。
「翼が引っ掛かる。それに滑走路が見当たらない」
「簡単じゃ。こうすればよい」
再び魔法陣を展開すると目の前の城門を消し飛ばし、3000メートルのコンクリートと戦闘機用のゲートを敷設する。数十秒で完成したそれを私は静かにくぐり抜け、ホーネットを滑走路へと誘導する。
「ヘルメット被れよ。それとしっかり掴まれ」
「ほう。お主わらわを舐めておるな? これしきのこと問題あるまい」
レラージェはそう豪語し対Gスーツのみを身に纏い、滑走路を加速するホーネットの座席で堂々と構えこれから始まる未知の世界に興味を抱き、その瞬間を待ち望んでいた。
「行くぞ。マスクつけとけよ」
左手で固く握ったスロットルを前進させる。朱色に輝くジェットエンジンの排気ノズルが煌々と輝きを放つ太陽の下、可憐に花を咲かせる。
久しく洗礼を受けていなかった膨大なGが体へと掛かり始める。私はそのGに耐えるレラージェの姿を後方確認用のミラーから眺めつつ、操縦桿を引き込み機首を蒼いキャンパスへと向ける。
「大丈夫か?」
「へ、平気じゃ」
平常心を装う隠しきれていない。恐怖に怯えているのか何とも言えない口調で返答するレラージェ。その言葉で私の良からぬスイッチが入った。
「そうか....なら本気で行くぞ」
私は操縦桿を大きく左へと傾けた。両主翼のエルロンが上下に開き機体が回転を始める。キャノピー越しに映る景色は360°劇場で演劇が行われいるように激しく、目まぐるしく動く。何度も何度も続くこの連鎖にレラージェの意識は遠のいていた。
「やりすぎたか。戻ってベッドに寝かしつけないとな」
私の異世界飛行はエルロンロールというたった数秒の回転で終わった。滑走路を目視し、着陸用の車輪を展開する。着地の衝撃が首元を揺らし集中していた視線を乱れさせる。エアブレーキ、通常ブレーキなど停止に必要な装備を展開し、ホーネットはジェットエンジンの轟音の中停止した。
キャノピーを開き私は真っ先にレラージェをコックピットから下ろす。滑走路に戦闘機を残したまま、彼女を担ぎすぐに部屋へと戻っていった。
その姿を目視していたメンバー全員が騒然とした。そこに映ったレラージェの姿に彼女達はホーネット自体に搭乗者への攻撃的要素が含まれていると身も蓋もない憶測が飛び交う。
私が大きな二枚扉を蹴破ると、彼女が一人で過ごしている相部屋へとたどり着く。交わりを交わした私達の寝床へ彼女一人を寝かせ、しばらく失神し力の抜け切った彼女を見つめていた。
戦闘機のなんら変哲のない機動であっても、この世界では異質な行為と判断され私の軽率な行動がこれを生んだ。反省は十二分にしているが彼女自身自らの行為でもある。私にすべて非があるとも言えないこの状況に苦しめられる。
彼女の寝顔を静かに見つめていると、自分が犯した行為への後ろめたさがなくなった。自分にすべての非があるわけでもない。しかし私はその行為自体に彼女の非を否定した。
「....なんだか悪いことをしてしまった」
一人呟いていると気絶しているはずのレラージェが私の裾を引っ張り、静かに顔を起し唇へ口付けを始める。不意に私の瞳孔が大きく開くものの状況を完全に把握し、瞳を閉じた。
彼女の唾液に舌鼓を打ち、甘く感触の不思議なそれを呑み込むと私の中で何かが蠢く。熱く加速する鼓動に私は理性のコントロールを失いつつ、息遣いが荒ぶり彼女の寝ているベットへ嵩張る。
「お、お主正気か!?」
私に言葉などいう言語をお互いに返すコミュニケーション方法はすでに取れなかった。彼女の白い素肌と交わりという行為へ私の本能が勝手な照準をつけ、それまで冷静だった理性を崩壊させていった。そこへ目の前に現れる光。それまであった彼女の素肌は消え去りただ一人、崩壊した自分の世界で私はその光へ手を伸ばす。誰かに似ている。その光は私をコントロールしていた誰かに似ている。軍人であった私に。
形ない心で呟いていると私の頭を彼女の存在を見せる。それはレラージェに似た女性。そうか彼女は....彼女は私の....私を支えてくれた。そうだ彼女は....ナターシャ。
その言葉が出た瞬間、私の本能が機能を停止し言葉を取り戻す。彼女の火照った表情に私は笑みを見せ声を出し笑う。
「ははは。昨夜の事、なんだか思い出した気がした」
「な、なんじゃ紛らわしい」
私はベットから体を下ろし再び立ち上がる。するとそれまで出ていた第二の腕とも言うべき重量感があったあの翼が消え去っていた。それが何を意味していたか少なからず私も理解していた。
「行くぞ。名無しの精霊」
ハンドガンをホルスターから展開し、壁へ向け構えると体全体が戦闘態勢と感じたのか漆黒に輝いた両腕が展開される。翼のように軽い動きだが私への負担は重量となり伝わる。
「その名前気に入らないんだけど!」
蒼く光を放ち登場する私に宿った精霊。その言葉に私は何を感じ取ったのかナナシという名前を言い渡す。
「それじゃお前はナナシだ」
「ご主人の馬鹿! ......でもちょっと気に入った」
精霊をコントロールし、魔力の制御がようやく効くようになった私は展開した腕を収納し、再び訓練へと向かおうとする。
「これでなんとかあいつらの教育は出来そうだ。ありがとうな。レラージェ」
背中を向け彼女へ手の平を振ると、寂しそうな声で呼び止める。
「ま、待つのじゃ」
「どうした?」
背中を向けていた彼女へ再び目線を向けると、微妙に体を震わせ何かを要求しようとどこかぎこちない態度を見せる。威厳の高い魔王がこれでは私もどんな顔で戻ればよいかわからない。
「なんだ?」
「その、もう一度わらわと....キスと呼ばれるあれをして欲しいのじゃ」
彼女の要求に私は言葉で答えなかった。それは迷わず行動に移し、それが何よりの答えだったからだ。互いの唾液が再び交わり、甘く切ない味は私の脳裏で離れさせようとも離れられないものになった。唇を離すと、何かを主張するかのように唾液が唇同士を繋いだ。しかしやがてそれは離れ、私達は再び互いのやるべき事へと向かっていった。
私が滑走路へと続く城門へ戻ると、不思議そうに戦闘機ホーネットへと目線を向けるチームメンバーがそこに鎮座していた。
「戻ったぞ」
「ウルフ! これ乗ってみたい!」
人の話を最後まで聞けと活を入れたかったが、異世界の超兵器がこんなところにあればさすがにそうも言ってられない。私はとりあえずコックピットへと乗り込み、掛かりっ放しだったエンジンの出力を上げた。
「離れてろ。それとクロネコ小隊全員は射撃演習場でそれぞれ自分のライフルを撃ち込んどけ。射撃の腕なんてのはすぐに鈍るからな」
「了解。実行に移す」
ミーシャの先導で彼女達は射撃演習場へ向け疾走する。その様子を見つめつつ、遠隔操作で稼動するエレベーターへとホーネットを搭載し、ホーネットを地下へと下降させる。
「しかししゃれたものまで作り出すとは。私の記憶ではこんなものないはずだが」
見覚えのない地下の整備施設。入り口は射撃演習場へと繋がる一箇所とこのエレベーターのみの二箇所。私はエレベーターが下降仕切りそれ以上下がりようのないことを確認し、戦闘機のスロットルを微量に上げる。
轟音が響き渡り微妙な加速を見せたホーネットを空いている場所へ放置する。キャノピーを開き射撃演習場へと繋がる階段を全力疾走で登り、彼女達の射撃スキルを向上させるため、指導の内容などを頭の中で整理していた。
鉄製の装甲扉を開くと目の前に広がるシューティングレンジ。そこへ伏せた状態からスコープをじっと覗くミーシャ。その横で部隊に慣れ始めたペンデ。ライフルにも慣れSCAR-Hを我が子のように大切にしていた。そして突入要員のララーシェが続く。こいつに関してのコメントは特になし。肝が据わっているが、下ネタのレベルが低い。ルーネ、ガイア、メイアについては独自の行動を覚え指揮官の指示がなくとも動ける軍人向きな魔族。元居た現代の軍隊では重宝する兵士と言っても過言ではない。
部隊全員を把握し、個人的な分析も進める私は彼女達のデータを頭ですべて記録する。そして一度トリガーを引く指を止めた。
「ストップだ。これから全員はそれぞれ違うメニューに取り組んでもらう」
伏せながらその話をじっくりと耳に入れる彼女達。私はそれぞれに指示を出した。
「ペンデ。ミーシャはここで長距離狙撃の訓練だ。ペンデに関してはライフルを変えてもらう」
「これじゃあダメですか?」
「ああ。ロングレンジの時、SCARで使用する7.62ミリ弾では威力が落ちる。だから次はコイツだ」
私が先日武器庫から持ち出し、演習場のロッカーに放置していたPGM-ヘカートⅡを取り出す。
「こ、これ重たいです!」
手渡しで渡すと彼女は体勢を崩しそうになるものの、何とか持ちこたえ私へと拒否を求める目線を向ける。
「重たい。そいつは対物ライフルだ。この世界にいるかさだかじゃないが戦車に使うものだ。ペンデはそれを担いで進軍、攻撃、撤退が完全に出来るように鍛える。方法は自由だ。やれるな?」
初陣で見せたあの目線を再び向けると、その威圧とも取れる目線に拒否という選択肢を捨て、渋々承諾した。
「わかりました。もう....いつもその目線に負けちゃうんですよね」
「すまない。同じくミーシャはそのライフルでの長距離狙撃を鍛えてくれ。そうだな。私が元いた世界の最高記録2600メートル越えを目指してくれ」
「了解」
なんの躊躇もなく承諾したミーシャ。再びミーシャの先導で二人は狙撃を再開した。
「ルーネは暗闇での探索、殺害、味方の蘇生だ。模擬施設が射撃演習場の隣に併設されてる。ララーシェは私と来い。中で格闘術だ。じっくり鍛えてやる。ガイア、メイアはCQBだ。前と変わらないと思うがしっかりやってくれ」
「了解した」
「了解」
「さてウルフ! 私達はどこへ行くんだ?」
「格闘技を鍛えるとこだ。きっちり絞ってやるから覚悟しろよ」
私が行動を始めようとすると、そこへ立ちはだかるようにして二人の少女が現れる。一人はどこかで目にした顔。そしてもう一人はまた違った面持ちをした魔族だった。
「確か君は....」
「クライス・ウルフ....ね」
その少女は私へ目線を向けるやフルネームで私の名前を呼ぶ。それに答えるように私の首が縦へ動いていた。
「クロッシェット....とか言ってた。それだけは覚えている」
「そう。一つ頼みごとがあるの」
どこか苦しそうな彼女の表情に後ろで立っていた魔族が笑顔で言葉を掛けた。
「クロッシェットちゃんどうしたのぉー?」
「なんでもない」
彼女の口から何が飛び出すのか私には到底理解できない。おおよそまた私への殺害予告をするのだろう。私は静かに彼女の動向を伺う。するとついに彼女から出た一言が私を振るわせた。
「私も....あなたと一緒に戦いたいの」
半殺しされて事もあったと私は頭で彼女に対する思い入れを募らせるが、それまで抱いていた彼女への不信感が消え去った。
「そうか....どうしてだ?」
「あのときから。私あなたのことをずっと見てた。危険って言うことがそれでわかったきがする。そんな場所へ行く奴に私ひどいこといったから。だから私あなたたちと戦いたいの!」
力説を見せる彼女に私は困惑気味だった。それが表情へ出ていたのかそこから彼女は私が拒否したいと感じ取り言葉を放つ。
「ダメ....かな?」
「いやそんなことはない。ただ」
「ただ?」
「入隊試験は受けてもらう。その結果次第だ。明日ここへ遅刻しないように」
私の言葉に笑顔を見せたクロッシェット。思わぬ言葉に私も動揺を隠せず、それまで出ていた言葉が突如として姿を現さなくなった。
訓練はそれから続き、日が暮れたところで終了した。翌日の訓練を控えたクロッシェットの言葉が頭から離れない私はレラージェとの会話中も終始呆けたように言葉を返し、就寝を迎えていた。