クロネコの輝き
視界に広がる無数の勇者。しかし人この世界に存在する一部に過ぎない。私はライフルのトリガーを引き続けた。相手が何であろうと、私に残されている選択肢は、戦うことだけだろう。銃口から眩い閃光が解き放たれ、同時に炸薬の加速を得た弾丸が音速を遥かに凌ぎ、勇者達の眉間へ撃ち込まれる。ライフル一丁で一人が対処出来うる限界を優に超えている。しかし洗練されたライフルと経験が物を申す。ライフルという彼らの未知なる超兵器は、迫り来る敵をなぎ倒し、それまで生命を保っていた人間が肉片となり土へ還る。
「ウルフ援護する。私の後ろに隠れて!」
無線からクロッシェットの肉声が耳に入る。本体から弾薬の尽きたマガジンをリリースボタンで落とし、マガジンケースから新しいマガジンを引き抜く。その刹那、クロッシェットが私の正面で背負っていたバリスティックシールドを展開し、降り注ぐ魔法を弾き飛ばす。
「そうやっていつも攻められると思うなよ!」
シールドを斜めに構え、頭とUZIマシンピストルの銃口を突き出し、人差し指が掛かる黒いトリガーを引く。発射速度毎分600発。加速した鉛は金色の輝きを放ち、弾丸は金属の雨となる。
「リローディング!」
「カバーする。だが連射は出来ない」
ホルスターへ差し込んでいたデザートイーグル50AE対物拳銃を引き抜き、ライムグリーンのポインタが印字されたアイアンサイトに目を通す。
「ナナシ。加速術式と炸裂術式同時に掛ける」
「わかったよご主人」
体内に生息する精霊、ナナシへ術式のオーダーを送りつける。互いにタイミングを合わせ、口ずさんだ言葉は魔力の開放に必要な呪文を意味していた。
「今宵、魔王から受けしこの力、今ここで禁を解く。我、審議の雷を有し、その裁量をここに解き放つ」
漆黒と藍鉄色の魔法陣が交互にデザートイーグルを包み込み、弾丸への細工を施してく。トリガーに私の指が掛かり、照準と銃口が勇者の頭を捉えると、弾丸は撃鉄の圧迫を受け発射される。炸薬の反応に加え、加速術式で付与された副作用の強烈な反動が、電気ショックを直接腕に掛けたように感覚を麻痺させる。痺れと苦痛が腕を襲おうとも私は弾丸を放ち続けた。
「オーケーウルフ。もういいわ」
「ナナシ。術式解除。翼と腕を同化する」
翼としての機能を発揮していた第二の手を、肉体の腕と同化させる。弾薬の節約を兼ねた物理攻撃を仕掛けようと、着々と準備を行う私を横目に、クロッシェットがUZIの銃声を轟かせる。
「合図と同時に伏せるぞ」
「えっ!? どうして?」
「いいから」
スコープの反射光がレーザーサイトの代用となり、勇者の頭を捕捉している。微妙な光が額を照らすキルフラッシュを、私が見逃すわけがなかった。
「伏せろ」
頭を強引に地上へ押し込み、体をうつ伏せに倒す。その瞬間、射線に障害物がなくなったスナイパーは、草陰から眩い閃光と音速を凌駕した弾丸を放つ。輝きは勇者の眉間を貫通し、勢いを止めない。それは12.7mmのナイフを音速で弾き飛ばしたことに等しい。貫かれた風穴は、どんな装甲であろうと貫く脅迫にも見える。
「ミーシャ、ペンデ。ガイアとミリアの援護に回ってくれ。私達はもういい」
「了解」
「了解です」
うつ伏せで倒れこんでいた私は、押さえていたクロッシェットの頭から手を外し起き上がる。ブツクサと文句を垂れながら起き上がったクロッシェットは、UZIを再び手に携え、突撃する。
「痛いのよ。強引というか。ウルフは女性の扱いをわかってないわね」
「仕方ないだろ。それより、この数を相手にどうする?」
「決まってるでしょ。全員殺す」
「望むところだ」
ライフルの銃口を再び勇者へ向け、トリガーに指を掛ける。銃声と閃光の入り混じった混沌が広がり始めていた。
突撃するウルフの背中を横目に、私は裏切り者を前にマシンガンの銃口を構えた。二百発の装填するを誇るM249ミニミを軽々と構える私は、すぐ目の前にいる女に殺気をチラつかせる。
「さーて。どう調理しようかなララーシェ」
「調理されんのはテメーの方だルーネ」
「魔力の回復だって出来る僕に勝てると思っているの?」
「さぁーな。ただ私はテメーを殺さなきゃ気が治まらねー。だから殺す!」
人差し指がトリガーへ掛かる。連続射撃の可能なこの銃を、私は躊躇なく放つ。それが味方だった女に向ける最後の手向け。冥土の土産をくれてやる。
銃声が連続して鼓膜を刺激し、軽機関銃の驚異的な連射力が弾丸を次々に展開する。弾幕という言葉に相応しい光景が目の前に完成されていた。しかしその弾丸を見切っていたルーネは容易く一発一発を回避、迎撃してゆく。
「やっぱり射撃はヘタクソなんだねララーシェは」
「数撃ちゃ当たるってのを知らないのかルーネ」
「それだから僕を殺せないんだよ!」
絶叫したルーネがライフルの銃口を私が持つM249へ向ける。銃口から放たれた閃光と弾丸が、M249の銃口へ突き刺さり花を咲かせる。折れ曲がったバレルが弾丸を抑えきれず、4面に板が折れ曲がり可憐な華が咲き誇った。射撃不可能な武器を携帯する余裕などない。M249をその場に放り投げ使い捨てる。
「自慢のマシンガンは使い物にならなくなっちゃったね。ララーシェ」
その言葉が私の聴覚に突き刺さる。相手は連射可能のライフルを所持し、状況の優劣が完全についた状態でも、私は笑っていた。銃がなければ、ナイフで戦えばいい。膝に装着したホルスターからサバイバルナイフを取り出す。
「誰が戦えないって言った?」
「へー。やっぱり魔族って無謀な奴が多いんだね」
「ああ? お前もその一人だろルーネ」
右手に構えたナイフをルーネへ投射する。アンダースローで振り上げたナイフは軽々と回避され、勢いを失い彼女の背後へ落ちる。
「馬鹿としか言えないよララーシェ」
「自分で判断しろ。馬鹿かそれとも」
別のホルスターから別のナイフを取り出し投射する。携帯しているナイフの数をルーネはまだ知らない。両足に渾身の力を込め、距離を一気に詰めようと試みる。向けられた銃口が閃光と弾丸を放った瞬間、左手に持ったサバイバルナイフで見切った弾丸を斬りつける。真っ二つに割れた弾丸は私の頬を掠め、背後の森へ迷い込んでいった。
「どうして」
「馬鹿かテメー。銃撃戦だけが戦いじゃないんだよ!」
距離が狭まり、手を伸ばせば届く位置まで接近する私。これでいいんだ。躊躇するななんて言葉は眼中にない。むしろ殺しを望んでいる。サバイバルナイフがルーネの腹部を突き刺そうとした瞬間、私の腕が止まった。
「チェックメイトだ」
攻勢が一転し、動こうものなら腸を抉れる位置にナイフが置かれる。躊躇いのないはずの手が止まった瞬間だった。
「なぜ殺さないの?」
答えが見つからない。何度もその質問に思考し言葉を生み出そうとするが、答えに相応しい言葉が見つからない。止まったナイフを見つめ、ルーネの疑問をただ聞き流す。
「答えが出ないんだ。ララーシェらしくないね」
「その余裕はどこから生まれる」
「え?」
自然と動いた口と声帯がそんな言葉を表現した。疑問形の回答に私は叫ぶように復唱した。
「その余裕はどこから生まれるっつってんだよ!」
木々を反射し、戦場に響き渡る私の声。女らしくもない絶叫がルーネの耳に入ると、彼女は声をあげ笑った。嘲笑に聞こえる声が怒り狂い理性を崩壊させた私に響く。
「まだ気づいてないんだ。君達が罠に引っかかったってこと」
「何?」
「今いる部隊は君達をここへ誘い出すための陽動。本隊は城で戦っているころじゃないかな?」
「....お前!」
腹にあったナイフが首元へ移動し、ルーネの胸座を左手で鷲掴みする。嘲笑を続けるルーネの表情を、私は破壊したかった。
「君達って本当に馬鹿だよね。それを今更気づかされるなんて、どうかしてるよ」
嘲笑い蔑んだ瞳で私に視線を送り続けるルーネ。私の手にある凶器がルーネの首元を目掛け突き刺さろうと腕を振り上げた瞬間、背後から言葉が飛び出す。
「そのセリフ、そっくりそのままお前に返そう」
聞きなれた擦れる金属音と、マガジンを差し込む独特の音響。私の腕が止まった瞬間、背後の森から一人の女。
「君は」
「ララーシェ。そいつは泳がせておけ。自分が起した行為をまだわかっていないようだ」
「その前にお前は誰だ? 見たことのない顔だが」
「ヴェクター。それだけ知っていればいい」
ナイフをホルスターへ差し込みルーネの武装をすべて剥がす。胸座を掴んだ左手がルーネを前方へ突き飛ばすと、ヴェクターは背負ったアサルトバックからタブレット端末を取り出した。
「見えるか。これが今の城の状況だ」
「いい気味だ。これでようやく戦争が終わる」
「まだ状況が伝わっていないようだな。仕方がない。さぁ問題だ。この城にいるのは誰でしょう」
私はヴェクターと名乗る女の言葉にようやく気づかされる。つくづく自分が人の話を聞き流していたことに痛感し、ルーネも状況をようやく理解する。そこに映し出されていた映像は言わずと知れた上空から見た魔王城。
「....まさか」
「そのまさかだ。ここには誰もいない。大量の航空機燃料とC4プラスチック爆弾以外はな」
「やめろ....」
「今更か? もう遅い」
「やめろ!」
ヴェクターはマガジンポーチの一つから無線で起爆を行う遠隔操作スイッチを取り出す。セーフティーを外し、親指を赤に染まるボタンに被せると、嘲笑が暗い怯えた表情へ一変する。
「もっと戦争を続けようじゃないかルーネ」
「やめろぉぉぉぉ!」
ヴェクターの一言が起爆の引き金だった。タブレットの液晶画面が激しい黒煙に包まれ、視界が一気に暗くなる。赤外線カメラの白黒映像から熱源を示す白色の影が消え、肉片が至る所で飛び散る。
「ララーシェ。ウルフは今何処にいる」
「中心地で戦闘中。無線の周波数は戻しておいたぜ」
「わかった。聞こえるかレラージェ。今から指定する座標に砲撃を頼む」
別の無線機で呼びつけた先は、この戦場から35キロ離れた洋上。受信機から漏れるレラージェの声に耳を傾けた。
「なんじゃ。わしは今艦隊の中心におるんじゃが」
「無線で他の艦に伝えろ。主砲、トマホークを今から送る座標に撃ち込むだけだ。簡単だろう?」
相手の同意なしにヴェクターは、携帯型レーザー誘導装置をその場に設置する。駐留する勇者の施設へ向けレーザーを照射すると、まず反応したのが空中で制空権を確保したイーグル二機。腹に抱えた爆弾を、30度の角度で降下し投下する。
「ドロップ、ナウ!」
ヴァルの軽快な声が耳に装着したイヤホンから響く。直後の爆音とジェットエンジンの音響は芸術品とも思える程、鮮やかに敵の施設を木端微塵に破壊した。
「こちらララーシェ。ルーネを無力化」
「よくやった。死んでいるか?」
「生きている。あとで懺悔をウルフがじっくり聞いてくれるってよ」
私の笑い声と銃声が戦場を駆け巡っていた。
ライフルの銃声と、無数の魔法陣が瞳と耳を奪う。そこが戦場であれば耳にする音は単純で簡単な音ばかり。それが人を殺す音とは誰もが知っている。銃声の間に割り込んだ爆弾の音響。炸裂した火薬が石レンガ製の建造物を吹き飛ばす。
「イーグルか」
「そうみたいね。ウルフ正面から来るわよ」
ライフルの銃口が勇者達の額へ合わせる。しかしジェットエンジンに混じった微量の混在音に気づき、その場を離れる。
「クロッシェット。退避だ。砲弾が来る」
「えっちょっと!」
クロッシェットを担ぎ、私は後退を開始する。明らかに一つ迫る音があった。そして木々の合間から一瞬、忌まわしいその姿を見せる。
「トマホーク....誰が」
「わらわじゃ。ったく無線の周波数を変えおって」
巡航ミサイルトマホークのロケットエンジンが藍色のブーストを見せつけ、上昇を確認させる。そして弾頭を地面へ向けると勇者が集うセンターへ突き刺さった。
「伏せるぞ。爆風で吹き飛ばされるなよ!」
再びクロッシェットの頭を抑え、地面へ押し付ける。炸裂した高性能爆薬の爆風が破壊された建造物の瓦礫を吹き飛ばし、背負っていた彼女の盾に激突する。
「クッソ。どうしてこうなるのよ!」
「トマホークの爆載量は常軌を逸している。弾頭に積まれた高性能爆薬が炸裂すればこうなる」
「そういうことじゃないわよ!」
再び文句の蛇口を開放するクロッシェット。発射を指示したわけでもないが、すべて私の責任にされる。戦場で陥る典型的なパニックのパターンである。どうして自分だけと喚き暴れる。しかし彼女はこれにじっと耐え続けていた。
「早く離れるぞ。ここにいたらマズイ」
「え、ええ。わかった」
うつ伏せになっていた体を引き起こし恐怖で足が竦む彼女を私は担ぐ。ここで動けなければただの的になる。目の前に未知の兵器が現れれば、尚更である。これを敵に回した勇者達はクロッシェット以上の恐怖を抱いているだろう。
「全員撤退だ。下がるぞ」
「了解。ハンヴィーはすでに待機中。ミーシャが運転席に」
「やってみたら出来た。早く乗って」
「わかった。すぐに戻る」
ただひたすらに走り続けた。街の正門から脱出を試み、砲弾とミサイルの雨雲から抜け出す。127mmの速射砲が街の至る場所に弾痕を刻み。建造物を破壊していく。ハンヴィーへ戻った私は、一人メンバーが欠けていることに気づく。
「ララーシェはどこだ?」
「まだ帰ってきてない。どうする?」
「ミーシャ、クロッシェット。ハンヴィーを海岸線まで走らせろ。私はララーシェを迎える」
帰らぬララーシェを見捨てることなど出来るわけがない。無力化したルーネにも一度目を合わせ、話をしたい。その欲求が単独行動という究極の結論を導き出した。
「でもウルフが」
「いいから早く行け。私は戻る。必ず」
背中を見せ、親指を立て彼女達を撤退させる。躊躇していたミーシャも私を引きとめようと言葉を発したが、今の私にそれは無意味だと判断した。ガソリンエンジンの回転する音響が背中から離れ、ハンヴィーは走り去っていった。
「ララーシェ。今何処だ?」
無線機に呼びかける言葉が焦りを若干混入させていた。その声に返事はない。手当たり次第、彼女を探す。数分後返ってきた無線はララーシェとは別の肉声が耳に入る。
「こちらヴェクター。お探しのララーシェなら私の元にいる」
「無事か?」
「負傷している。格闘戦で撃たれたんだろう。腹から出血を伴っている。魔族にも血はあるのだな」
「そんなことはいい。合流する」
草陰に身を隠したララーシェとヴェクターの元へ走る。腹を撃たれ、傷を放置し隠れたのだろう。血液が移動の痕になり場所の特定に役立つ。合流した私は腹部を圧迫するララーシェの姿を目にした瞬間、生存の安心と傷口の不安が入り乱れた。
「大丈夫か?」
「平気だ....これくらい。戦ってるときは痛みなんてなかったんだけどな」
「アドレナリンかそれに似た物質だ。痛みを消す。どうするヴェクター」
「バックアップは用意している。任せろ」
クロネコ小隊が使用している無線機とは別の機材を取り出し、口元へ当てる。ヴェクターが口にした言葉の羅列に私は目を見開いた。
「ブリッツ、ルイソン。展開中のオスプレイをすぐにこちらへ向かわせろ。ウルフとララーシェ、私はブリッツの便で戻る。ルイソンは東10キロまで後退したウルフの部下を回収。マクレーンのヴァイパーはブリッツの援護。いいな」
「了解。シュバルカッツェにいた頃とはまたいい男になったな。ウルフ」
無線機から漏れる声に私は感動を起す。共に戦った部隊のメンバーがそこに集結していたのだったからだ。
「こちらブリッツ。まもなく目標上空」
「質量魔法には注意しろよ。上方から叩き潰されるように起こる。ヴァイパーは撃ちまくれ」
「了解」
「了解。ヴァイパー1攻撃開始」
「撃ちまくるぜ! 行くぜマクレーン」
「味方を撃つなよクリス」
高速で上空を通過した攻撃ヘリコプターAH-1Zヴァイパーは機体下部の30mm機関砲の射撃を開始する。回転した砲身が眩い閃光と巨大な弾丸を放つと、人間の体は一瞬にして崩れ落ちる。
「こちらブリッツ。着陸地点の確保を確認。後部ハッチを開ける」
「了解。乗り込むぞ」
ララーシェを背中へ担ぎ、ローターが発生される強風の中オスプレイへ乗り込んだ。後部ハッチに備え付けがされているM2機関銃の銃座へつき、ボックスマガジンを取り付け弾薬を込める。
「相変わらずだなウルフ。敵がいなくとも銃座には必ずつく。本当に変わらない奴だ」
「無駄口はいい。早く出してくれ」
「はいはい」
上昇を開始したオスプレイが、反転し追い越したヴァイパーの背中を追う。飛行魔法を使用した勇者が複数、射線に入り私はグリップの間に付けられたトリガーを引く。固定されたマシンガンは反動を極限まで抑え、射撃に適した最強の兵器へと生まれ変わる。
「ブリッツ。振り切れるか?」
「やれるさ」
スロットルを押し込みエンジン出力を最大でオスプレイを加速させていく。M2ブローニングの銃声は遥か上空で演奏を始め、弾丸は無慈悲に人間の眉間を貫く。弾幕の中を飛び続ける勇者は、高射砲の中を飛び続けるプロペラ機に等しい。いつかは被弾し墜落する。結末を最初から見透かしていたように、私は火薬の爆発的なエネルギーで弾丸を吹き飛ばす。濃密な弾幕が瞬間的に形成されると、勇者は追跡を止め、反転し撤退を開始する。ヴァイパー、オスプレイ共に平地を抜け、蒼い大海原の上空へ自由気ままに飛び出す。純白の浮かぶ雲を抜けると、砲弾とミサイルの雨を降らせていた元凶が現れる。何もない大海原をビルが聳え立つ都会へ一変させた元凶。世界最大にして海の空港とも呼ばれる舟は、魔族の希望。戦争を終わらせる最後の鍵。艦首側面には大きくレラージェの文字が刻まれ、その舟が魔族の所有であることを示す。
「空母打撃郡」
「私の記憶から生成した。お前の嫁さんおっと失礼。レラージェもあそこに乗っている」
オスプレイの高度が次第に下がり、可変翼のプロペラが垂直の方向へ偏向すると、機体はヘリコプターと同等のホバリング性能を有する。鼠色の滑走路へランディングギアが接地すると甲板の隅で待機していた作業員の魔族が続々と現れ、機体を拘束、収容準備に取り掛かる。その中には鼻を長くし私の帰還を待っていた愛する女性も混じっていた。後部ハッチが完開するとヴェクターが、次にその場に広がる景色を予見しララーシェを空母の集中治療室へ運ぶ。瞬きする暇など彼女が与えるはずもない。背中を見せ去っていたヴェクターに溜め息を吐きながらも、オスプレイの車内から空母の甲板へ足を踏み出す。
「....帰ってきたぞ。レラージェ」
「少しはマシな面になったのうウルフ」
「私は変わらないさ。レラージェこそ、気味の悪い面から変わった」
「言っておけ」
言葉を交わす最中、私とレラージェの距離は次第に狭まる。そして互いの肌が接触した瞬間、私の唇が彼女の口を塞いだ。その甘く深い口の交わりは、戦場を生き抜いた私の特権だったのだろうか。空母の甲板で慌しく作業する魔族を余所に私達は絶対に忘れることのないキスを交わした。
その様子に部隊のメンバー全員が目を向け、赤面を浮かべる。ペンデに至っては赤面に加え、瞳を小さな手で覆っているが指の隙間から止観している。唇を離すとレラージェはメンバーに不気味な笑みと上目使いを見せ、自分がされている一種の経験を自慢げにアピールする。
「えっとその。そういう愛の形もありだと思いますよ!」
「わかった。少しペンデは落ち着け」
甲板に響く雑音とそれに混じった私の声。太陽が照らす空母とそれを取り巻く護衛駆逐艦。波音と共に奏でられるのはそんな私の日常だけだった。
集中治療室へ送られたララーシェは、大量の出血を起しかつオスプレイでの輸送が負担を掛け、その後意識を失った。しかしヴェクターの迅速な処置で二日後彼女は波で揺れる船のベットで起き上がる。
「....ここは....どこ?」
私の見つめる目の前で目を覚ましたララーシェ。呼吸器越しの篭った肉声、皮膚を突き刺した点滴の針、繋がれた点滴袋とそこから落ちる水滴。最初に掛けた言葉は場所を示す単語だった。
「ここは空母だ」
「くう....ぼ?」
「洋上の空港。今の魔王城。痛みはないか」
声を出すことを躊躇っているのかその質問に頷き、回答を表示する。ララーシェらしくない消沈の具合に、私は少々記憶の障害も心配した。
「撃たれたことは覚えてるか?」
「....覚えてる....ウルフが助けてくれた。そうだろ?」
「ヴェクターだ。医者の資格も持ってる。魔族の体は人間と大差ない。容易に処置が完了したと」
「そう....ありがとう」
「それはヴェクターに言え。心配したぞ」
この二日間。私は彼女の事が頭から離れなかった。生命の危機に直面しているチームメイトを忘れられるはずもない。目覚めるその日まで私は病室を訪れ、声を掛けていた。
「そう....か。ウルフの....声聞いてたぞ」
「聞こえてたのか。少し寝てすっきりしただろう?」
「ああ。もう少しで起き上がれる....はずだから」
笑みを浮かべるララーシェ。心拍数と血圧を表示するディスプレイが数値と波打った線をリアルタイムで映し出す。木製の丸椅子に腰掛ける私へララーシェが何かを要求する。
「ウルフ。私を一度抱きしめて」
「なぜだ?」
「いいから」
戸惑う私はとりあえず体を差し出す。大きく開いたララーシェの腕が私の体を包み込むと、血流の温もりが伝わる。病衣の彼女は異常なまでに色気を発揮していた。
「ってははは。ウルフは騙されやすいんだな!」
私を抱擁するララーシェが大声を上げ笑みを溢した。マスクを外し甲高く響く声を病室にあげると、その騒ぎに気づいたのか他のメンバーが病室へ駆けつける。
「お前って奴は。本当はピンピンしてたんだろ?」
「あったりまえだ。あんなのでおっちんじまうなんてらしくないだろ!」
私の体を包み込んでいた腕が離れ、再びベットへ寝込んだララーシェ。駆けつけたクロネコ小隊のメンバーとシュバルカッツェのチームメイト。初めて二つのクロネコが顔を合わせ、その皆がララーシェと私に目線を向ける。
「ったく女癖が悪いっつーか」
「う、ウルフ様はそういう人なんです!」
「ウルフ様だってよ。どうだ? トップスターになった感じは?」
「うるさいぞブリッツ。オスプレイから叩き落すぞ」
「すまねぇーなウルフ様」
陽気なブリッツと半ばキレ気味なヴァル。人間という生物としての括りは同じなのだろう。しかしそれまで生活してきた次元が食い違っていた。加えて私とララーシェの一件を一瞬、目撃していたことも加算される。
「第一ウルフ様はレラージェ様と婚約なされてるのに恥ずかしくないんですか。まったく男というのはどこまでレベルの低い生き物なんですかまったく」
その場で正座を構え、ヴァルの説教を正面から受ける。その姿は仲の良い夫婦そのものだった。
「ウールーフー」
おぞましい肉声が背後から二つ鼓膜を刺激する。狭い病室に漂う強烈な冷気。それを放つ二人は私が認める史上最強の女達だった。
「わらわを放って何をしとるのじゃ?」
「女癖と来たらありゃしないなウルフ」
「ヴェクター。ちょっとカタパルトで吹き飛ばしてもいいかのう?」
「ああいいんじゃないか。少しは女癖も直るからな」
正座していた私を二人は引きずり、甲板へと上げる。悲鳴を上げ絶叫を起しながら退場した私を、恐怖の目で見つめるチームメイトは戦場の空気よりおぞましかった。
それから数日。甲板から飛ばされることはなく無事生還を果たした私だったが、戦争の状況は一向に明るさを見せなかった。勇者の大規模攻撃から数日。私の任務は減少する兆しすらなく、増加の一方にあった。
「今回は街の開放だ。人間の圧政による占領がされている都市へ攻撃を仕掛ける。これは破壊が目的じゃないことを覚えておけ。市民は絶対に撃つなよ。いいな」
「了解」
メンバーの肉声が私の耳に届くと、輸送機オスプレイへと搭乗していく。洋上に展開する空港は魔王の新たな城として君臨した。水蒸気カタパルトの煙。汚されることのない白色の水蒸気は規律と緊張に包まれた甲板を漂った。垂直に立てられたローターが回転を始め、強風を発生させ甲板の水蒸気を吹き飛ばす。艦橋からその様子を覗くレラージェへ私は親指を立て、合図を送った。
「本当にマメな方なんですね」
「ああ。ペンデほどでもないけどな」
会話を持ちかけたペンデへ言葉を返す。再び戦場へ赴く私の気は正常で人間の形をした兵器と化していた。そんな私がここまで好かれる理由はわからない。当たり前を当たり前に行う兵士が最後に生き残る。それを教えたのは他でもないヴェクターだった。
「いいか。絶対に生きて帰る。私達が行く先に平和がある。それを忘れるな。クロネコ小隊、空母へ敬礼」
腕を横に頭の目前で構える。合図で乱れぬ敬礼を行った小隊のチームメンバー。私達は今宵も戦場に弾丸と踏み出した一歩の痕を残し続けるだろう。私はそう信じ戦場へと赴くのだった。