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露命  作者: 遥風 悠
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4 宿痾(しゅくあ)

【4 宿痾(しゅくあ)


 刺激的な夏休みだった。充実した長期休暇だった。随分と色々な所へ出かけた、生武さんと。デートと言っていいのだろうと思う。去年を思い返すと、大学1年の時には外出すらもあまりしなかった。自宅か近くの図書館かというのが多かった。食材会にスーパーへと言うなればマシな方で、一歩も外に出ずという日も珍しくなかった。旅行等にはいかなかったし、実家には3日間しか帰らなかった。何をしていたのかと問われれば、何もしていない。それが今年は楽しい夏休みだった。これまでで一番。社会人になってしまえば学生ほどの長期休暇など望めるはずもないから、障害で最高の夏休みということで良いかと思う。

 初デートは映画を見に行った。地元の小さな映画館。小学生の時に何度かアニメを見に来たことがある。さすがに今回はアニメでなく、一応、話題のラブストーリーだったが、見終わったあとに感想を述べられるほどは肝っ玉が座っていない俺。映画館を出ての第一声は

「ま~だ潰れてなかったのか・・・」

 俺の独り言に生武さんは笑ってくれた。独りに潰れてしまっていた俺が心を奪われるには十分過ぎる出来事で、平たく言えば浮かれていたのだろう。だから、数ヵ月後に起こる変事に対して、一般的な判断を下すことができなかったのだ。

 映画の後は、定番のファーストフード店へ。ドリンクとポテトで一息ついてから母校に向かった。

 「ちょっと見ていこうか、我等が母校を。」

 そう誘ったのは生武さんだった。手をつなぐこともなく、真夏の日差しの中をゆっくりと歩いた。2人共、大粒の汗をかきながら。決して恰好に良いデートではない。それでも、幸せだった。もしもこの瞬間、生武さんも同意見であればと思う。何より相手のことが気になり、悩み考え苦悩する。でもそれが嬉しくあり悲しみに繋がらない。それが好いているということなのだろう。

 当然小学校も夏休み。校庭開放というのだろうか、男の子達数名がサッカーをしていた。この炎天下、遊びに夢中で水分補給を忘れていなければいいが、なんて話をしながら、正門に体を預けて校舎を眺めていた。

 「新しい校舎もすっかり馴染んだんでしょうね。」

 生武さんはもちろん、俺も新校舎で学校生活を送ったことはない。

 「もう新校舎なんて、誰も言わないんだろうね。」

 不意に心地良い風が吹いた。違和感を覚える冷たい風。猛暑に犯された肉体にはとても有難かったのだが、隣の女性の表情が沈んでしまった。

 「そうかもしれませんね。もう5年以上は経っているのか。でも、まだまだキレイな校舎なんだと思いますよ。」

 「そう・・・だね。」


 およそ2ヶ月の夏休み期間中、生武さんと出かけたのは7回。その7回目の場所はユリの木公園だった。ベンチに腰掛け、無邪気に遊ぶ子供達を黙って見守っていた。昔の自分に重ねていた。思い出していた。砂場で砂山を作り、滑り台を逆走し、ブランコを目一杯まで漕ぎ続け、鉄棒で逆上がりに挑戦する。微笑ましい。

 いつの間にか重なる右手と左手。触れるは平と甲。確かな温もりが嬉しかった。大した会話は無し。それでいいのだ。それがいいのだ。無言が苦にならない。無音が気にならない。そんな関係が互いに疲れないという話ができた時、すっと肩の回りが軽くなった気がした。

 30分ちょっと座っていた。日影とはいえ、さすがに暑い。ペットボトルの水もぬるま湯に変わってしまった。立ち上がり、以前ユリの木のあった所でキスをした。公園の端の端だから子供達には見られていまい。もしもユリの木があったらその幹に背中を預けさせて。

 その瞬間、俺は目を瞑っていたから生武さんの瞳に映った呪いの塊を伺い知ることはできなかった。涙ぐんでいたのは感極まったのではなく悲しみと怒り。憎しみと決意の記憶。もっと疑うべきだったのだ。生武さんが何故、俺に近付いたかを。



 9月1日

 道路拡張工事、決まる。

 該当するのは全部で二十八世帯。

 明日以降、足を運ばねばならないが、梶山商店が辛い。

 今でも時々買いに行っているなんて誰にも言えないが。

 梶山さん、移転の話をしたらどんな顔をするだろうか。



 9月4日

 道路拡張工事の件、該当世帯への説明を終える。

 梶山商店も然り。

 梶山さんは黙って聞いていた。

 時折ただ頷いて、最初から最後まで話を聞いてくれた。

 そして一言だけ。

 「お店を畳みます。」

 これが私の仕事だというのか。



 病室にて。

 「せっかくの夏休みなんだから、こんな所にいたら駄目だよ。」

 「あ、起きた。おはよう。」

 「うん、おはよう。」

 「りんご切ってあげるね。口、ゆすいできたら?」

 「うん。ちょっとトイレに行ってくる。」

 俺は旅行先で倒れた。旅館で。2泊3日、2人でのんびりしようと誘ったのは俺なのに、初日の晩、温泉に入って夕食をとった後、俺の体は言う事を聞かなくなった。ホント、タイミングが悪いよな。ずっと調子が良かったのに、一番大事な時にこうなっちまうんだから。別に何これをしようというわけではなかった。走馬灯のように駆け巡る記憶の中にひとつでもふたつでも人の羨む光が欲しかったのかもしれない。大好きな人に自分の面影を残したかったのかもしれない。でも結果的には大人しくしていた方が身の為だった。

 「ヨーグルトもあるけれど、食べる?」

 「う~ん、いや、りんごだけでいいや。」

 ここが病室でなくて、会話だけを聞いていれば幸福な休日のひと時。ゆったりと時間の流れる2人だけの世界に違いないのだが。

 「お、ウサギちゃん。相変わらず器用だね。」

 「エヘヘ・・・ちょっと細工をしてみました。」


 旅館にて。言う事を聞かない身体と薄れゆく意識の中では視界を保つことすらできなかったけれども、耳だけはどうにか機能していた。もしかしたら平生よりも鋭かったかもしれない。突然の出来事にもかかわらず由良さんに慌てた様子はなかった。声の調子からすると随分落ち着いていたのではなかろうか。ちょっとくらいあたふたしても罰は当たらないんじゃないかと複雑な感情が生まれてしまうくらい。由良さんの、常に地に足の着いた冷静沈着な所を羨ましがり、自分に無いものと認め好きになった。俺の名を呼び、女将(おかみ)さんに救急車を頼み、電話では俺の容態を分かりやすく説明していた。優しく俺の手を握りながら。心底心強かった。おちゃらけと集中力という鎧を剥ぎ取られたら不安と恐怖しか残らない。自覚してたつもりだったが、しんどいな。その後由良さんは俺の荷物から薬を取り出し、救急隊員に渡していたようだ。俺の意識はこの辺で力尽きる。

 

 浴槽にて。三日連続で血を流している。さすがにちょっと貧血気味かな。加えて手首の傷が拡がってしまって、長袖が少しめくれただけで見えてしまう。包帯を巻くと余計に目立ってしまうし、どうしたの?という質問に対する返答が用意できない。困ってしまう。藤近君が倒れてから精神が安定しない。自らの意思と自分の手で実行したのに、我ながら情けない。湯船に手首を浸す時間が長くなっている。意識が遠のくわけではない。いっそのこと気を失ってくれれば楽なのに、頭はしっかりと冴えてしまっている。『G線上のアリア』もさすがに飽きてきた。それでも止まらない。止めることができない。病室に泊まりたい旨を藤近君に話したが、決して許してくれなかった。男と猫は、弱り死に果てる姿を他人に見られたくないんだ、なんて格好つけていた。そんな人に、私は助けてなんて言えるはずもない。きっと全力で助けようとするから。それこそ命を賭けて。もうすぐ夏休みが終わる。水谷くんにどうやって説明しよう。



 始業まで5分。後期日程初っ端の講義。由良と俺は軽く挨拶を交わし、授業の準備を済ませた。あとはムードメーカーの登場を待つだけ。これまでより幾らか待ち遠しい。夏休み何してた、の質問に対してちゃんとした受け答えができそうだ。きっと盛り上がるぞ。藤近は驚くだろう。冷やかしてくるかもしれないな。それもいいだろう。飲み会は今週か来週か。そこで明かしてもいいか。生武さんとの約束は入れないようにしないとな。

 始業3分前。軽やかなスニーカーの音も、リズミカルな鞄の擦れる音も聞こえてこない。無論、姿は見えず。こんなことは今まで一度もなかったが、

「珍しい、寝坊かな。」という由良の一言でそうなのだろうと独り合点した。そして授業に集中。明日、藤近が来たらノートを貸してやろう。その時に話してみようか。だから由良にもまだ内緒にしておくことにしよう。由良も俺もいつもどおり講義を受けた。

 次の日も、その次の日も。二度と3人で講義を受けることはなかった。



 9月23日

 梶山さんが亡くなった。

 私のせいだろうか。

 私が殺したのだろうか。

 違う。

 けれども守れなかった。

 地元をより住みやすく、

 区民が皆、幸せに。

 自己犠牲も(いと)わない。

 その思いに偽りと変更はない。

 ただ、こんなはずではなかった。

 これは私の夢でも希望でもない。

 悪夢に他ならない。



 秋晴れが続く。後期日程が始まって2週間経過。水谷の我慢が限界に達した。状況が変わらないのならば、自らの手で変化の糸口を手繰り寄せてやる。水谷の変化を複雑な思いで実感する由良。1年前の水谷であれば藤近への配慮は口にしても、おそらく実際に行動へ移すことはしなかっただろう。わざわざ手間と面倒と労力を増やすことはしまい。それは今はどうだ。

 「俺、藤近の家、行ってくるわ。全く何やってんだか、ほんとに・・・」

 「えっ。」

 ある日の講義終了後、水谷は宣言した。

 「連絡つかないしさ。藤近の奴、ブッ倒れていたら困っちまうしさ。」

 水谷君は変わった。特にこの後期日程に入ってからは一層。本気で藤近君を心配して、怒の感情を顕にして、今日はこれから家を訪ねるという。夏休みに良い事があったのだろう。羨ましいし、呪わしい。だから聞いていないし、今も止められなかった。家に居ないことを知っているのは私だけなのに。理由を問われ説明する状況がはっきりと想像できてしまって、恐ろしくて、首を突っ込むことができなかった。それじゃ、宜しくね、なんて白々しく見送ることしかできなかった。


 潜行の日は予定通り11月2日。父の命日に当たる。あと3日。雨の心配は無し。雨予報であれば日にちをずらすことも考えなくてはならなかったが、変更の必要はなさそうだ。私のささやかな、命を賭けた抵抗。新たな命を吹き込まれた場所に、かつて輝いていた命の姿を捧げる。それで何かが変わるわけではない。変えようとも思わない。願わくば、ひと握りの人でも構わないから思い出して欲しい。失われた命を。私の命もあげるから。万年筆で描かれた絵画は喪章とでも認識してくれればいい。逆恨みだということを重々承知の上で、この故郷に父の生きた証を刻み込んでみせる。言いたい放題、好き勝手に振る舞い、気が済んだら何事もなかったようにあっさりと忘れてしまう。そして人の命が、父の命が奪われたことなどどこ吹く風。

 これで思い残すことはない。

                                         

                                                                                   【4 宿痾(しゅくあ) 終】

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