2 遡行
【2 遡行】
黒板に『本日休講』の文字が掲げられた日。3人でアウトレットモールへ赴いた。藤近が靴を買い、由良がCDを購入した日。導かれるように絵画通りを歩いていた。素通りするつもりだったが好奇心に溢れすぎた藤近がブルーシートに並べられた絵画に吸い込まれてしまった。さらに画家の女性と会話まで始める始末。その話によると絵は全て万年筆で描かれているそうだ。それらの絵が頭から離れなかった。
絵心の全くない俺だが、嫌いというわけではない。ただ、こういう感覚は記憶にない。とある絵を好みだとか気に入ったということではなくて、どこかで見たことがあるような気がして仕方なかった。お陰で何をやるにしても集中力が削がれていけない。
あれ。どこかで聞いたことのある歌だ、メロディーだ、なんて思いをしたことがあるだろう。タイトルすらも思い出せない、知りもしないが確かに聞いたことがあって、そして好きなのだ。無意識に刻まれた記憶。無意識の中から引き上げられた記憶。時にその記憶が覆い尽くし、物語を紡いでいくのだ。
ということは、大学の最寄駅からこの下車駅までずっと監視されていたようなものか。関東地方も梅雨入りし、昨日は雨。今日も昼過ぎから雨、このままずっと明日まで雨らしい。今朝方、気象予報士が残念そうに伝えていた。雨が嫌いじゃない奴も少なくないんだけどな。
晴耕雨読ではないが、雨の日はまるで外に出なくても罪悪感が湧いてこない、というのは俺の特殊な感覚だろうか。平日はやはり講義が入っているので自宅に籠るわけにはいかないが、出不精の俺にとって休日が雨だと喜びも一入というやつだ。本を読んでゲームして、音楽聴いてテレビ見て。眠たくなったら昼寝して。食事はピザでも取れば良し。俺の最上の休日である。そんなことはどうでもいいか。
そうそう、藤近は雨が嫌いだそうだ。何でも靴が痛むとか汚れるとか。雨用に一足買おうかなと独り言を漏らしていたので、長靴でも買ったらどうだと助言してみた。返しは、そういうこっちゃないんだよな~、水谷ちゃん。
「大学は実家から通っているのかな。」
下車駅が近付いたので本もしまい、扉の近くに立って待っていると不意に声を掛けられた。扉のガラスで背面の人影を確認、戸惑いつつ振り返った。女性の声だったので恐怖心はなかったのだが。
「あれ、確か絵画通りの―」
顔見知りというわけではないが全く知らない人物ということもなく、とりあえずは平常心を取り戻すことができた。
「へぇ~、あの駅前の通り、絵画通りって言うんだ。」
いや、そんな洒落たネーミングのはずがない。勝手に俺が名付けたのだ。
「すみません。俺が勝手にそう呼んでいるんです。」
「そっか。別に謝ることじゃないよ、水谷クンっ。」
名乗ったことはない、もちろん。平常心は動揺に。そして混乱へ。落ち着け。おそらくは由良、藤近との会話の最中に俺の名前が出てきたのだろう。ただ、聞いてみて問題あるまいて。突き止めなくては夜眠れずに、金縛りに遭いそうで。
「あの、どうして俺の名前を?」
「学校だって分かるよ。」
そりゃ、大学は絵画通りからご覧頂けますから。
「A小学校でしょう。」
「え、あっと・・・はい。」
正解だ。一応断っておくが、由良も藤近も俺の出身小学校など知っているはずはない。出身高校くらいの話はしたことがあるかもしれないが、さすがに小学校まで遡ったことはない。つまり、2人からこの女性に情報が流れることはありえない。
「K駅で降りるってことは、実家から通っているのかな。」
「いえ・・・独り暮らしなんです・・・いや、そうじゃなくて。なんで俺の名前を。小学校まで。どこかで―」
ここで制限時間だと言わんばかりに扉が開いた。K駅に到着した。とにかくホームに降り、振り向いて話を聞こうとすると、
「またね、水谷君。しばらくはあっち、絵画通りには行かれないけど、近い内にまた会いましょう。」
扉が締まり列車が走り始めても笑顔で手を振り続ける女性を、俺はつくねんと見送った。通り過ぎる数名の人間が羨ましさを隠しながら見て見ぬフリをするのを把握しながら。それから1ヶ月、絵画通りに絵が並ぶことはなかった。どこか見通しの良くなった通りから趣味の悪い光線が放たれる。気持ちを害する眩しさと感じている人間は俺ひとりではないはずだ。何度でも繰り返そう、誰なんだ、この薄紫を選択した奴は。少しでも覆い隠して頂かないと。絵画通りとは名ばかりの1ヶ月。一体どこへ消えてしまったのか。路上を使う契約みたいのがあって、そいつが切れてしまったのだろうか。売行きが芳しくないということで場所を変えたのだろうか。
身勝手なもので、毎日絵が並び女性が座っていた時は邪魔者扱いしていた。鬱陶しいと。もちろん女性が何かしたわけでも、声をかけてきたわけでもない。絵を並べて座しているだけ。その通りを俺が歩く。絵画も女性も視界に入らないよう地面だけを見つめて。間違っても話しかけてくれるなよ、と祈りながら。だから軽く汗ばんで緊張するのだ。売れている所は見たことがないし、立ち止まって絵に見入っている客を見かけえた記憶もほとんどない。どうせ売れていないのだろう。目障りなんだよな。そう思い込んで闊歩していた。
だのに、いざ姿が見えなくなると浮き足立つ。落ち着かない。無いものねだりとでも言うのだろうか。妙に過去の景色が浮かんできた。絵を購入するつもりなどないし、多分、時間をかけて眺めることもない。同じように早足で素通りする。会釈くらいはするかもしれないが・・・
独り暮らしなので独りで夕食を摂る。料理はあまりしてこなかった。けれども外食、中食ばかりというわけにもいかず、やってみるかと始めて早一年。ちょっとはまともに作れるようになったかという反面、レパートリーの少なさに参ってしまう。世の主婦の気持ちが分かるなんて言ったら、青二才がと怒られそうだが。
梅雨のド真ん中、カレーでも作って温まることにした。スーパーで牛すじを発見。ちょっと小洒落て献立を牛すじカレーに決めた。肉を柔らかくするのに多かれ少なかれ時間は食ってしまうが、待つのも料理のうち。というのは由良に習ったんだっけな。
小さな鍋で先に牛すじだけをコトコト煮詰める。柔らかくするだけなので調味料などは入れず、ただコトコト、コトコト。ひたすらにグツグツ、グツグツ・・・普段なら台所を離れて本を読んだりテレビを見たりするのだが、今日は鍋の前を離れなかった。離れる所まで思考が届かなかった。テレビを見たいという欲求も、本でも読むかという閃きも抑圧された。鍋の中には薄暗い水と薄黒い塊。そこから浮かび上がる風景画。一歩間違えればホラー映画の一幕なのだが、あの景色。どこかで見たことがある。が、ぼんやりとしてどうしても思い出せなかった。
大学の講義中。藤近程とはいかないまでも、その日の集中力も悪くなかった。余裕を持って入室し、心を落ち着け、準備万端。雑念なく授業に没頭、話の内容だって抜かりなく頭に入っているはずだった。眠気もなかった。けれども珍妙なもので、講義が始まって60分が過ぎたあたりだ。白い背景に黒い文字の羅列された教科書に目を落とした途端、文字が風景画を浮かび上がらせて。星座の様、とでも言ったら良いか。文字が勝手に結びついて、記憶の中にあった絵の輪郭が浮かび上がってきた。オイオイ、と、ポリポリ思わず頭を掻いてしまった。
絵について、由良と藤近から話が振られることはなかった。もちろん俺から話題にすることも。だから事々しくなってしまったが
、日が経つごとに病気は治っていった。俺の日常生活を妨げることもなくなり、記憶されていた万年筆の奏では徐々に薄れて白色に近付いた。
来週にも梅雨明けすると言っていた。一気に夏の日差しが降り注ぐそうだ。蒸し暑さに殺人的な日光も加わるということで、冗談抜きに命を守る行動を心掛けなくてはならない。年々熱中症による死傷者の報道が世の習いになっていく。屋内、屋外を問わず、さらに就寝中に熱中症で死んでしまうのだからどうすればいいというのだ。エアコンを上手に活用し、枕元には水分を。それを忘れたら命の危険が。地球は生きることの難しい星になってしまった。
講義を終えて2人と別れた。本日も絵画通りは絵画通りとして成立していなかった。雨のせいかな、梅雨時に外で絵は売れないかとも考えたが、多分違う。最後に会った時には既に決まっていたことだと思う。そんな下らない感想で一日の区切りがつきそうな電車の中。心模様は空と一緒。雨は降らずも陽も注がず。最寄駅で下車し、エスカレータで下り、自動改札を抜ける。するとどうだ、まるで俺を待っていたかのように、あの女性が立っていた。正直ちょっとだけお化けかと思った。濡れ高さを畳んで片手に、薄暗い空の下で直立不動。俺の存在を認識すると、空いたもう片方の手を挙げて迷いなく
「ヨッ!」と声を掛けてきた。呆気にとられて思わず定期券を落としてしまった。慌てて拾い上げ頭を上げると目の前に。そして、
「ちょっと付き合って欲しいんだけど、あるかな。時間。」
俺の答えを待たずに彼女は歩き出した。定期券を仕舞いながら後を追う。スタスタ、スタスタ・・・隣同士並んで歩けば恋人か姉弟にでも見えるのかもしれないが、縦並び。会話なし。振り返ることなく突き進む女性に3歩遅れて付いていく男。姫と腰巾着か。ご機嫌斜めの女性に慌てふためく男。そんな風に写っていたかもしれない。聞くべきことが積まれすぎて整理のつかぬ状況で、結局は何から尋ねたらよいのか決められぬまま歩き続けた。できることはついていくこと。
ここから二十数駅離れた駅前の通りで絵画を販売する女性と、その駅近くの大学に通う学生。絵を買ったことはないし、話もしたうちに入らないだろう。とても2人で行動する仲ではない。正体が分からんし。
「あの~・・・」と話しかけても届かないまま歩くことおよそ15分。彼女のスニーカーが止まった。かかと部分に印刷されたエンブレムが藤近お気に入りのものと同じだという発見と共にスっと視線を上げた。彼女の背中越しに一軒家。彼女の自宅なのだろう。無意識に表札を探す。やっと彼女の名字が判明する。正体を暴くというほど大それたものではないが、こちらの名前だけバレているというのは気持ちが悪い。不平等だ。
『生武』。
「イ、キ・・・タ、ケ――あっ、そうか!」
珍しい名字だが、読むことができた。これまでの人生の中で『イキタケ』、『生武』という人と繋がりを持ったことがあるということだ。そして思い出した。ここにきて初めて気が付いた。背丈だけは逆転したようだが、生武姉ちゃん。一言で言えば小学校の先輩である。先輩、後輩という言葉は中学生以上での表現かもしれないが、俺が1年生の時に彼女は6年生だった。この学年差であれば知り合うことはあまりないのだが、オリエンテーションだったか、6年生と1年生の交流を図る時間が設けられた。要するに、まだ学校になれない1年生の面倒を6年生がみる。その時に遊んでもらった。これがきっかけで、休み時間によくよく1年生の教室へ遊びに来てくれた。一人っ子の俺としてはお姉ちゃんができたみたいで嬉しかったのを覚えている。
生武さんが卒業してからは交流もなく思い出すこともなかったのだが、表札を見て、霞んだ記憶が一気に蘇った。
「どうぞ―」
向こうは俺のことに気付いているのだろうか。そりゃ、気付いているだろう。いつからだ。小学校以来、1度も会っていない人間の顔を覚えているものなのだろうか。男性と女性の感性とか記憶の仕組みの違いなのか。少なくとも俺は全く気付かなかったわけだが。
「お邪魔します。えっと、あの・・・」
玄関で欠けた所作に戸惑う。
「ああ、靴のまま上がって。家だけど家じゃないから。格好つけちゃうと、アトリエ。」
靴のまま上がらせてもらうと、ひとつの部屋へ案内された。元々はリビングだったのだろうか。ガランとした、何もない部屋。家具のない部屋というのは寂しいことこの上ないということを思い出した。本当に仕事部屋として使っているのだろう、至る所に作品が置いてあった。部屋の入り口に立って一目しただけでも彼女のルールが伝わってきた。写真から絵を創る。描き途中か完成品かは分からないが、必ず写真とワンセットになっていた。そして壁には一枚の地図が貼ってあった。どこの地図だろうか、世界地図とか日本地図ではないみたいだが、まぁ、いいだろう。
この部屋の侘しさで蒸し返された記憶。大学入学が決まって、自宅近くで独り暮らしを始めた。自らの希望を押し通したはずだった。
「突然お邪魔して、おうちの方にご迷惑じゃないですか。」
沈黙に耐え切れず切り出した。数メートル先で何やら探している生武さんに聞こえるよう少し声を張って。
「ん~、何言ってんの~。無理矢理連れてきたのは私だし。それに誰もいないから気にしないで。それよりちょっと待っててね。どれだっけな、あれ~。あ、あった、あった。これこれ。」
独り言だと言われても俺は納得する。部屋の入り口で立ち尽くす客に気を遣うことなく、茶を出すわけでもなく、背を向けたまま何かを探し、探し出したらしい。
「はい、これあげるわ。」
差し出されたのは一枚の絵だった。それはそうだ、この部屋には絵と写真と地図しかないのだから。
「えっと、これは―」
「見覚えある?」
思わぬ展開に動揺してしまったが、すぐに目の前の絵と記憶を結び付けることができた。順序としてはあべこべになってしまったが、何かが一歩進んだ気がした。
「そうか。」
俺の声に目を丸くしていた生武さんに小声ですみませんと謝った。それから、
「これ、小学校じゃないですか?俺達の。」
「うん、正解。感心、感心。この絵は我等がA小学校。」
そうだ、彼女の描く風景はどれもA小学校周辺のものだ。果たしてA小学校を中心点としているかどうかは分からないが、遊歩道もユリの木も、駅も公園も駄菓子屋も。では何故気が付かなかったのか。それは現存しない姿だったからだ。
帰り道。足取りは重たかった。絵を渡された途端、無下に「じゃあね」と言われたからではない。思い出したくない事が、無意識の内に封印していた幼少時の記憶が召喚されてしまった。
幼稚園児だったかその前か。実家すぐ近くの公園から一本のユリの木が亡くなった。自転車も乗れない年齢だとやはり行動範囲は狭くなる。遊ぶ場所は母親の目の届く所で。唯一独りで出かけることのできた遊び場、母親が家事などで忙しい時、「いってきまーす」と飛び込むことのできた世界、それが『ユリの木公園』だった。懐かしいな、毎日通っていた。ブランコ、滑り台、砂場に鉄棒、ジャングルジム。全ての遊具を隅から隅まで遊び尽くした。ブランコがキーキーと音を鳴らし始める角度、滑り台のペンキの剥がれ具合い、砂場の赤土までの深さ、鉄棒の落書き。ジャングルジムで触っていない棒はない。自分の所有物のように把握していた。そんな俺が、公園のシンボルとも言える『ユリの木』の消えたことに気付かないはずがなかった。
シンボルといっても、公園の中心にでんと構えていたわけではない。公園の隅っこの方、申し訳なさそうにひっそりと、何一つ主張するこなくだんまりと立っていた。優しく子供たちを見守り、それこそ晴れの日はもちろん、雨の日も風の日も。台風にだって負けなかった。何十年ぶりかの大雪だって何のその、そこらじゅうに作られた雪だるまに温かさを加えてくれた。
子供たちはみんなその気が好きだった。木登りをするわけではないし、隠れられるほど太い木ではない。それでも、近くを通ると幹にタッチする。ちょっと遊び疲れると寄りかかり、うんと疲れた時は寄り添うように腰を下ろした。
でも『ユリの木』は、雷に打たれた。真夜中のこと。消防車も出動したらしいが、そんなことは知らない。手の施しようがなかったのかもしれない。『ユリの木』は根元から消え、穴ぼこは埋められていた。何もありません、安全ですよと言わんばかりに、真っ平らに。
6月23日
今後はこんな内容の日記が増えそうだ。辛くとも書き続けなくてはならない。記録として、私の生きた証として。
現在決まっているだけでも4件。下手をすれば今月中にもう1件追加される。対立構図は明らかで、要するに賛成か反対か。多数決において至極当然のこと。
一般人は楽でいい。意のまま思うがままに好き勝手言いたい放題。それでいて何一つ批判を浴びることはない。結論に関しては身近な時事ネタとして、世間話にはもってこいだろう。けれども私は違う。どちらに転んだとしても必ず追及を受ける。人は言う、それがお前の仕事だろう。勝手な邪推である。そんな仕事を選んだ覚えはない。
神木の撤去が決まった。明日以降、しばらくは反対派への説明に追われる。如何せん高齢者が多い。激しい口論になることはあるまいが、老人の悲しげな顔と声は心が痛い。責められるより辛い。
【2 遡行 終】