L・O・D~戦皇伝・序~
これは以前に別サイトにて『L・O・D~ある冒険者の受難~』として掲載された作品を直したものです。
その受難の原因を一言で語るならば、それは『口は災いの元』なのだろうか。
俺が住む世界である『神蒼界』、そこでは今、《秩序の光》と《力威の闇》という二つの勢力が互いに争っている。
そして、冒険者という因果な生き方を選んだ俺も又、そこで傭兵の真似事をしながら、日々の暮らしを凌ぐ身分であった。
正直な事を言ってしまえば、俺にとって二つの勢力のどちらが世界の覇権を握るのかは、些細な問題であった。
戦場という熾烈な舞台で強い奴を討ち破る。
それこそがこの歪んだ世界に於いて、俺が唯一の生き甲斐とする事だった。
そして、その為だけに俺は、戦士として自らの力を磨き上げてきた。
常に強者との戦いの場所を求め、節操も持たず、請われればどちらの勢力にも味方する、そんな戦狂いの俺を、他者は何時しか皮肉を込めて《怖れを知らぬ者》と呼ぶようになった。
それは言うならば、『運命』と呼ぶべき出会いであった。
俺は、その時、自らが好み誉れとする戦場の先駆けを以って、存分に暴れまくった高揚感に駆られるまま、魔物討伐の依頼に挑んでいた。
その異形達との戦いの最中、周囲に生じた異変の空気を感じ取った俺の耳に人間の悲鳴が聞こえた。
それまで俺を相手に戦っていた魔物を含めた、その大半が突如、群れを成してある一箇所を目指し走り出したのである。
そして、その明らかな異変の中心に、俺が聞いた悲鳴の主がいた。
何が起きたのかは分からなかったが、俺には、何をするべきかが分かっていた。
俺は、相棒であるナビを連れて、迷う事無く、敵の群れへと突進する。
『《戦神の加護》! 《猛々しき剛腕》! 《堅き護りの盾》!』
俺のナビであるヴァレンシアは、俺の指示を受けるまでも無く、絶妙のタイミングで戦闘補助の魔法を連続発動させた。
「《狂乱の殲滅刃・改》!」
俺は、《力持つ真名》を気合いに代えて叫び、極限まで練り上げた氣の刃を魔物達の群れへと振り放つ。
俺が誇る戦技によって発生した無数の練氣刃は、ヴァレンシアの魔導の加護を受けて、その威力を更に高めながら前方にいる敵の一群を斬り裂いた。
そして、狙いに違わず進む道を斬り開いた俺は、そのまま一気に魔物達の群れへと突撃した。
当たるを幸いとばかりに、敵を得物である厚重ねの長剣で次々と討ち倒す俺の瞳に、敵のど真ん中で巨大な獣と戦う女魔導師の姿が映る。
目の前の敵である巨獣と互角に渡り合い、更には、群がる魔物達までをも連続詠唱による攻撃魔法で退け続ける女魔導師。
彼女の鮮烈な戦い振りに、俺は、不覚にも一瞬だけ見蕩れてしまった。
『《魂を縛める呪縄》!』
敵の自由を奪うべくヴァレンシアが唱えた魔導発動呪文の声で、俺は、正気に戻る。
『《狂戦士の乱舞斬》!』
俺は、《力持つ真名》によって引き出された力の充足感に高揚を覚えながら、周囲に群がる敵を斬り裂いていった。
幸いにも、倒した魔物達の屍から流れ出る血の匂いに誘われて新手の敵が現れる事は無く、俺達の周りに在った魔物達の数は確実に減っていった。
俺が、群がる敵を屠り終えた時、件の巨獣を相手にした女魔導師の戦いにも決着が着こうとしていた。
『《アルティメット・フレア》!』
《力導く言葉》である魔導発動呪文の詠唱を果たすと同時に、彼女が解放した魔力の烈光が巨獣の身体を灰燼に帰した。
「おめでとう!」
俺は、彼女の見事な勝利に、敬意を込めて祝福の言葉を投げ掛ける。
それに対し彼女は、深く息を吸い込みながらの微笑で応えた。
「ありがとうございます。貴方が助力してくれたお陰です。本当に助かりました」
深呼吸で心を落ち着けたのであろう彼女の口から、俺に対する感謝の言葉が告げられる。
彼女が示した実力を考えれば、余計な手出をしたと責められる可能性も考えていた俺は、素直で丁寧な感謝の言葉を告げられて安堵した。
「否、寧ろ、余計な手出しだったのでは?」
俺は、相手の誇りを傷付けて要らぬ争いの種としないようにと、一歩身を退いた返事を返す。
「いえ、本当に危ないところでした。貴方が助けてくれなければ、精神がオーバーヒートして気絶するか、敵を凌ぎきれずに餌食となっていました」
彼女が示すその態度に、俺は、慇懃に振舞い過ぎた事を反省する。
「本当、自分に慢心して無理をし過ぎたみたいです。助けて頂いたお礼として、これは是非、貴方が受け取ってください」
彼女はそう言うと、自らの戦利品を俺に差し出す。
それは、倒した巨獣の皮衣であった。
俺には、その使い道は勿論、どれ程の価値を持つのかも分からない代物であったが、巨獣が誇った強さを考えれば、その希少性からかなりの価値が在るモノだとは分かった。
それを欲しく無いと言えば、嘘になる。
しかし、俺にも意地や誇りが在った。
「ありがとう。でも、それを受け取る訳にはいかない。俺は剣士だから、自らの剣で勝ち取ったモノしか自分に受け入れられないんだ」
我ながら、詰まらない意地に拘った格好の付け方だと思う。
だが、それを譲ったら、前に進めなくなる事を俺は知っていた。
否、正確には、或る存在によって教えられた。
だから、俺は、自らの力で望むモノを掴み取る為、傭兵として戦場に身を置き、その修羅の道に強さを求める事を選んだ。
「そうですか。如何やら、余計な気の使い方をしてしまったみたいですね」
そう口にして、彼女は、済まなそうな表情を浮かべた。
「俺こそ、折角の申し出に、妙な意地を張ってしまって済まない。如何か許してくれ」
俺は、彼女の示す態度に如何応えれば良いか分からず、苦笑混じりに詫びた。
「良いのです。そういう意地も素敵だと思いますから」
その表情を柔らかな笑顔に変えて、彼女はそう呟きを洩らした。
「そうなのかな?」
正直、そう素直に言われると、俺としては困惑するしかなかった。
「はい。私にもそれと似た意地というか、如何しても叶えたい目的みたいなモノがありますから」
「そう、なんだ」
彼女が口にした言葉と共に示す強く真直ぐな意志に圧されて、俺は、戸惑うように相槌を返した。
「そうです。だから、私は、今よりもずっと強くなりたくて、それに少し焦っているから、自分に先刻みたいな無理をしてしまうんだと思います」
「そうか、俺にも貴女と同じ様な自分の『夢』に焦る想いがあるから、その気持ちも少しだけ分かる様な気がする」
彼女が抱く想いの熱に浮かされ、俺の心は、この世界に抱いた『夢』を思い出す。
それは、自分の心に刻み込まれた『屈辱』という傷から流れ出る血を拭い去り、その傷痕を癒す事であった。
その『屈辱』の傷を俺に刻み込んだのは、《雷斬り》の異名を持つ者。
それは、自らの力に己惚れた俺に、未だ癒せぬ傷と引き換えに剣士の誇りを示し教えた存在でもあった。
与えられた完全な敗北という事実以上に、その戦いの末に彼へと抱かずにはいられなかった想いこそが、俺にとって何よりも屈辱であった。
それは、畏怖であり、狂おしいまでの嫉妬と羨望であった。
俺は、彼の持つ強さに狂わされ、その畏怖に縛られる事によって、それ以外の怖れを知らぬ者となった。
「貴女の『夢』、叶うと良いな」
それが如何なるモノかは分からなかったが、俺は、同じ『夢』に焦がれる者として、真摯な想いでそう告げる。
「ありがとうございます。貴方も抱いた『夢』を叶えてください」
俺が告げた言葉に、何故か彼女は、熱っぽい眼差しで応えて、照れたように微笑を湛える。
彼女が示す感情の理由が分からず困惑する俺の思考を、ヴァレンシアの言葉が現実に引き戻した。
『マスター、《伝信の腕輪》が反応しています』
魔導の力を用いて遠く離れた相手に自分の言葉を届ける道具であるそれは、戦いに生きる者にとって、仲間との連携を保つ為の命綱という役割を持っている。
しかし、それも弧高の人間を気取る俺にとっては、無用に近いモノであった。
「戦場以外で鳴るとは珍しいな」
実際は、音を出して『鳴る』モノでは無く、振動で反応する道具だが、俺を含めた多くの人間が『鳴る』と表現していた。
『誰』からかなんて考えるまでも無く、相手の予想は出来ていた。
そして、それは予想通りの相手からであった。
『ちょっと、何してたのよ。ずっと呼んでたんだから!』
俺が話しの中断を女魔導師殿へと断わって腕輪の魔導を発動させると同時に、その存在は、開口一番で不機嫌に苛立った言葉を投げ掛けてきた。
その態度に俺は、一瞬、発動を切断して会話を終了してやろうかと思う。
しかし、それで済む相手でない事は熟知していたので、取り敢えず気持ちを落ち着けて、冷静に応える。
「済まない。俺を慕う可愛い奴らを相手に逢引の真っ最中だったんで、応えるのが少し遅れた」
流石に余り下手に出るのも莫迦らしいので、軽い調子の洒落を利かせた応えを返してやった。
『ふーん。それは、それは、おモテになって羨ましい限りですね、色男!』
「(少しふざけ過ぎたか、益々機嫌が悪くなってるな)」
やれやれ、正直、こういう面倒な流れは嫌いなのだが、仕方が無いのでまともに相手をする事を選ぶ。
「それで、一体、俺に何の用だ?」
下手に誤魔化すより、こうやって本題に入った方が明らかに無難である。
『何の用かじゃないわよ! 貴方、今回の戦いで《闇》の方に味方したんですって! 約束が違うじゃないの!』
「ああ、悪い。向こうに付いた方が報酬と遣り合う面子が良かったんでな。俺としては、十分楽しませて貰ったよ」
この場合の『面子が良かった』とは、敵となる相手の力量が高かったという意味である。
『ええ、そう見たいね! お陰でこっちは、楽勝で勝てるはずの戦いでボロボロよ!』
魔導の力で他者に盗み聞きされない分、直通で頭の中に響くその怒声に、相手の激怒の程が良く分かった。
それにしても、何時もの事ながら、感情が激しいというか良く咆える女だな。
これで付き合いが長くなければ、今頃、戦場で会えば敵味方の関係も無しにマジで遣り合うしかない宿敵同士になっていただろうな。
否、今でもかなり危険な関係ではあるけれど。
とは言え、俺も《怖れを知らぬ者》という異名に掛けて、これしきの事で退く訳にはいかなかった。
「なあ、シェリア。味方の戦力が遥かに優っていた戦いを、高々、俺独りの裏切りによって引っくり返されぐらいで怒るのが、お前の求める『正義』ってヤツなのか?」
『うっ、うぐぅ…。わ、私はそういう事を言ってるんじゃ無くて、貴方がした約束の反故という不誠実な行いが許せなくて、それを怒っているだけよ!』
「(おお、明らかに動揺しているな)」
俺は、相手の弱点を見事に突いた自分のクリティカル・アタックに、内心で快心の笑みを浮かべる。
そして、止めの一撃として更なる攻撃を繰り出した。
「分かった、シェリア。俺とお前はやはり、戦場に互いの意志を賭けてぶつかりあう宿命にあるみたいだな。だから、次に戦場で相見えたならば、容赦も遠慮も無く、俺に斬り掛かって来れば良い。俺もこれまでの縁を忘れて、本気でお前の相手をしよう!」
『ちょと、ちょっと待ちなさいよ! 何、独りで勝手に格好良く話しを進めてるのよ。私は、貴方と戦いたいなんて言ってないでしょう。唯、貴方に、私と交わした約束を護って欲しかっただけなのよ!』
不思議な事に、このシェリアという女は、俺が話の展開をそっちに持って行くと急に大人しくなる性質をしていた。
それ程までに、俺が敵である《力威の闇》を助ける事が嫌なのだろうか。
流石は、《秩序の光》が誇る最終兵器にして、『正義の狛犬』の英名を頂く究極の狂信者である。
正確な事を言えば、シェリアが冠する英名は、《英戦の戦乙女》であり、『正義の狛犬』とは、潔癖過るあの女に対し、俺が勝手に付けた仇名だった。
「そうか、それは悪かった。だが、俺は何を言われようとも、今の生き方を変えるつもりはない。強い奴と遣り合う。俺は、それ以外の事に興味なんか無いからな。それが気に食わないのなら、先刻も言った通りにすれば良い」
他の事ならば、多少なりとも譲る気持ちはあるが、これに関しては絶対に譲れない。
それを分からせる為、俺は、強い口調でシェリアへと告げる。
『分かったわ、好きにしなさい。でも、約束は約束。今回の反故にされた分は、次の戦いで必ず返してもらうわよ。それも倍返しで。良いわね!』
シェリアは、俺の言葉を受け入れながらも、自分の主張をきっちり押し付けてきた。
正直、そういった指図を受けるのは好むところで無いが、下手に逆らって面倒が増すのも莫迦らしいので、ここは大人しく引き下がる事にした。
「分かった、分かった。倍返しなんてケチな事は言わず、五倍、十倍の活躍で報いてやるから、精々、派手な活躍が出来る舞台を用意しておいてくれ。じゃ、そういう事で!」
俺は、そう嘯いて会話を終わらせようとする。
しかし、相手がそれを許してはくれなかった。
『ちょっと、待ちなさいよ。貴方、今、何処にいるのよ?』
「『何処って』、そんな事を訊いて如何する積りだ?」
俺は、何か否な予感のようなモノを感じて、尋ね返す。
『勿論、逃げられないように、捕まえに行くのよ』
「(…『捕獲』ですか。ちっ、信用無いな)」
相手が本気である事を、十二分に分かっている俺は、本気で面倒な展開になったと内心舌打ちする。
嗚呼、本当に面倒臭い。
それを自業自得と諦められる程、俺の人間性は成熟してはいなかった。
「悪い、シェリア。今の俺に必要なのは、唯一の自由のみだ。次の戦いには、必ず《光》サイドで参戦するから、そういう事で見逃してくれ」
決して束縛される積りはない事を踏まえつつ、相手の行動を制止する為の言葉を告げた。
それで引き下がる相手では無い事は、俺にも分かっていた。
案の定、シェリアの感情が激しさを増す。
『見逃せる訳無いでしょう!』
それは、怒声と言うのも生温い一喝であった。
「何故だ? お前の目的は、次の戦いで俺が《光》サイドに付くと約束した事で果たされた筈。それまでの俺の行動なんて如何でも良い事だろう。逃げたりしないから、疑うな」
節操を持たない俺といえども、流石に約束の反故を繰り返したりはしない。
それが分からないような関係でも無い筈なのだが。
シェリアは、何故かそれでも引く気配を見せなかった。
『如何でも良くないわ! そこいらの女にチヤホヤされて浮かれられて、肝心な所で役に立たないなんて事はごめんなのよ!』
「???」
一瞬、その言葉の意味が分からず困惑する、俺。
しかし、それが先刻の軽口に対するイヤミだという事に気が付く。
「ああ、先刻の『逢引云々』の事を言っているのなら、それは誤解だ。そんな色っぽい話しじゃ無くて、群がる魔物達を相手に大暴れしただけだからな」
俺がそう告げると、シェリアは、妙に安堵した感じで一言、『ふーん』とだけ応える。
「という事で、俺は疲れた。帰って寝る」
俺は、これ以上に遣り取りをするのもこりごりで、それだけを告げると、一方的に魔導を切断した。
幸いにも、それ以上の追求は無く、無事に危難は過ぎ去って行った。
「じゃ、俺は、ここで退くよ。貴女も御武運を!」
それは、冒険者が冒険者に対し捧げる儀礼である別れの挨拶。
「はい、御武運を!」
そう返す女魔導師に手を上げて応え、俺は、街に戻る為、ヴァレンシアに《転移の導き》を発動するよう合図する。
「あっ! ちょっと、お待ちを!」
何かを思い出したように、彼女が慌てて俺を引き止めた。
如何したのかと怪訝そうにする俺に対し、彼女が苦笑に似た微笑を浮かべる。
「まだ、お名前を訊いていませんでしたね。私は、レイティアです」
告げられた彼女の名前に、俺は少なからず驚かされる。
「レイティア、…あの《闇の御子姫》か!」
《闇の御子姫・レイティア》、《魔刃皇》の英名を以って知られる《闇の神将・クアド》と共に双璧を成す《力威の闇》が誇る最強の女魔導師。
戦場に於いてその姿を見た敵が辿る末路から、彼女に付けられたもう一つの異名は、『死を狩る魔女』。
この世界に於いて身体的制約により成長の障害を受ける女性の身にありながら、魔導師の最高位に在る《魔司》と成り得た二人の存在の一人。
世界で唯一人、自らの力のみで《魔導皇の試練》と呼ばれる難関に挑み、それを果たした存在、それが彼女である。
もう一人の女性の身で《魔司》へと至った者にして、《雷斬りの雷聖》のパートナーである《純白の魔女神・雪華》が努力を極めた天才であるなら、彼女は、天性の才に恵まれた異彩の天才であった。
その正体を教えられた今ならば、先刻、彼女が見せた卓越した戦い振りも容易に納得できる。
「はい。『その』レイティアです」
恭しくも気品に満ちた返答の言葉。
そこには、《闇の御子姫》と呼ばれる者に相応しい冒し難き誇りが存在していた。
「俺の名は、ナタルス。唯、それだけの存在だ」
それは彼女が示した態度に報いるのには、多少に過ぎて不躾な言葉だったが、相手の正体に怖じて自分の態度を変えては、それこそ《怖れを知らぬ者》としての名折れである。
レイティアは、そんな俺の態度に気を悪くするでもなく、唯、感歎の表情を浮かべた。
「自らの死をも恐れず、強敵を求めて戦場を駆ける貴方の勇敢なる戦い振りは、私も幾度と無く噂に聞いていました。こうして思いがけずしてお会いしたのも何かの縁です。その縁により、再び何処かの戦場でお会いする事もあるでしょう。私は、その時を楽しみにしています」
彼女が言う戦場での再会、それが味方としてか、或いは、その逆かなのかは分からない。
しかし、その何れになるとしても、俺の中で彼女に対し返す言葉は既に決まっていた。
「ああ、俺も貴女との再会の縁を楽しみにしているよ」
俺が告げたその言葉に、レイティアは微笑みで応えた。
「では、御武運を!」
「はい。名残惜しいですが、御武運を・・・」
そうして互いに再びの挨拶を交わし、俺と彼女は別れる。
「…『名残惜しい』か」
レイティアが別れの前に口にしたその美しい響きを持つ言葉を反芻しながら、俺は、彼女の本質が《力威の闇》という意志に求めるモノに興味を感じていた。
後にして思えば、その本質こそが約束された再会の末に、俺と彼女達との運命を分かつ原因だったのかも知れなかった。
そう、このレイティアとの出会いは、俺にとって、『運命』の始まりを示す出来事の一つであった。
そして、俺にとって、『受難』と呼ぶべき『運命』の再会は、図らずとも直ぐに訪れるのであった。
『ナタルス! ナタルス! とんでもない敵が現れて、このままじゃ、こっちは総崩れよ! 早く、来なさい!』
それは、交わした約束を守って《秩序の光》サイドで戦う俺に対し、シェリアからもたらされた救援の命令。
それにしても、《英戦の戦乙女》をして、『強敵』と言わしめる相手とはどんな存在なのだろうか。
俺は、湧き上がる歓びの闘志に、シェリアの傲慢すら意に介さず、自らの戦場を求めて駆け出した。
「シェリア、敵はどこだ!」
ヴァレンシアを従え、目的の戦場へと躍り出た俺は、そこに戦友の姿を見つけると、敵の姿を求めて叫ぶ。
「ナタルス!」
「ナタルス!?」
戦場に相対する両者が、同時にして全く別の感情が込めて、俺の名を呼んだ。
味方の救援に歓喜するシェリアと新手として現れた敵に驚くレイティア。
「レイティア…」
俺は、敵として倒すべきその存在を前にして、僅かではあるが動揺していた。
「ナタルス…」
そして、一方のレイティアも又、俺以上に動揺していた。
「…?」
互いに視線を交えて微動しない俺とレイティアの姿を前に、シェリアが戦うのも忘れて訝しげな表情を浮かべる。
そんな三竦み状態を、レイティアを取り囲む《秩序の光》に属する者達の威勢の声が破った。
「《闇の御子姫・レイティア》、消えてもらうぞ!」
前衛に五人の戦士、後衛に四人の魔導師。
それに対し、レイティアの周りに味方の姿は無く、正に孤立無援の状態であった。
・・・マズイ!
それは、レイティアの窮地に対してでは無く、彼女の怖しさを知らぬ者達の無謀に対する思いであった。
『《魂凍える霧氷》!』
それまで抱いていた動揺など微塵も感じさせず、レイティアは、その攻撃魔法の一発で自らに迫る敵を退ける。
「流石は、《闇の御子姫》、死を狩る魔女』という異名は伊達じゃないわね」
味方の惨敗を目の当たりにして正気に戻ったシェリアの口から、賞賛にも似た感歎の言葉が洩れた。
「こうなれば、何としても私と貴方の二人であの『魔女』を止めるわよ、ナタルス!」
シェリアは、自らが口にしたその言葉の覚悟を示すように、得物である厚刃の大剣を握り直す。
「如何したのよ、ナタルス。呆けてる場合じゃないでしょう。戦わなければ、ヤラれるわよ!」
未だ戦闘態勢を取らない俺の様子に焦れたシェリアが、促す様に叫んだ。
「……」
それでも俺は、無言のままで動けずにいた。
「ナタルス、まさか貴方、又、約束を破る積りじゃないでしょうね!」
業を煮やしたシェリアの一喝が、俺に覚悟を決めさせる。
「済まない、レイティア。戦場で敵として出合った以上、俺も退くわけにはいかないんだ」
俺は、自分に言い聞かせる様に、レイティアへの宣戦を口にして、得物である長剣を構える。
「ヴァレンシア、何があろうとも一切の支援無しで構わない。分ったな」
それは俺にとってのレイティアに対するケジメであった。
『はい。了解しました、マイ・マスター。御武運を!』
ヴァレンシアの返事を背中に受けて、俺は、レイティアとの間合いを更に詰める。
「彼女は俺が倒す。シェリア、お前も一切の手出しをするな」
「分った、頼んだわよ!」
シェリアは、俺の言葉に頷き応えると、俺の背後へと退いた。
何の因果の導きに因るものか、俺とレイティアは敵と味方に別れて対峙する形で再会を果たす。
「これも又、宿命か…」
応えを求める訳ではなく、唯、独りごつる様にして、最後の覚悟を決める俺。
そんな俺の姿を見詰めるレイティアの表情が一瞬にして曇る。
それは、今にも泣き出しそうな顔であった。
「…ヒドイ、です。私の『夢』が叶うよう応援してくれるって言ったのに…。一緒に、世界制覇してくれるって言ったのに!」
「えっ!」
「えぇーっ!」
レイティアの口から語られた言葉に対する俺の驚きを、シェリアが発した驚きの声が掻き消す。
俺は思考を高速回転させて、レイティアに対する自分の言動を顧みた。
確かに、多少の差異が存在するが、語られた言葉の前半部分は事実と言えた。
しかし、残る後半部分は明らかに根も葉もない事実であった。
《闇の御子姫》たる彼女が抱く『夢』の正体が、《力威の闇》が勝利し、この世界の覇権を掴む事であることは、今なら推測できる。
だが、それを踏まえたとしても、今の状況たる誤解の原因は、彼女自身が行った都合の良い脳内変換に拠るものだ。
「ねぇ、ナタルス。それ、本当なのかしら?」
その問い掛けと共に背後に生まれた殺気の存在に、俺は、自らが置かれる状況が悪化の一途を辿っている事を思い知る。
・・・マズイ、ここで下手な返事をしたら、殺られる。
『それが本当なら、殺す!』というシェリアの無言の威圧をひしひしと感じる中、俺は、この窮地を打開する為に思考を回らす。
・・・そうか、ヴァレンシアだ!
起死回生の術を見い出した俺は、ナビに打開の為の支援を求める。
「頼む、ヴァレンシア、お前の口から誤解を解いてくれ!」
それで全てが解決する。
そう確信する俺の想いは、次の瞬間、空しく潰えた。
『マスター、如何なる状況になろうとも一切の支援は無用というご指示では? これもまた一つの試練です。御武運を!』
・・・うわぁーっ、そう参りましたか!
清清しいまでの表情で、『試練』という悟りの一言を告げる融通知らずのナビを見詰め、俺は、脱力を覚える。
「ナタルス!」
「ナタルス…」
シェリアとレイティアの二人が、俺の名前を呼んで応えを促す。
烈しい憤怒のシェリアと縋るようなレイティア。
その二つの視線に板挟みにされ、俺は、最後の手段へと及ぶ。
そう、それは、偉大なる先達が残した究極の危険回避の術。
『三十六計逃げるにしかず』
「時に戦いの場より退く事は、卑怯に非ず。という訳で、ここは退却あるのみ! 退くぞ、ヴァレンシア。着いて来い!」
俺は、そう言い放つと一気に真横へと走り出した。
自慢じゃないが、戦場で機敏に動くべく、鍛えに鍛えた俺の脚力は生半可では無い。
それは、当然の事ながら、重装備に身を包んだシェリアや、身体能力で劣るレイティアの到底及ぶ所ではなかった。
否、その筈であった。
しかし、俺の思惑は見事に裏切られる。
「待ちなさい、ナタルス!」
「逃がしはしませんよ、ナタルス!」
・・・えっ!
背後から聞こえるその声に、俺は自分の耳を疑った。
首だけを廻らし背後を見た俺の瞳に、大剣をブンブン振り回し疾駆するシェリアと、絶えず魔導を発動させ続けて飛翔するレイティアの姿が映る。
・・・嘘、マジですか!
俺は、《英戦の戦乙女》の体力と《闇の御子姫》の魔法、そのどちらに対しても見誤っていた自分の愚かさを思い知らされる。
・・・というか、アレは正直、反則だ。
「こうなったら仕方が無い。遣ってやる!」
俺は、《怖れを知らぬ者》という自らの異名に相応しく、ブチ切れる。
一瞬にして、それまでの疾走の勢いを殺した俺は、振り向き様に彼女達へと身構えた。
楽に勝てる相手では無い事、否、荷が勝ちすぎる位の相手である事は分かっていたが、俺の心に怖れは無かった。
そして、その戦いの幕は開かれた。
俺は、この時の戦いの記憶を持っておらず、ナビであるヴァレンシアも何が在ったのか覚えていなかった。
シェリアは、思い出すのも悔しいのか顔を真っ赤にして口を閉ざし、レイティアは、まるで夢見心地の夢遊病状態でまともな説明をしてくれなかった。
俺は、その異常な記憶喪失状態の中で、唯一の記憶として、あの剣士の存在がそこにあった事だけは覚えている。
そう、それは、《雷斬りの雷聖》という存在の事である。
まあ、そこで何が在ったかなんて事は如何でも良い。
今考えるべき事は、この身に降りかかる受難を如何するかだけである。
「ナタルス、今日こそは、決めてもらうわよ!」
「そうです、ちゃんと宣言してください。私と共に『夢』をかなえると!」
・・・嗚呼、無情かな我が人生。
「悪い、俺は俺らしく生きるから、諦めて俺を自由に生きさせてくれ!」
俺は、これまでに何度も繰り返したその言葉を言い放ち、彼女達二人と対峙した。
この受難が、俺に宿命付けられた『試練』なのだというのならば、俺は、その宿命たる『運命』に何処までも逆らってやろう。
そう、俺は何時でも自由で在り続ける事を、この世界に望んだのだから。