各務将人の告白 ‐回帰‐
ゴールデンウィークの連続更新は今回で終了。
鷲陽病院で発生した火災の第一報を耳にした時、各務先生は激しく動揺したという。想いを寄せている女性の勤め先で起きた出来事だ。すぐに安否を確かめるために電話をしたが一向に連絡がつかなかったという。
周囲に内心を悟られないよう表面上は平静を装いつつ、先生は九条詩織の無事を祈った。時計の長針が何度か時を刻む度に、再度連絡を入れたりニュースを確認したりして忙しなく過ごした。
そうして数時間が経過した後、ようやく彼女との連絡がついた。
「詩織! 大丈夫なのか? 何度も電話したんだよ?」
「……ごめんなさい。こっちも混乱していて連絡どころじゃなかったの」
先生はスピーカーの向こうから喧騒を聞いた。彼女は火災の現場近くにいるらしく、時折怒号が彼女の声に混じっていたという。
「怪我はないんだね?」
「ええ、なんとか」
それから彼女が無事であることを何度も確認した後、ようやく先生は安心して電話を切った。
その後、犠牲となった職員たちの葬儀が執り行われ、九条詩織も式に参加した。式には島守院長の姿も当然あったが、かなり憔悴していた様子であった。各務先生も参列して院長と話をしたがろくに受け答えが出来なかったそうだ。
葬儀の帰途を先生と九条は共にした。
「亡くなった人たちのことは本当に残念だったね」
「そうね……特別親しいってわけじゃなかったけど、それでも少し悲しいわ」
「島守さんもこれから大変だ。病院どうなるんだろう……」
「既に転院した患者も多いし駄目かもしれない。スタッフにも辞めたいって人いるし」
死亡したのはスタッフだけでも六名。同僚の死にショックを受けて辞職の意思を固めた医師や看護師も少なくなかった。それも無理はないと先生も同意した。
院長も経営を続けられる気力が湧かないらしく、副院長の浅賀も既に病院を畳む方針を院長に提案していると九条は語ったらしい。
九条も再就職先の候補を絞り込んでいる最中だった。いずれもそう遠く離れていない病院であったが、その中に『同盟』傘下の病院は無かった。
「本当にいいの? 僕の方から『同盟』に口利きできるけど」
「ううん、迷惑かけたくないからいい」
「迷惑だなんて……」
「これでいいのよ。私の付き合いがあること知られたらまずいから」
そう固辞されては各務先生も諦めざるを得なかった。彼としてはこの機会に彼女との関係を先に進めたいという思惑があったそうだ。
しかし、彼女の方は時期尚早であると判断した。
結局、二人が一緒の職場で働くという夢は叶わなかった。
事態が大きく動き出したのは、今から二年ほど前のことだ。
ある日突然、九条が各務先生に電話をかけてきた。それは互いに逢う時間をつくることができずに数ヶ月やきもきしている頃だった。
「ごめんなさい、急に電話して。近い内に逢えない? 相談したいことがあるの」
「今日この後でいいなら時間は空いているよ」
「それじゃあお願い! 場所は……」
九条が指定したのは二人が贔屓にしているバーだった。
約束の時間の十分前に店に入ると、彼女は既に到着していた。
「将人……」
「一体何があったんだい?」
「急に呼び出して本当にごめんなさい。私どうすればいいのかわからなくて……将人に聞いてもらいたくて」
「……?」
滅多に見ない平静を失った恋人の姿に各務先生は驚きを隠せなかった。普段は物静かで感情の起伏に乏しい彼女がここまで動揺を露わにするなど一体何が起きたのかと。それだけで先生は只事ではないと悟った。
「これから話す内容を知ったら私に失望するかもしれない。それでもあなたの意見が欲しくて……」
「事情はわからないけど僕に協力できることがあるならするよ。君の頼みとあればね」
先生に促された九条は鷲陽病院と鋭月の関係を語った。
最初は落ち着いていた彼も自分にとって身近な人たちが鋭月と関わりを持っていた事実に知り、顔色を悪くしていったという。
「まさか島守先生が鋭月と……それじゃあ詩織も……?」
「ええ、鋭月の――正確に言えば副院長の浅賀の元で研究を行っていたわ」
どうして、と先生は恋人を問い詰めたい衝動に駆られた。
しかし、この告白の発端が彼女からの相談にあったことを思い出し、沸き立つ感情を抑え込んだ。今になって告白するということは彼女に何か心境の変化があったからだ。まずは話を全部聞いてからでも遅くないと考え、詳細を訊き出すことにした。
「つまり、浅賀が病院を実質的に支配していたってこと?」
「そうよ。資金援助をする代わりに鋭月は二つ条件を出したの。一つは、浅賀を病院に入れてその監視下に置くこと。もう一つは、血統種の能力検査用の施設を建設すること。院長は病院存続のためにその条件を呑んだのよ。どうしても自分の代で潰すのが嫌だったからって」
「検査用施設って例の火災の現場だった所? どうしてそんなものを……」
「鋭月にはどうしても秘密裏に進めたい研究があったの。そのための施設や人材を確保するために動いていたんだけど、『同盟』や対立派内部の争いで思うようにいかなかった。そこで鷲陽病院を利用することを思いついたの」
九条はカクテルで喉を潤すために話を切った。
先生はその僅かな時間で打ち明けられた真実を胸の内で反芻し、整理する。
秘密裏に進めたい研究と新設された検査棟。
この二つの繋がりが何か先生には容易に読めた。
「……検査棟は隠れ蓑だったのか?」
「そうよ、人知れず研究を行うための実験施設。それがあの検査棟の正体よ。そのために鋭月はわざわざ資金の流れを巧妙に隠した上で病院に援助して、浅賀や私たち他の人員を送り込んだの」
「ちょっと待ってくれ。そんな話をするってことは、まさかあの火災は……」
「……多分、あなたの想像通りよ」
秘匿された実験施設で発生した火災。それが意味するところは明白だった。
火災の原因は実験中に起きた何かしらの事故。
「詩織。あの時、何があったんだ? 君はそれも話すつもりで来たんじゃないか?」
「……ええ」
九条は俯いたままゆっくり頷いた。
それはまるで己の犯した過ちを悔いているかのようだったという。
「それを説明する前に、あの事件で行方不明になった患者――糸井夏美について話しておかないといけないわ。憶えてるわよね?」
「ああ、患者が一人行方不明になったんだよね。その患者があの火災の原因と関係しているのか?」
「火災どころじゃないわ。あの建物が建てられた理由そのものと言っていいの」
各務先生は最初その言葉の意味が理解できなかった。
「あの施設は糸井夏美ただ一人のためだけに造られたと言ってもいいわ。彼女が保有していた能力を解析して、さらに成長させる――ただそれだけを目的とした場所よ」
「夏美の能力……確かごくありふれた治癒能力じゃなかったか?」
「ああ、雫さんもそう言っていた」
探せば見つかる程度の治癒能力。それが糸井夏美の能力に対する評価だったはずだ。
その能力を成長させるためだけの施設?
そんなことあり得るのだろうか。
「一見するとそうだったらしいね。周囲の人たちも別段疑問を抱かなかったって。でも――そうじゃなかった」
各務先生はほおっと深く息を吐いた。よく見ると額に薄らと汗が滲んでおり、ひどく緊張しているようだ。
「糸井夏美という少女の能力は――過去に例を見ない驚異的な代物だった。正直僕もまだ信じられない。本当にそんなことがあり得るのかと」
妙に勿体ぶった言い回しに俺は只ならぬ何かを感じ取った。
「一体何だというのです? 彼女の本当の能力は」
凪砂さんが訊ねると、各務先生が唾を飲み込む音がした。
俺も凪砂さんはこの時同じ感覚を抱いていたに違いない。
先生によって語られる真実が俺たちをこの複雑怪奇な迷宮から抜け出すための鍵となる。
その一方で、俺は形容し難い感情を抱えていた。
言葉ではうまく表現できない漠然とした不安。
何故かと言われても理由を説明できない。
ただ、ふと脳裏を過ったのだ。
横山が死の直前に口にしていた言葉と、それに対する寧の反応を。
これから俺は蓋を開けてはならない箱に手を出そうとしているのではないか。
そんな警告を誰かが発したような気がした。
各務先生はたっぷり十秒ほど溜めてから口を開いた。
「……糸井夏美の能力は、治癒ではなく回帰。もっと言えば生命を強制的に流転させる能力――死者の再誕だ」