各務将人の告白 ‐邂逅‐
「詩織と初めて逢ったのは僕が中学に入ってすぐの頃だ。各務医院に搬送されてきたのが切欠だった」
各務先生は懐かしげに眼を細めて語りだした。
「九条詩織は元患者だったんですか?」
「そうだよ。うちの近くで異界騒ぎがあってね。魔物は駆けつけた警官に討伐されたけど、偶然現場に居合わせた詩織が被害に遭ったんだ」
先生によれば異界の発生地点は住宅街の中にある空家だったという。
前の住人が手放してから一年近く放置されていて人の出入りが全く無かった家であり、浅賀の家のように内部が異界化していたらしい。
通常このように建物の内部が異界化しているケースでは魔物が外に出ることはあまりない。家の外は人の行き来が多いことがほとんどだからだ。この場合、魔物は家の中に留まり、他の魔物が構築した異界と道を繋いで他の出入口を利用する。
異界構築は基本的に一体の主とそれに従う魔物による共同構築である。
まず、主が基礎となる異界を構築し、従属する魔物が異界の範囲を広げるように追加で構築していくという形だ。力に差のある複数の魔物が継ぎ接ぎだらけの空間を形成していくが故に、異界の内部は統一性が無かったり物の形状がおかしかったりすることが多々ある。
そして、このように異界を後付けで拡張していった結果、他の魔物の異界と繋がることがある。こうなると主同士の縄張り争いが始まる。勝者は相手の異界も含めて己の支配下に置くことができ、徐々に版図を広げていく。世界各地に点在する大規模異界はこのようにして生まれた。
話を戻そう。
九条詩織が居合わせた事件の発端となった異界も、他の異界と繋がったために空家の出入口を使う必要がなく近隣の住民からその存在を隠し通していた。
ところが、例外はどこにでもいるものだ。日暮れ時になって人の往来が少なくなった頃を見計らったように空家から魔物が飛び出してくるという事態が発生した。この時、運悪く一番近くにいたのが当時学生だった九条だった。
「しかも厄介なことに寄生型の魔物に襲われてね。体内深くに根差されていたから早急に対処する必要があった」
「寄生型……また珍しい魔物に遭遇したんですね」
寄生型とは人間や他の動物、魔物に寄生して養分を奪う生態を持つ魔物を指す言葉だ。比較的種類が少なく、一年間の被害報告も片手で足りるほどと聞く。
「体内深く、ということは肺や心臓に根を張るタイプですか?」
「ああ、本当に運の悪いことにね。この手のタイプは本体を倒したところで根を除去しなければ命に関わる」
寄生型の最も厄介な点は、駆除したところで体内に挿入した器官がそのまま残りやすいことだ。体内に残された器官は時間経過とともに腐食していき、周辺の細胞を侵す。これにより身体機能に障害が生じ、最悪の場合死に至る。従って、寄生型の魔物から攻撃を受けた際は必ず専門の医師に診察してもらい、器官の有無を調べなければならない。本体の死に伴って器官が消滅する例もあるが、それでお治療は必要だ。
「で、手術は無事に成功したんですね」
「うん。数日入院してたんだけどその間に仲良くなったんだよ。あまり人付き合いのない子だったから見舞いに来る客もいなかった。それにその頃にはもう両親を亡くしていたからね。だから暇な時に話し相手になったんだ。それで……こう意外に馬が合ってね」
加治佐牡丹も九条の生い立ちを述べていた。元々孤独を好む性格だったのか、それともうまく他人と打ち解けられなかったのか。彼女は家族を亡くして以来、誰とも深く付き合おうとしなかったらしい。
当初は各務先生が話しかけても一言二言何か口にするだけで会話が続かなかったが、徐々に慣れていったのか口数が増えていったという。案外寂しがりだったのかもしれない。
「退院後も何かと逢うことが多くて……気がついたら一緒にいるのが凄く楽しくなっていた。最初は何だか放っておけないなって心配していただけなのに、段々その関係が心地よくなっていったんだ」
嬉しそうな先生の様子に俺は驚きを隠せなかった。いつも女性から迫られても軽く受け流すだけだった彼が一人の女性について熱心に語るなど、過去に一度も無かったからだ。
「周囲には内緒にしてたんですね。彼女の身辺を洗っても先生の存在は全く出てきませんでした」
「……自分で言うのも何だけど、僕に近づく女性は結構多い。でも、あまり積極的にアプローチされるのは窮屈に思えて苦手なんだ。それを口に出すのも憚られたから適当に流していたんだよ。その点、詩織は理解を示してくれて良かった。微妙な距離関係を維持した上で接してくれたから」
その関係を壊したくなかったから秘密にしていたのだろう。各務先生の気を惹こうとする女性が妙な真似をする恐れがあったからだ。
『同盟』関係者内において先生の人気は章さんに引けをとらない。美男子、社会的地位、資産、それに御影家との接点――彼を狙う異性はいくらでもいるのだ。
そんな中で密接な距離を維持する女性が現われたとなれば均衡は崩れる。
「――そんなわけで、僕はいつからか詩織に心惹かれるようになった」
俺は昨夜居間で先生と交わした会話を思い出した。
彼は浮いた話など過去に一度も無かったと、感情の籠っていない顔で言っていた。
何故、本当のことを述べなかったか今は推測できる。あの時、彼は内心どんな思いを抱いていたのだろうか。
「詩織が医者になった後、『同盟』に来ないかと誘った。彼女の実力なら若い内に上に行けることも夢じゃなかった。何より同じ職場で働けたら嬉しいと思ったからね。でも、彼女は知り合いの誘いで鷲陽病院に行くことが決まった。その知り合いってのが当時の院長だった島守さんだ」
「各務先生は島守院長を知っていたんですか?」
「まあね。島守さんは気が弱いけど良い人だった。僕と同じで父親から病院を受け継いだ身でね、随分と苦労したみたいだよ。病院を継いだのは……確か四十になる前だったかな。その頃に病院に出資してくれる人が見つかったって父さんが話してくれたことがある。僕は気にも留めなかったんだけど――」
「その出資者が桂木鋭月だった?」
各務先生は頷いた。
先生によると一連の経緯はこうだ。
当時はまだ鋭月の裏の顔が明らかにされていなかった頃で、奴は優れた企業家として名が通っていた。そのため島守信一郎は異界産の薬草を生産する事業を手掛けていた鋭月に疑いを抱かなかった。
鋭月は血統種用の医薬品事業に進出することを院長に明かした上で、優先的に利用できる能力検査用の施設を鷲陽病院の敷地内に建設したいと要望した。
病院に隣接する土地を買収して、検査棟の建設に必要な土地を確保。さらに、本棟の増改築や設備を一新して、古びた病院を最新鋭の医療機関へと変革させた。
この際、既に知っているように鋭月はいくつかの団体を経由して病院に資金を流した。表向きの関与を疑われないためだ。
「……後から知ったけど病院の経営は火の車だったらしい。継いだ時点でどうにもならないくらいにね。そこに鋭月が出資の話を持ちかけたんだ。お蔭で病院の立て直しはできて万々歳。鋭月の操り人形になってしまったことを除けばね。島守さんはその頃から浅賀に逆らえない状態だったらしいよ」
「浅賀?」
「病院が生まれ変わった後、鋭月の元から浅賀が送り込まれたんだよ。検査棟の管理と、島守さんの監視役としてね」
それが浅賀の本来の任務だったというわけか。
加治佐の調査では、立花明人は院長と浅賀の誘いで別の病院から移ってきたそうだが、浅賀の意向が強かったのだろう。恐らく桐島晴香も、そして九条も。
「ところで、その話を知ったのは……」
「勿論詩織から聞いたんだ。いなくなる前、彼女と最後に逢った時に」
先生はそう言うと、少し表情を曇らせる。
それから自分が何を知ったのか、その根幹となる話を紡ぎ出した。