各務将人との対決
埠頭の管理事務所の一室を借りて、俺と凪砂さん、それに各務先生の三人がテーブルを挟んで向かい合う。
「どうしたんだい二人とも、深刻そうな顔して」
先生は俺たちの顔つきから何か妙な気配を感じたらしい。
事件について話があると言って呼ばれたものの予想していた展開と異なる、といった具合だ。
「実は先生に訊ねたいことがあるんです」
「事情聴取かな? どうぞ」
こちらの真意を探るように先生の口調はやや慎重気味だ。
回りくどい話をすることもない。直球で行こう。
「……実は、先生を助けに突入する前に中の様子を窺っていたんですが、その時に横山が気になる話をしていました。あなたが九条詩織から何かを聞いたという話を」
九条詩織の名を出した途端、先生の頬が引き攣る。
顔の筋肉が数秒ぴくぴくと動いていたが、やがて先生は表情を緩めて溜息を吐いた。
「参ったな。聞かれていたのか」
「九条詩織――かつて鷲陽病院に勤めていた医師、そうですよね?」
確認の意味で凪砂さんが訊ねると、先生はゆっくりと頷いた。
「各務先生は彼女と知り合いだったのですね」
各務先生と九条詩織は共に医者だ。どこかで接点があっても不思議ではない。
しかし、『同盟』に籍を置く各務先生と鷲陽病院に勤務していた九条詩織の間にそれ以上の強い繋がりを示す要素は何一つ無かった。正確に言えば見出せなかったというべきか。九条のプライベートは謎に包まれていたのだから。
「ねえ、君たちはどこまで知っているのかな?」
「それは先生がどこまでご存知なのかで話せる内容は変わります」
互いの腹の内を探り合うように凪砂さんと先生が遣り取りする。
「じゃあ、一つずつ確かめていこうか。まず、詩織があいつら――対立派から追われていることは?」
「知っています。その理由は、九条さんが勤めていた鷲陽病院に桂木鋭月の息がかかっていたから。そして、彼女もまた病院の“裏側”に関わっていた」
「そうか、礼司さんは君に話していたのか」
俺は不思議にと思った。
先生の口ぶりでは、礼司さんが鷲陽病院について調べていたのを既に知っているかのようだ。
気になる点であったが、とりあえず話を続けることにする。
「礼司さんから直接聞いたわけではありません。ただ、鷲陽病院の関係者が次々に失踪している件を調査していたんです。その資料を遺していました」
「昨日、副院長の浅賀善則の家を捜索したのもそれが原因かい?」
「それもありますが別件も絡んでいます。実は辰馬さんと沙緒里さんも浅賀には前から目をつけていたんですよ」
「……やはり既にあちこちに知られていたんだね。これじゃ隠し通すのは無理だったかな」
先生は「もう隠す必要はないか」と小さく呟く。遠くを見るような目はずっと抱えてきた重荷を下ろしたかのように見えた。
「ところで一ついいですか? “礼司さんが話したのか”と仰いましたが、あの人が調べていることは察知していたんですか?」
「それを訊くってことは、まだ知らないのか」
「というと?」
要領が掴めないので俺は先を促す。
「ほら、沙緒里さんが言っていただろう。礼司さんが死ぬ前に屋敷に集まった人達と逢っていたって。僕は彼から詩織との関係を追及されたんだよ」
成程、先生が礼司さんと話したのはそのことについてだったのか。
「礼司さんは先生が九条さんと面識があることを突き止めていたのですね」
「といっても面識があることだけだよ。同じ医者だから知り合いでも不自然ではないからさ。礼司さんも僕が詩織と深い関係にあると疑ってる様子ではなかったかな。少なくともあの時は、だけどね」
加治佐の調査報告では二人に面識があったことについては一切触れられていなかったので、本当にどこかで顔を合わせた程度の関係だったのだろう。表向きには。
「次に行きましょう。詩織さんが失踪した理由についてあなたはご存じか、あるいは見当がついていますか?」
「……見当はついている。多分、元同僚が立て続けに二人失踪したことが原因のはずだ」
ここまではいい。大事なのはこの先だ。
「最後に一番重要な質問をします。詩織さんはある研究に携わっていました。その内容をご存じですか?」
各務先生はここで初めて悩むような素振りを見せた。俺たちがどの程度知っているのか、どこまで話せばいいのか判断がつきかねるといった様子だ。
「断片的には。詩織は決して核心を話そうとはしなかった。ただ、僕に相談に乗ってほしいとだけ言ったんだ」
しばし黙した後、先生は曖昧な言葉で述べるに留まった。俺たちの反応を見るためだろう。
「各務先生、俺たちはその研究がどんなものか知るために捜査しています。知っているなら教えてほしいんです」
「……」
先生は申し訳なさそうに顔を背けた。言えない、という意思表示だ。
だが、その回答を受け入れることはできない。
ついに真実を知る可能性のある人物を見つけたのだ。ここで引き下がるわけにはいかない。
ただでさえ先生は対立派から狙われている。今後何が起きるかわからない以上、先生だけが秘密を抱えている状況は良くない。彼の身の安全のためにも真実を吐露させたい。
そして、他でもない俺自身のためにもだ。
鷲陽病院の火災が全ての発端だとするなら蓮が凶行に至るまでの経緯も明らかになるかもしれない。
俺の求めている答えが掴めるかもしれない。
「既にご存じかどうかわかりませんが、あの病院で行われていた研究には元患者の少女が関係しています。その子は蓮と雫の昔の友達なんです」
「何だって?」
その顔に表われた驚愕に嘘偽りは読み取れない。恐らく本当に知らなかったのだろう。
「雫はその子を探すためにずっと動いてきました。その手がかりがようやく掴めたというところなんです。もしかしたら先生の知っている事実で答えに辿り着けるかもしれないんです」
俺は椅子から立ち上がると、テーブルに額を擦りつけるほどに頭を下げた。
「……だから、どうか教えてほしいんです」
しばらくの間、凪砂さんと先生は言葉を発しなかった。ただ、表現できない感情をごっちゃに混ぜたような深い溜息を出す音だけがした。それが二人のどちらが発したのか必死だった俺にはわからなかった。
頭を上げて再び正面を見た時、一瞬脳の中がぼんやりとした。視界がぶれたような気がして思わず足が縺れる。
「おっと」
凪砂さんが支えてくれたお蔭で何とか倒れずに済む。
「ほら、無茶したな。本当はゆっくりしてないと駄目なんだ。あまり興奮しないでくれ」
「……すみません」
また能力酔いを起こしかけてしまった。昨夜もそうだったが能力を使用した直後ではなくしばらく後になってから症状が現われるようだ。相変わらず原因がはっきりしないのがもどかしい。
椅子に座って落ち着いていると、ずっと考え込んでいた各務先生が小さく笑みを漏らした。
「話すつもりは無かったんだけどなあ。墓まで持っていくつもりだった。とはいえ、同時にいつかこんな日が来るかもしれないと覚悟もしていた。仕方ないか」
どうやら先生は腹を括ったらしい。彼の顔からはもう逡巡の色は消えていた。
「話していただけますね?」
「ああ、ここまで必死に頼まれて答えないわけにもいかない。話すよ、詩織の――僕が好きだった女のこと、彼女から教えてもらったことを」