喫茶店『ハミングバード』
『WHITE CAGE』は最寄りの駅に近い飲食街の一角にある。
この近辺は昔ながらの店と比較的最近できた店が混在していて、そのせいか建物も綺麗なものが多い。駅の周辺にあり交通の便も良いことから人通りも多い。春休み真っ只中の昼間だけあって学生と思わしき集団をちらほら見かける。
俺たちは凪砂さんが運転する自動車に乗って目的地へと向かっている。出掛ける際にアンコロが寂しそうな瞳で訴えかけていたが、生憎と彼の背中は三人乗りが限度。四人で行動するなら車の方が良い。凪砂さんは申し訳なさそうにその巨大な身体を精一杯撫でまわし機嫌をとっていた。
やがて俺たちを乗せた車は出発した。運転席に凪砂さん、助手席に雫、後部座席に俺と寧。当初は俺が助手席に座るつもりだったのだが、俺と一緒に出掛けることが嬉しそうな寧に気を遣った雫が俺たちを並んで座らせるようにしたのだ。凪砂さんが不満を口にするかと思ったがそこは大人の度量を見せたようだ。
移動中、俺はこれまでの経緯を寧に語った。礼司さんからの依頼、雫が屋敷へ来た理由、鷲陽病院の火災と御影家の人々たちとの関連。
「なるほどね」
一通り語り終えた後で寧は一言そう言った。それからじろりと俺の顔を睨みつける。
「私に内緒でそんなことしていたのね」
「黙っていたのは悪かったと思っている。事情が事情だから迂闊な真似はできなかったんだ」
「まあ、いいわ。ちゃんとした考えあっての行動だから」
寧はそれだけ言って視線を前に逸らした。ほんの少し頬が膨れているが気にしないことに決めた。こういうときは言葉よりも行動で示すのが最善だと経験的に知っている。
「……それで、誰が“敵”なのかってことだけど、見当はついているの?」
「まだだ」
はっきり答えると寧は憂鬱そうに目を細めた。
自分にとってよく知る誰かが敵。その事実は寧の心を揺さぶるには充分だ。未だ父親の死から完全に立ち直れていない状況下での新たな問題発生は、気分をより一層沈ませる。
「こう言っちゃ彩乃に悪いけど、信彦叔父様が浅賀の仲間だっていう説が有力だと思うわ。沙緒里叔母様が再婚するずっと前から密かに連絡を取り合っていたのも根拠になるし」
「確かにその線はある。ただ、それだと沙緒里さんの動向が不可解だ」
「どういうことだ?」
雫が疑問の声を上げる。
「沙緒里さんの性格上本当に深刻な問題なら隠さずに報告するはずだ。あの人は『同盟』の利益になるという建前で好き勝手にやっているからな。だから、もし信彦さんが浅賀の仲間としたら“何のために隠そうとするか?”という点が問題になる」
少なくとも沙緒里さんはこの点をスルーしても構わないと考えたはずだ。それは浅賀が裏で行っている研究は『同盟』にとって明確な脅威でないか、あるいは利益をもたらす可能性のあるものと考えられる。浅賀が鋭月から離反している状況もハードルを下げる要因だろう。
「何よりも――今回の事件で信彦さんは被害者だ。一体誰が彼を殺したのか? 襲撃との関連は? 殺害の動機は? 不明瞭な点が多すぎる」
「うーん……でも叔父様の殺人と裏切者の件が関係があると決まったわけじゃないわよね。ただの偶然で片づけるのもなんだけど」
「私はあるという前提で臨んでいいと思うよ。やっぱり彼が殺害されたのが単なる偶然とは考え辛い」
凪砂さんは関係肯定説を採る。
裏切り者の候補者を集めた場で生じた殺人。被害者はその中でも特に可能性が高い人物。関連を疑うのは当然の帰結だ。
「真実を突き止める方法は大きく二つ。浅賀たちの過去の動きを調べる、又は沙緒里さんを追及するかのいずれかだ。白鳥数馬に逢いに行くのは前者が目的だな」
「そろそろ到着する。この先だ」
道路を一直線に進んでいくと一棟のビルが見えてきた。五階建ての薄い灰色の外観を持つ建物で、一階部分に喫茶店の看板が出ている。店名は『ハミングバード』というらしい。二階には皮膚科医院と薬局、三階には不動産会社の名が表示されている。彩乃によればこの建物が白鳥数馬の所有する建物らしい。
「ここだな」
コインパーキングに停めて下車した俺たちは、路上から建物を見上げる。これも比較的新たしい建物の一つらしい。まだ外壁の塗装が綺麗な方だ。
「隣の建物の一階にあるのが『WHITE CAGE』で……ここがもう一件所有しているという建物か」
道路を挟んだ先にあるのは前衛的なアートを連想させる奇妙な形状の屋根が特徴的な建物だ。こちらが『WHITE CAGE』らしい。午前中の今は当然ながら扉は閉ざされている。開店は午後六時からだ。店内は無人だろう。
「白鳥数馬は今日こっちにいるのですか?」
『ハミングバード』の店内をガラス越しに覗き込みながら雫が訊ねる。
「そうだ。ただ、普段クラブの方は雇われ店長に任せていて、自分は週に二度三度顔を出す程度らしい。帳簿はちゃんと管理しているようだけどね」
本人は喫茶店の方を本業としているのだろうか? 静かな雰囲気を思わせる喫茶店と防衛自治派の若者が集まるクラブ。正反対の印象を持つ二つの店が隣り合っているのは不思議だ。白鳥にとってはどちらも変わりないのかもしれない。
「クラブの従業員にも来てもらっているらしい。桐島晴香のことを詳しく訊けるチャンスだ。それじゃあ心の準備はいいかな? それでは、いざ敵陣に突入するとしよう」
芝居かかった台詞を切欠に俺たちの気が引き締まる。四人を取り巻く空気だけが重くなったような感覚に包まれる中、凪砂さんが入口の扉に手をかけた。
開かれた扉の向こうから聞こえてきたのはクラシック音楽の音色。音源はカウンターの奥に鎮座しているスピーカーだ。モノトーンで彩られた空間に似合う落ち着きのある曲に思える。
店内にいた客の数人がこちらを一瞥する。その中の数人が驚いたように目を丸くしたのがわかった。恐らく凪砂さんの顔を知っているのだろう。どこからか囁き声が聞こえる。
店の奥は遊戯スペースとなっており、ビリヤード台とダーツボードが設置されている。ここからでは家具が邪魔で少々見え辛いが、ダーツに興じている客が二人ほどいるようだ。
目当ての人物はすぐに見つかった。カウンターの向こうに立つ一人の男がそうだ。長い髪を後ろで束ねた二十代後半と思わしき容貌。色の白い肌とすらりと伸びた足が清爽な印象を与えている。身長百八十一センチの俺よりやや高いので百八十五センチといったところだろう。
事前に彩乃に見せてもらった写真で既に確認している。
彼こそが白鳥数馬。
この喫茶店の店長にして『WHITE CAGE』のオーナーだ。