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エンゼルプラン  作者: 夏多巽
間章
83/173

清算せよ、己が罪を

「由貴が倒れた?」


 男が懸念をはらんだ声でそう返すと、電話の向こうで御影慧は「ああ」と答えた。


『なんか能力酔いって言ってたぜ。今は大分良くなったらしいけど』


 はて、と男は首を捻った。

 能力酔いを起こすほど派手に能力を使用したとは聞いていない。そんな事情があれば慧が報告しているはずだ。


「どうして能力酔いに……? とにかく無理はしないでほしいな」

『そのへんは大丈夫だと思うけどな。各務先生も心配ないって言ってたし。まあ様子を気にかけてりゃ問題ないだろ』


 今は落ち着いた状態だと慧が説明すれば、男は安心したように息を吐いた。


「……まあ、敵の攻撃とかじゃなくて良かったよ。それなら心配は要らないかな」


 男は心臓に悪いと胸を撫でた。

 最近はここに留まっているので外の様子は慧を介してしか知ることができない。御影家内部の状況を把握できるのは彼だけであり、他に頼れる相手はいない。

 できることなら男自らが様子を窺いに出向きたいところであったが、彼自身は屋敷に入ることはできないし、万が一顔を見られれば騒動になるのはわかりきっていた。

 仕方なく慧に任せたものの、由貴とそれ程親しくない彼では迂闊に近づくのはまずい。ただでさえ何か隠し事をしていると怪しまれているのだ。由貴も近い内に慧を追及するだろう。

 とはいえ、由貴に知られるのはまだ良い方だ。いずれ彼には真実を伝えるつもりでいるのだから、それが早まったとしても大きな支障はない。問題は屋敷内に潜む殺人者、それに御影沙緒里に知られることだ。慧がこちらと繋がっていることを知れば、慧の身に危険が及ぶ恐れがある。無理を言ってこちらに協力してもらっている以上、彼に被害がないようにしたい。


「何事もなくて良かった。でも、警戒はすべき」


 男は背後から聞こえた声に反応して振り返る。

 そこには一人の少女が立っていた。

 寝癖によりあちこちがぴんと跳ねた髪の毛、今にも眠ってしまいそうな(まなこ)、それでいてその奥に光る強い意思。


 現在外の世界では行方不明となっている御影家の長女――御影紫がそこにいた。

 

「紫……あっちはもういいのかい?」

「ついさっき落ち着いたところ。しばらくは眠っている(・・・・・)だろうからこっち来た」

「九条さんは?」

「念のために付き添ってる。何かあれば連絡するって」


 紫はたった今歩いてきた道程を振り返り、遠くを見やる。

 数時間前から“あちら”は紫と九条詩織が対処してくれていたが、どうやら再び安定したようだ。これでしばらくは大人しくしているだろう。


「それより由貴のことだけど、能力酔いの原因が不明である以上は警戒を続けるべき。もし、身体機能に異常が生じているなら、何者かの能力による干渉の可能性を考慮する」

「……その手の能力なら有効範囲が限られているはずだよ。屋敷は警察が警備をしているし、外から中の由貴に干渉するのは難しいんじゃない?」


 血統種の能力にはいくつかの原則がある。

 第一に、効果が強大であればあるほど消費するエネルギーが増大する。攻撃系統の能力であれば威力が上昇するほど消費も増すということだ。

 第二に、効果範囲が広くなるほど消費するエネルギーが増大する。この点に関しては能力によって影響はまちまちだ。例を挙げると、布施秋穂が保有する“観察者の樹”は遠隔地であっても自由に樹を植えた場所の周囲を観察できるが、これは秋穂と樹の距離はあまり消費に影響しない。距離による消費は、実際に樹と秋穂の感覚をリンクする際に限られるからだ。彼女の場合、樹を維持するための消費コストの方が大きい。


 それらを踏まえて男は今回のケースを考える。外部から何者かが由貴に干渉しようとした場合、必要となる要素は次の三つだ。

 一、離れた場所にいるターゲットの位置を確認することができる。

 二、離れた場所にいるターゲットに能力を発動できるほど効果範囲が広い。

 三、ターゲットの体調を著しく低下させるほど強力な効果を発揮できる。


 外部にいる以上屋敷内のターゲットの位置を確認するには、偵察用の分身体が必要となる。これは本人が有している必要はないが、いずれにせよ厳しい監視の眼を潜り抜けなければならない。そして、仮に存在を知られてしまえばすぐに追手がかかる。リスクに見合っているとは思えない。

 さらに二と三を充たすとなれば、その消費コストは大量になる。実際に使用すれば(たちま)ち能力酔いを引き起こしてしまうだろう。


 だが、紫はそんな推測に反して否定を唱えた。


「何事もあり得ないことはあり得ない。他の部分で制限が厳しい分、射程距離が伸びているということも考えられる。それに能力酔いを起こさせるとしたら、それは相手の生命力を奪う系統の能力かもしれない。それなら発動者自身が能力酔いを起こす心配はない。まあ、この場合はより厳しい制限がかかるはずだから可能性は低いけど」

「俺の記憶では静江さんの仲間にそんな能力を保有している人はいなかったけど……余所から連れて来たならどうしようもないな」


 少なくとも指名手配中の鋭月配下にはいないと断言できる。彼らの手の内は既に知られているからだ。

 いるとすれば新たに仲間に加わった者だが、所詮は憶測に過ぎない。


「まあ、あくまで予想の一つに過ぎないから考え過ぎもよくない。経過だけはチェックする」


 男は頷いた。

 紫の言うとおり精々警戒するのが限度だ。容態が安定しているなら極端な心配も不要だろう。経過を観察して問題が無ければ切り捨てていい。


『つってもなあ、明日も由貴たちはどっかに行くらしいし様子を見るのは難しいぞ。それに俺も一旦家に帰るぜ。当初の予定通りあれ(・・)を確保したいし』


 慧が“あれ”という言葉を口にした途端、男は難しい表情になった。


 そう、慧が屋敷を出て家に帰る理由はそれが目的だった。警官が数名監視につくだろうが、どうせある程度離れた場所からだ。件の物を持ち出す分には苦労しないはずだ。嵩張るような物でもないので、彼らの目を盗んで懐に収めるくらいどうということはない。


 ただ――。


「俺が言うのもなんだけど、本当にあれ持ってくるつもりかい? メリットは理解できるけど……」

『あれだ、保険だ保険。使わずに済むならそれでいいし。紫にとっちゃそっちがいいだろうし』


 正直言って、男は慧の提案する内容に諸手を挙げて賛成というわけにはいかなかった。彼の提案は至ってシンプルかつ効果的であり、いざというときの突破口になり得る。

 難点を敢えて挙げるとするなら心情的にその手を打ちたくない、という一点のみだ。

 理屈はわかる。大きな効果も見込める。

 だが、本当にいいのか?


「別に私は構わないけど」


 そして、一番の当事者といえる紫はあっさりと賛同したのだった。

 男は気まずそうな表情で彼女の顔を窺う。


「……本当に? 嫌なら嫌って言っていいよ?」

「嫌ならはっきり言うから」


 例によって無表情のまま紫は言った。

 確かにそうだな、と男は納得する。紫は自分の意思表示だけは決して誤魔化さない。従うにしても己の意見は必ず提示する。


「わかったよ、君がそう言うなら反対はしない。いざという時は使おう」

「うん、ここまできて失敗するわけにはいかない。使えるものは親でも使うのが私の常套(セオリー)


 紫の言葉に、男と電話の向こうにいる慧がぎこちなく笑った。


 しかしながら、紫は真剣な眼差しを男に向ける。


「……恐らくこれから数日の間が勝負。由貴たちが殺人犯の正体を掴めば、自ずと私たちのことも知る。そして、浅賀の家にある抑制剤を入手できれば……」

「いよいよ最終段階というわけだ」


 その瞬間、男、紫、慧の三人の思考が一致する。

 そこまで漕ぎつけることができれば後はラストスパートを駆け抜けるだけ。彼らの計画に反対を唱えそうな『同盟』の最高幹部に手出しさせる暇を与えることなく目的を成就させられる。

 彼らはそのために計画を秘匿してきた。紫は半年以上も所在を隠し、男は状況が悪化するのを抑え、慧が外の世界の情報を収集しつつ二人の連絡役を務める。


 終わりは近い。そう遠くない未来、全てに決着がつくだろう。


 ここが正念場だ。


「あなたも明日から慧の手伝いに回って。戦力が必要になるかもしれないから」

「了解したよ、こっちは任せていいね?」

「オッケー、九条さんもいるし平気平気」


 九条詩織には本当に感謝しかないと男はしみじみ思った。かつて鷲陽病院に勤務しており例の計画にも参加していた彼女がこちらについてくれたことで、かなり負担が軽減された。彼女がいなければ自由に行動できる時間は大きく減っていただろう。

 彼女にも随分と借りを作ってしまった。これを返すためにも彼女の心配事を解消するために協力を惜しまないつもりだ。


「ところで……万が一の事態が発生したときは姿を晒してもいいかな?」

「できればぎりぎりのタイミングでね。考える時間を与えたくないから。それからちゃんと顔は隠して」


 隠れた殺人者、そして里見修輔の仲間たちがこれからどう動くのか不明瞭なこの状況は、ほんの少しの変化でバランスが崩れかねない。

 いざというときは彼の出番だ。ただし、今はまだ正体を悟られてはいけない。


「わかったよ。慧、明日はどこかで落ち合うことはできる?」

『無理だな。警官が見張りにつくから無理はしない方がいい』

「そっか、じゃあ家に着いたら一度電話して」

『わかった、また明日な』


 別れの言葉を残して慧は電話を切った。


「ふー……」


 会話を終えた途端、急に額や背中に汗が滲んできた。抑えていた緊張が解け始め、胸の奥底から不安が首をもたげる。


 絶対に間違えるわけにはいかない。


「緊張してる?」

「それなりに、ね」


 紫が心配そうに訊ねてくるのに対して、できるだけ気丈に振る舞う。

 本当は強烈な重圧に押し潰されそうだった。気を抜いてしまえば感情が後悔の一色に塗り変えられそうな予感がする。

 耐えなければならない――男は、当然に乗り越えるべき試練だと自らに言い聞かせる。


 そんな彼の苦悶を読み取った紫はその頬をそっと撫でた。


「辛いなら無理しなくていいんだよ」

「いや、やっぱりやるよ。そうしないと絶対に後悔するから。眼を合わせて、言葉を伝えて、ちゃんと謝るんだ」

「そう……わかった」


 そうだ、絶対に彼と逢う――。

 再び男はそう誓う。


 己の身勝手に巻き込んだ末に必要のない罪を背負わせた。

 その過去は今なお彼に暗い影を落としている。

 ずっと謝りたいと願っていた。君は何も悪くないのだと。そうしたくてもできない状況がさらに良心を苛ませた。


 その願いがやっと叶おうとしている。

 時が来れば、彼の元へ行こう。


 清算するのだ、あの時犯した罪を。

 最愛の友を救うために。

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