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エンゼルプラン  作者: 夏多巽
間章
81/173

記憶が手招く

 夜空を小さな星の光が点々と彩っている。

 御影邸の庭に設置してあるベンチに座る名取小夜子は、ただそれをじっと見上げていた。


 御影礼司が死んだ後、小夜子はこうして時間を過ごすことが多くなった。

 暗い空と瞬く星を眺めていると、幼馴染と過ごした記憶が鮮明に蘇るのだ。


 名取小夜子という女性の生は、激動の最中を全力で駆け抜けるものだった。


 この街の三大名家の一つに生を受け、幼い頃から人の上に立つ者として教育されてきた小夜子は早くに頭角を現した。その世代最強格と畏怖される能力と家柄。現在でいえば香住凪砂に当るような存在、いわばアイドルだった。

 一見すると控えめで御淑やかだが、一皮剥けば並み居る敵を屠る苛烈な性格。そのギャップが当時の若い男性の心を射止めたらしい。


 彼女にアプローチをかける男は星の数。それを全てはねのけて選んだのが戦いの道であった。

 何故それを選んだのかと訊かれれば、礼司がそれを選んだからだと答えた。


 小夜子にとって礼司と過ごす時間は大変居心地のいいものであった。

 自分と同じく三大名家の生まれで、優れた能力の持主。

 家の関係で物心ついた頃から何度も顔を合わせる仲であったので、馬も合った。

 気づけば二人はお似合いの男女だと噂されるようになっていた。


 それから二人は互いの背中を預けて様々な戦場へと赴く青春を送った。


 対立派の活動が活発だった頃は気を休める暇など無かった。いつ、どこで、誰が仕掛けてくるかわからず、神経を張りつめたまま日々を送るなど当たり前。

 そんな生活を苦に思ったことはない。己の実力には経験に裏打ちされた自信を持っていたし、戦いに明け暮れる若い頃の記憶は今なお色褪せない。それは小夜子にとって全力で駆け抜けた半生の証であり、誇りであった。

 父親からはもう少し女性らしい穏やかな暮らしを求めるように言われていたが、やんわりと拒否した。そもそも名取家の子として生まれた以上、平凡な人生を享受することは許されない。使命ではなく、時代が許さなかった。

 まだ、血統種への不信感が根強い時代。異形の能力を操る存在への恐怖、異界という未知の世界との交易に対する疑念、そういった感情を払拭するためには彼女たちが率先して動かなければならなかった。


 問題があるとすればそのせいで結婚はできなかったことだ。


 小夜子は自らの恋心を隠すつもりはなかった。周囲にからかわれていたように彼女は礼司を男性として意識していた。しかし、積極的にアピールするつもりもなかった。

 それが傲慢か、視野狭窄か。彼女は結婚するなら相手は礼司以外にはいないし、礼司もそうであるはずだと根拠なく楽観視していたのだ。


 二人は長い時間を分かち合った仲だ。これを引き裂くことなどできるわけがない。

 それが甘い考えだと知らされたのは、紫と寧の母親を紹介された後だった。


 予想できなかったのが悪いと言われても仕方がない。この頃、既に章や慎は既に誕生しており、礼司も身を固めた方がいいと勧められているのは知っていた。

 確かに名取家は御影家と縁の深い家柄だ。小夜子が結婚相手の候補として選ばれるのは充分にあり得る話である。だが、絶対ではない。それを彼女は理解していなかった。


 紹介された相手は以前礼司が解決した血統種犯罪の関係者であった。悪しき企みに巻き込まれて命を落とした男性の妹。小夜子も知っている女性であったし、礼司の奮闘に感銘を受けた彼女がそれから度々彼に接触を図りに来ていることも知っていた。それを単なる憧れだと気にも留めなかった小夜子の失態だ。


 無論ショックは受けた。何故、自分ではないのかと。一方で、己のミスを受け止めるだけの度量も備えていた。何もしなかった自分にこそ落ち度がある。それを理解した彼女は、恋心を永久に封印することを決めた。迷いは一切無かった。


 それ以降、小夜子と礼司は単なる幼馴染であり戦友という関係に終始した。どちらかが言い出したことではなく、暗黙の了解でそうなった。

 家庭の中で礼司の隣に立つのは自分ではない。それでも良い。家庭の中では彼にとって最愛の妻に譲るが、戦場においては自分がパートナーだ。そう考えると案外悪くない関係だとすんなり呑み込めた。


 結局のところ、小夜子は礼司さえいればそれだけで満足だったのだ。




 夜風が吹き肌を撫でる。若干の寒さを覚えた小夜子は邸内へ戻ることにした。

 階段を上がり自室へと向かおうとする。

 しかし、廊下の角を曲がった所で登の姿を見つけて立ち止まる。


 不肖の弟子は窓辺でうろうろして落ち着きがなかった。時折、苛立たしそうに頭を掻いている。視線は下を向き、小夜子に気づく様子はない。


「ねえ、何かあったのかしら?」


 不審に思い声をかけると、登はようやく師の存在に気づいたらしくはっとした表情をつくった。


「師匠……」


 途方に暮れたように声を出す登だったが、小夜子は無表情のままだった。

 この男が情けない様を見せるのは今に始まったことではない。物事がうまく運ぶと図に乗り、どこかで躓いて転ぶのは茶飯事。そうなる度にこのような声を上げるのだ。修行をつけていた頃は何度それで叱咤したことか、その回数は両手両足の指では数えるに足りない。


 今回もまた何かへまをしたのだろうと考えていた小夜子であったが、次に彼の口から予想しない言葉が飛び出した。


「由貴が倒れたんだ」

「倒れた?」

「急に体調を崩して気を失ったってさ。今、各務先生が診察してくれてる」


 登の視線の先には由貴の部屋がある。言われてみると、確かに部屋の中から複数の人物の話し声が漏れ出ていた。声の調子から、各務医師と世衣、それに凪砂の三人だと判別できた。


 それにしても気を失ったというのは穏やかではない。

 一体何が起きたというのか。小夜子は警戒心を強める。

 辺り一帯の空気が振動するような感覚に、登は思わず身構えた。


「落ち着いてください。命に別状はありませんよ」


 扉を開けて各務が廊下へ出てくる。一仕事終えてほっとしたように息を吐く。


「今は落ち着きました。心配は要りませんよ」

「先生、それは本当?」

「ええ、そちらに関して問題はありません。ただ……」


 各務はそこで言葉を切り、不思議そうに腕を組んだ。


「ただ、何ですか?」

「倒れた原因なんですが……どうも能力酔い(・・・・)のようです」

「はあ?」


 能力酔い――血統種特有の症状で、能力を酷使したときに見られる。

 昨日寧がそれで倒れかけたのも記憶に新しい。


 滅多に命に関わるようなものではない。その事実に安心すると同時に疑問が降って湧いてきた。


「あの子倒れるくらい能力を使ったの? こんな時間に?」


 能力酔いは短時間に高い頻度で能力を使用したり、一度に大量のエネルギーを消耗したりすることで起こり得る。由貴の場合、他の能力と比べると比較的燃費が良いのでそうそう能力酔いを起こすことはないはずだと小夜子は認識していた。


 その考えに同意するように各務は頷いた。


「一緒にいた雫さんや凪砂さんは心当たりは無いって言うんです。普段通りに過ごしていたと」

「……おかしな話だな」

「今日は里見修輔と戦った時くらいしか能力は使ってないはずよね?」

「ああ、他に激しく消耗するような場面があったとは聞いてないぜ」


 屋敷に帰ってきた後の由貴は夕食前に仮眠をとっていた。それならば多少疲労はあっても普段通りに過ごす分には回復しているのが当然だ。

 現に、由貴はあちこちで皆と何事もなく会話を交わしている。


「……変ね。能力を使用した直後ならともかく、これだけ時間が経ってから能力酔いを起こすかしら?」

「僕もそれが不思議で仕方ないんです」

「何か能力酔いを起こすような兆候は無かったの?」


 小夜子が話を振ってみると、登は思案げに顎を撫でる。


「そういえば朝から少し怠そうにしてたな。昨日事件が起きてからいろいろ動き回ってたからって思ってたけど」


 そう言われて小夜子は朝に見かけた由貴の様子を思い出す。確かに登の言うとおり、多少疲れ気味でいつもと比較して張りが無いように見えた。ばたばたしていたせいで充分に睡眠をとれていないのだろうと考えていたが、想像していたより酷かったのか。


「とりあえず薬は出しておきました。今は落ち着いていますし、しばらくしたら目を覚ますでしょう」

「ありがとうございます、明日は早いのにご迷惑だったでしょう」

「いえいえ、構いませんよ。何事もなくて良かったです」


 各務は心から安心したように言う。きっと礼司が死んだ時のことを思い出しているのだと小夜子は推測した。


 小夜子は由貴の様子を確認しようか迷ったが、ゆっくり寝かせてやるのが一番だと立ち去ることを選択した。

 彼女は自室へ戻ろうと振り返るが、そこで廊下の先から歩いてくる寧の姿を見つけた。


「寧、まだ起きていたの?」

「由貴が体調崩したって聞いたけど本当?」


 どこかで由貴が倒れたことを聞きつけたらしく鋭い視線を突きつけながら訊ねてくる。緊張感を漂わせているが、小夜子が平然としていることから大事に至ってはいないと察しているらしい。


「ええ、でも心配はいらないわ。ただの能力酔いだそうよ」

「能力酔い? どうして?」

「それがさっぱりわからないの。とにかく安静にしていればいいらしいわ」


 怪訝な表情をしつつも寧は緊張感を霧散させる。


「そう……ならいいけど。明日は一緒に調査に行けるかしら?」

「“一緒に”?」


 気になる単語が出てきたことに、小夜子は思わず眉を寄せた。


「言ってなかったけど明日からは私も由貴たちに同行するのよ」


 微かに頬を上気させて嬉しそうに告げる少女。

 それに対して小夜子は呆れた顔を見せた。


「あなたが? こんな大変な時期なんだから大人しくしてなさい。昨日も無理したばかりじゃないの」


 御影家は騒動の渦中にあり、大勢の注目を浴びている。そんな中で不必要に外を出歩けば目立って仕方がない。餌を与えることなくほとぼりが冷めるのをじっと待つべきだというのが小夜子の主張だった。

 尤も、一番の理由は無茶な振る舞いを未然に防ぎたいからだ。責任感だけは一人前のこの娘を好きにさせておくと何を仕出かすかわかったものではない。おくびにも出さなかったが寧が竜と戦い能力酔いで倒れた時、小夜子は内心焦っていた。


 そんな彼女の真意を知ってか知らずか、寧の答えは否定であった。


「指を咥えて見ているのはもう沢山。私はできる範囲でできる限りのことをしたいの」

「……そういう性格(ところ)は礼司に似たわね」

「それ褒め言葉?」

「さあ」


 寧は一度決めたらもう揺るがないと知っているため、小夜子はあっさり引き下がった。説得は無理だろうと早々に諦め、凪砂たちにフォローを委ねることを決める。


「ところで小夜子さん、唐突だけど一つ訊きたいことがあるの」

「何かしら?」


 小夜子はふと寧の視線に奇妙な感情が混じっていることに気づいた。

 怒り、非難といった責め立てるような感情。それに加えて恐怖、不安といった行動を躊躇させるような感情。

 何か言いたいことがあるのに、口にしてしまうのが恐ろしいと表現すればいいのか。


「一年半前の――蓮の事件のことなんだけど」


 蓮の名前を出した瞬間、小夜子は表情を曇らせる。

 何故、今その名を出すのかと苦いものが込み上げてくるのをぐっと堪えた。


「あの事件のこと? 何が訊きたいの?」


 平静を装ってそう言えば、寧は小夜子の顔を見据えて答えた。


「……事件の時、私と蓮の間でどんなやりとりがあったのか捜査されるはずだったのが、『同盟』上層部から圧力がかかって無かったことにされたのは当然知ってるわね?」


 上層部の圧力――それは誰もが知っていて、かつ事態を早急に収束させるために口にしなかった事実だ。

 小夜子は否定しようとしたが、有無を言わさぬ寧の気迫を目の当たりにしてそれができなかった。


「……それがどうかしたの?」


 思考を巡らせた末にどうにかそれだけを発する。

 余計な言葉を出さないように心掛けた結果だ。内容は無に等しかったが。


 その意図を汲み取ったのか寧はせせら笑うように顔を歪めた。過去に見せたことのない冷たい姿に小夜子は困惑する。


 そして、次の言葉で小夜子を驚愕させた。


圧力をかけたのって(・・・・・・・・・)小夜子さんじゃない(・・・・・・・・・)? 違う?」


 罪を暴く警吏のように宣告する様は意外に似合っていた。英雄の血を引くが故か、はたまた次期当主としての心構えが既に整っているのか。


 小夜子は動揺を押し隠し、何を言っているのかわからないという体裁をとった。


「……どうしてそう思うの?」

「どうしてすぐに否定しないの?」


 質問に対して質問を返す寧。

 明確な回答以外は認めないと暗に告げていた。


「馬鹿馬鹿しい、そんなわけないじゃない。何故私が圧力をかける必要があるの?」


 小夜子には圧力をかける理由はないと周囲にはそう思われている。寧への追及を止めることは、即ち由貴の責任だけを問うことと同義だからだ。

 彼女にとって由貴も寧も共に愛すべき幼馴染の子である。由貴に血の繋がりがなくともそれは変わらない。一方を守るために一方を切り捨てることなど考えられないのだ。

 無論、どうしようもない状況になったときは決断せざるをえないだろう。だが、自ら進んで仕向けることはない。


 何も知らない者はそう考える。


 だが、御影寧はそう考えなかった。


「ギルヘミア――」

「え?」


 少女の口から飛び出したのは花の名前だった。


「ギルヘミアの香り――あの匂いを嗅ぐと頭が痛む。脳が割れそうになって苦しくなる。息をするのも辛くなる」


 苦痛を想起するかのように淡々と言葉を紡ぐ寧はどこか不気味だ。

 小夜子は強張った表情で見つめている。


「あの匂いが私の記憶を刺激するの。思い出せ(・・・・)って――小夜子さんは、私があの匂いを嫌う理由を知ってるでしょう?」


 小夜子は足元が崩れるような錯覚に見舞われた。


 気づかれた(・・・・・)


 長い時間礼司とだけ共有してきた秘密の切れ端をついに掴みとられた。


「……」

「沈黙は肯定と受け止めるわよ」


 放心していた小夜子はその言葉で我に返った。

 寧は自分の推測が正解だったのだと確信を得られたことに満足している様子だった。


 取り乱すな、と小夜子は自分に言い聞かせた。

 寧はまだ真実には辿り着いていない。理由を訊ねたことからしてそれは明らかだ。ただ、小夜子が真実を知るのか確かめたに過ぎない。


 それならばまだ取り返しはつく。


「寧、その話はやめなさい。今議論すべき話題ではないわ」

「へえ、じゃあいつならいいの?」

「……この事件が解決して落ち着いたらね。その時は納得がいくまで付き合ってあげる」


 小夜子は一先ず時間を稼いで対応策を練ることにした。

 焦ることはない。最も知られたくない“あれ”だけ隠し通せればいいのだ。その他の諸々に関しては公開しても問題ない。

 そう、決して難しいことではないのだ。


「わかったわ。おやすみなさい」


 寧はそう言い残すと小夜子の横を通り抜けて去っていく。小夜子はその背中を何とも言えない様子で見送った。


 寧の姿が廊下の角を曲がって見えなくなると、小夜子は力なく壁にもたれかかった。


「……これで良かったのよね礼司。今更間違っていたって言われても困るけど」


 寂しげに呟いた言葉に答える声はなかった。

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