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エンゼルプラン  作者: 夏多巽
第五章 三月二十八日 後半
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天野五月の告白 ‐後編‐

 五月さん曰く浅賀善則の第一印象は“野心家”とのことだ。


 桐島晴香に案内された先のカフェテラスで、浅賀はコーヒーを堪能していた。

 彼は艶のあるオールバックが似合う男で、いかにも才気溢れるビジネスマンといった風貌をしていた。スポーツの経験があるのか身体つきはがっしりとしていて、全体的に若々しい雰囲気を漂わせていたらしい。人の関心を惹くという意味では成功しているだろう。


 移動中に桐島は彼の簡単な素性を教えてくれた。

 元対立派で元医者。

 そんな男が自分に逢いたがっていると。


 その理由は定かではないが他に選択肢はなかった。


「せんせー、お連れしましたよー」


 浅賀は顔を上げて五月さんの姿を確認すると、満足気な表情を浮かべた。


「ありがとう、お使いを頼んで悪かったね。もう用事はないから後は好きにしていいよ」

「そうですかー? じゃあ私も何か注文しようかなー」


 桐島は浅賀の隣の椅子に座り、メニューに目を通した。


「今日は折角の休みなんだろう? 家でゆっくりしたらいいんじゃないかな」

「私せんせーと一緒にいる方が好きですよー」


 桐島は店員を呼び、飲み物とデザートを注文した。


「俺はこれから天野さんと大事な話があるから、聞いていても退屈だと思うよ?」

「せんせーの喋るとこなら何時間眺めても飽きませんよー」


 桐島はうっとりとした表情で浅賀に微笑みかけた。

 それを受けた浅賀も優しく微笑み返し、しかしきっぱりと言い放った。


「帰ってくれない?」

「帰りませんよー」


 五月さんは思った。

 今はまだ自分がどんな状況に巻き込まれているのか全貌は掴めていない。この元対立派を名乗る女と浅賀という男が何を目的として接触してきたのかも、自分に何を求めるつもりなのかも。ただ一つ明らかなのは、浅賀が桐島を苦手としている事実だけだった。


「……もういいや、邪魔だけはしないでね」

「はーい」


 浅賀は呆れたように言うと、五月さんに向き直った。


「初めまして天野さん、浅賀善則といいます。医療コンサルタントをしています。それから……既に桐島さんから説明を受けていると思いますが、以前は桂木鋭月の派閥に所属していました」


 堂々と自己紹介する様はまるで見合い相手と相対しているかのようで、五月さんは思わず面喰ったそうだ。

 浅賀は溌剌さと自信に満ちており、それは敵対する組織の構成員への態度ではなかった。商談相手への対応とでも表現した方が適切だろうか。


「ああ、ご安心ください。私はもうあの男とは完全に縁を切っていますから。というより『同盟』が鋭月一派を壊滅させたお蔭で奴等から解放されたんですけどね。本当に感謝しています」

「本当に嬉しい誤算でしたねー。まさかあのタイミングでやっつけてくれるなんて。御影礼司様様ですよー」


 感謝の言葉を贈る浅賀と、それに追従する桐島。

 本来敵であるはずの二人から雇い主が称賛されていることに戸惑いつつも、五月さんは相手側の意図を探ろうとした。


「今回はこんな形でお呼びして大変申し訳ありません。なにせ御影家の関係者に近づくとなると簡単ではありませんから。もう少し穏便な方法を採りたかったのですが、時間が惜しいので……」

「急ぎの用事ですからねー、大目に見てほしいですー」


 邪魔するなと言われたにもかかわらず口を挟んでくる桐島を一睨みする浅賀だが、相手はどこ吹く風といった様子。

 結局、浅賀は無視することにしたらしい。

 彼はテーブルに寄りかかるように身を乗り出し、内緒話でもするように声を潜めた。


「……さて、ここに連れてこられて不信感に満ちていることでしょう。早速本題に入らせていただきます」


 浅賀は最初にそう前置きした。


「私は鋭月の派閥にいたわけですが、奴の家族についてもよく存じ上げています。息子の優くん……いや、今は蓮くんと呼ぶべきですね。彼のことも当然存じておりますが……残念ながら亡くなられたようですね」


 五月さんは警戒心を強めた。

 蓮が新たな戸籍を手に入れてこの街で暮らしていることを浅賀は既に知っている。そして、蓮が死んだことも。


 俺が蓮を殺したことは表沙汰にはなっていない。だが、この場面でこの話題を持ち出すのは――。


 もしや彼らは“真相”を知っているのではないか?


「そんな顔しないでください。彼がどうして亡くなったのか、その過程には正直興味ありません」


 浅賀は五月さんを宥めるように言う。

 表情に思考が滲んでいたことに気づいた五月さんは一旦落ち着くことにした。本題に入る前から動揺してはいけないと自分に言い聞かせ、次の言葉を待つ。


「流石御影家の使用人だけありますね。感情の切り替えが早いのは助かります」

「……そんなことは」


 すぐさま冷静さを取り戻す様子に浅賀は感心したような声を上げると、余裕を持った笑みを湛えて観察する視線を向けてきた。


「大事なのは彼が亡くなったという結果そのもの(・・・・・・)です。実を言うと、これについて我々は一つ困った問題を抱えています。それを解決するための手段はあるのですが、この手段を講じるために天野さんの力をお借りしたいのです」

「その問題とやらを解決するために私を呼んだと?」

「はい、何か疑問があるならお答えしますよ」


 浅賀の態度は生徒の質問を快く受け付ける教師のようだった。

 五月さんは迷うことなく、ずっと纏わりついていた謎をぶつけることにした。


「では一つだけ。何故私なんですか?」

「それは至ってシンプルですよ。あなたの能力が適しているからです」

「私の能力……?」

「そう、あなたが保有する人形生成の能力。これをどうか我々のために活用していただけませんか? 無論ただでとは言いません。協力していただいた暁には……」


 浅賀はそこでにやりと笑った。


「我々が有する章さんのスキャンダルに関する全ての証拠をお渡ししましょう。いかがですか?」

「……応じなければそれらの証拠を公開すると、そう脅迫するのですか?」


 浅賀は心外だと言わんばかりに首を振る。


「誤解しないでください。私たちは『同盟』と敵対する気は全くありません。鋭月は血統種至上主義なんて掲げて戦争でも起こそうとしていたようですが、そんなもの真っ平御免です。私は可能な限り平穏に生きたいんです。あんな血に(まみ)れた人生なんて鋭月とその取り巻き連中くらいしか望んでいませんよ」


 かつての上司と仲間を嘲笑う顔には暗い感情が宿っていた。

 一度はこの国の闇を牛耳った血統種を露骨に見下す態度。自分はそんな男とは違うという傲慢さ。徐々に仮面が剥がれて本性が垣間見えてくる様子を五月さんはじっと見つめていた。


「私はただ一度だけあなたに手伝ってもらいたいだけです。それで我々の関係は終わり」

「……けれど、それを信じていいのですか。約束を反故にして迫ることだって――」

「確かにこの証拠で章さんを操ることも可能でしょう。でも、そんなことはしません。人を脅して手に入るものはたかが知れてます。そんなものよりもっと(・・・・・・・・・・)素晴らしいもの(・・・・・・・)が手に入るんですから、つまらないリスクは背負いません」

「素晴らしいもの……?」


 浅賀は唇の前に人差し指を立てて片目を瞑った。


「それは秘密ですが……もしかすると、それが明らかになる日がやって来るかもしれません。その時には私に協力したことを誇りに思うでしょう」


 一体彼が何を根拠にそれほど自信に満ちているのか、五月さんには全く理解できなかったそうだ。

 ただ一つ、彼女は見たという。

 得意げなその瞳の奥に、妖しくゆらめく炎のような狂気を。何かに突き動かされる情熱の色を。


「心配する必要はありません。天野さんには一つ人形を作っていただくだけです。私が指定する条件に沿って生成してください」


 そして、浅賀はその条件を説明し始める。


 それを聴いた五月さんは肌が泡立つような恐怖に似た感覚に囚われたという。




 翌日、五月さんは浅賀にとあるビルへと向かった。

 都市部の再開発から取り残された古い雑居ビル。その地下が浅賀との待ち合わせの場所であった。


 大通りから薄暗い横道へと入り、真っ直ぐ進んだ所にそのビルは建っていた。

 ビルの一階には汚れたシャッターに閉ざされたテナントがあり、そのシャッターに背中を預けるようにして浅賀善則は五月さんを出迎えた。


「時間通りですね。尾行はありませんね?」

「少なくとも今は。人形たちに一帯の道路、上空を監視させていますが、怪しい気配はありません」

「大変結構。では、降りましょうか」


 二人は地下へ続く狭い階段を降りていく。


 扉は開けた先には、テーブルや椅子が並べられた広い空間があった。元は食堂でも経営していたのだろう。床や家具の上に埃が薄らと積もり、長い間手入れされていないのがすぐにわかったそうだ。


 浅賀は奥の部屋へと移動する。


「皆お待たせ、頼れるアシスタントのご登場だ」


 芝居がかった口調で浅賀は部屋の中に足を踏み入れる。

 そこには三人の男女の姿があった。


 まず、扉の傍に立っているのは桐島晴香。入ってきた浅賀に近寄り、腕に絡もうとして軽くいなされていた。

 そんな桐島を露骨に蔑む視線を送っている男。五月さんの顔を一瞥した後、全然興味が無さそうに視線を逸らした。

 最後に浅賀たちから距離を置くように壁際に立っている女が一人。小さな電灯に照らされた顔の右側で泣きぼくろが目立っていた。こちらは五月さんを哀れむような視線を向けていて、時折物憂げに顔を伏せていた。


「紹介しましょう。こちらの男性が立花くん、あちらの女性が九条さん。二人とも私と同じ病院で働いていた仲間です」


 立花は「よろしく」と小声で呟き軽く手を挙げて答える。

 一方、九条は会釈するだけですぐに視線を逸らしてしまった。


「それじゃあ早速取り掛かるとしよう。天野さん、準備はいいですね?」

「……はい」


 浅賀の問いに五月さんは了承する。

 二人は部屋の中央に設置してある台の前に立った。大きな長方形で金属製のものだ。


 五月さんは台の上に意識を集中させて、能力を発動した。


 人形の生成にはいくつかの過程(プロセス)を経る必要がある。

 第一に、生成する人形のイメージ。頭の中で人形の大きさ、形状を設計し、想像の中で完成させる。

 次に、細かな条件の指定。人間と同程度の知能や技能を与えるかどうかを決定する。時間経過と共に破棄されるか、又は五月さんが命じるまで稼働し続けるかといった活動時間を定めることもできる。屋敷のメイド人形は皆このような指定をされて生成された個体だ。

 最後に、イメージの実体化。エネルギーを消費して現実世界へと出力する。この時、精巧な人形を求める程消費も激しくなる。


 浅賀から指定された条件を基にして、五月さんは一日かけて生成する人形をイメージした。

 本来は余程複雑でなければイメージに費やす時間は多くない。しかし、五月さんは指定の人形について、一日かけて細部に至るまで想像を重ねた。

 それは章さんのために絶対に失敗できないという意志、そして全身全霊を込めて生成しないのは侮辱(・・)だという感情があったからだ。


 台の上にエネルギーが渦巻いていき、やがてそれは人の形へと成っていく。

 煙のような腕や脚が徐々に脹らみを持ち、血の気のない肌色の塊へと変質する。髪の毛や爪といった小さなパーツが塊の下から植物が芽吹くように生えてくる。


 完成したのは一人の男の偶像だ。

 年は十五歳、中背の少年。生気を感じさせない顔。


「……いやあ流石ですね。どこからどう見ても蓮くんの遺体(・・・・・・)ですよ」


 横たわる蓮の遺体――それを模した人形の出来栄えに浅賀は声が震えていた。


「凄いですねー、何も知らない人が見たら間違いなく遺体だって思っちゃいますよー」

「たかが人形だと思ってたけど案外良い造りしてんだな」


 人形をしげしげと観察しながら立花が感心したように言った。


「でも、よく調べれば人形だとすぐにわかってしまいます。これを蓮さんの遺体と言い張るのは難しいかと……」


 一目見ただけでは蓮にしか見えないが、実際に手を触れてみればそれが偽物であると見抜かれる。手触りが人の皮膚と異なるからだ。まるでプラスチックに触れているかのような感触である。


「そうですね、このままでは無理でしょう。ですがそのために――はい、桐島さん出番ですよ」


 ここで浅賀は桐島にバトンを手渡した。受け取った桐島は挙手して威勢よく返事をした。


「はーい! ここからは私にお任せくださいー」


 桐島は人形の腹の上に手を翳す。すると掌からグロテスクな灰色の物質が流れ落ち、人形の表面を伝いながら覆っていった。ヘドロのような不快感を纏ったその物質は時間をかけて表面から内部へ染み込んでいく。染み込んだ箇所は灰色に変色して、不気味に泡立っていた。


「桐島晴香出張エステのお時間ですよー。さあさあ御照覧あれ! ここにあるのは一体の無機質な人形。これに私の“蠢く粘土(キューティモデル)"を垂らすと……」


 変色した箇所に変化が訪れる。先程までただの紛い物に過ぎなかった人形の身体に血の気が通い出したのだ。正確にはかつて生命が息づいていた名残が現われたと言うべきか。化学製品のような感触だった肌が本物の亡骸のような柔らかさを持ったのだ。


「なんと! ただの人形が本物の遺体に変わってしまったのですー! いやー、私って凄いですねー。形成外科の先生が商売あがったりって嘆くくらいですからー」


 自信たっぷりに鼻を鳴らす桐島。それを見た立花は、はんと嗤った。


「なにが“蠢く粘土(キューティモデル)”だ、調子乗ってんじゃねーぞ雌。そんな媚びた名前テメェが勝手につけたんだろうが」

「はー、立花くんはセンスないですねー。溜息案件ですよこれはー。今の若い子の間では堅苦しい名前を捨てて可愛らしく改名するのがトレンドなんですよー。マッドサイエンティストの君にはわかんないかもしれませんがねー」

「そんなトレンド聞いたことねーよ、フカシこくな」


 正面から言葉の殴り合いを始めた二人の男女を、五月さんは唖然として見守るしかなかった。

 そんな彼女の背後から近づいてきた九条がそっと囁いた。


「あの二人のことは気にしないで。ああやっていつも喧嘩してるから」


 九条は何の感情もなく言い切り、二人へ冷たい視線を送る。そこに仲間意識は微塵もなく、籠の中の虫でも観察しているかのように見えたそうだ。


「まあ、とにかくこれで問題は解決しました。桐島さんの能力があればどんな物にでも血肉を与えることができる。それを応用すれば、こうして人形を本物の遺体を造ることだって朝飯前というわけです」

「じゃあ、後はすり替えだけね」


 九条の言葉に、浅賀は冷酷な笑みを返した。


「そう、後は蓮くんの遺体を(・・・・・・・)こちらの偽物と(・・・・・・・)すり替える(・・・・・)だけ。それで目標達成(ミッションコンプリート)だ」


 五月さんは身震いした。

 浅賀の目的は、昨日蓮にそっくりな人形を生成してほしいと依頼された際に聞いていた。


 遺体のすり替え――葬儀が開始される前に本物と偽物を交換する。


 正気を失ったのかと疑ったが、浅賀は大真面目だった。


「これで天野さんの仕事は終了です。わざわざこんな所に呼び出して申し訳ありません」

「いえ……それは構いません。私は、その、約束の物さえ頂ければ……」


 五月さんは見返りとなる不正の証拠を要求したが、浅賀は首を振った。


「証拠をお渡しするのは蓮くんの葬儀が無事に終わってからです。万が一あなたが態度を翻す可能性も捨てきれませんからね。最低でも葬儀から三日経つまでは我慢してください」


 念押しするように迫る浅賀に五月さんは渋々頷くしかなかった。


「……ご安心ください。最初に行ったとおり我々は約束を守ります。この共犯関係は今回限りのものです。あなたは今までのように素知らぬ顔でいればいい」

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