天野五月の告白 ‐中編‐
それは事件の翌日、寧と紫の病室を訪れた帰りのこと。
病院を出た五月さんは陰鬱な気分の中、一人で歩いていた。
彼女にとっても蓮の死と、紫と寧の負傷は多大なショックであった。
何度も顔を合わせ語り合った仲。
そんな相手がこれほど大きな事件を引き起こすとは想像しなかった。
「……これからどうなるんでしょう」
紫はその日の内に退院する予定であり様子を見に行ったが、恋人の死という現実に向き合いきれずにいた。いつものポーカーフェイスを捨て、悲哀に暮れていた。
紫はどうするのだろう。無事に立ち直れるのだろうか。
そんな不透明な先行きに不安を抱かざるをえない。
答えの見つからない問題に悩みながら駐車場へと辿り着く。
人形が待機している車の元へ向かおうとした時、背後から声がかかった。
「すみませーん、ちょっとお時間頂いてもいいですかー?」
振り向くとそこには二十代後半くらいの女が立っていた。
「天野五月さんですよねー? 御影家に勤めてらっしゃる」
ウェーブがかかった髪、濃いアイシャドウ、甘ったるい喋り。それらがマッチして何とも言えない不快感が漂っていたという。
首から吊るされている銀色の鎖に繋がれたペンダントは一目で高級品であるとわかった。それが見せびらかすように胸元で揺れている。
「どちら様でしょうか? 取材ならお断りしていますが」
大方紫の“訓練中の怪我”について訊きたいのだろうと考え、あしらおうとした。
しかし、女は苦笑いを浮かべて否定した。
「ああ! 私記者じゃありませんよー。あなたと個人的にオハナシがしたくて来たんですー」
「私と話?」
「初めましてー、桐島晴香っていいます。御影章さんのことでお伝えしたいことがあるんですよー」
「章さん……?」
恋人の名前が出た瞬間に五月さんの全身に緊張が走った。
何故彼の名前が出てくるのかと訝しみつつ、彼女は素知らぬ顔で答えた。
「章様が何か?」
「またまたー、とぼけちゃって。天野さんと章さんが他の皆さんに内緒で交際していること、ちゃんと知ってるんですよー」
世間話でもするように秘密を突きつけてきた桐島。
五月さんは動揺が顔に出るのを抑えて、はてと首を傾げた。
「交際……ですか? 何のことか存じませんが」
「否定しなくていいですよー。記者じゃないって言いましたよねー?」
そこで桐島は口元に弧を描いた。
五月さんはそれを獲物を前にして舌なめずりしているように思ったという。
「章さんのことで天野さんにお伝えしたいことがあるんですよー。まだ誰にも知られていない話でしてねー、あなたには一足早くお教えしようと思いましてー。実は、章さんが“問題”を起こしちゃって困ったことになってるんですよー。それで天野さんに助力していただきたくてー」
「困ったこと?」
勿体ぶった口調に苛立ちながらも五月さんは問い返した。
この女は何が言いたいのだ?
「ええ――これが大変なことなんですよ」
桐島の茶化したような口調が突如酷薄なものへと変化した。
「章さんね、『同盟』の内部情報を外部に流出させちゃったんですって」
「え?」
五月さんは桐島の言葉を理解できずに思わず訊き返した。
「おっと、いい反応ですねー。やっぱり気になっちゃいますかー?」
桐島は手頃な玩具を見つけたようなにたにたした笑顔で、五月さんの心を波立たせた。
嗜虐的な本性を隠そうともしないその態度が余計に不安を掻きたてた。
「どういうことですか? 内部情報を流出って……」
「実はですねー」
そう言って桐島晴香は俺が章さんから聴いたものと同じ話を語ってみせたらしい。
話が進むにつれて五月さんは精神の土台がぐらつくのを感じた。
隠された恋人の不始末。それが事実であれば――。
そう考えるだけで嫌な汗が滲んだ。
「で、でも、その話が本当だと断言できるんですか!? ひょっとしたら何かの間違いかも……」
「いえいえ、間違いなわけないですよー」
桐島はそこでとっておきの爆弾を投下した。
「だってその防衛自治派の取引相手って私なんですからねー」
「は……?」
またしても五月さんは呆けた声を上げてしまった。
「正確に言えば私が裏で糸を引いていたっていうか、あのお馬鹿さんは私の言いなりになって動いてただけなんですよねー」
彼女の思考は疑問に埋め尽くされる。取引相手がこの女? いや、今の話に桐島は出てこなかったはずでは? そもそも裏で糸を引いていたとは何だ?
「ほら、これがその取引の映像ですよー」
桐島がタブレットを取り出して操作すると、そこには三人の男が顔を突き合わせて話し合っている光景が映し出されていた。
その内の二人には見覚えがあった。恋人とその友人の姿だ。友人の方は以前不祥事を起こして自殺した男であった。
「いやー、まさか御影家の一族が横から食いついてくるとは思いませんでしたよー。そのお蔭でいいネタが手に入りましたー」
桐島は「さて」と言い、五月さんに顔を近づけた。
嘲笑うかのような二つの眼に囚われ、五月さんは身動きがとれなかった。
「これを公表したらどうなるでしょうねー? 面白いことになると思いません?」
「……!」
息を呑んだ五月さんの反応に、桐島は大層満足したように頷いた。
「そうそう! 理解が早くて助かりますー。章さんが失脚するのは困りますよね? でも、ご安心ください! ちょっとお時間いただければ何とかなりますよー」
桐島晴香は自分についてくるように五月さんを誘う。
五月さんは従うしかなかった。
「凄く嫌な女だな」
五月さんの話に一区切りついたところで、雫が嫌悪感を露わにして毒づいた。
「人柄は聞いていたがこれなら嫌われるのも頷ける。これに耐えた五月さんは賞賛に値するぞ。私なら文句の一つでも言っていたところだ」
「それどころじゃなかった、というだけだろう……章さんの秘密で一杯だったから」
のんびりした口調で相手の心を一回一回丁寧に突き刺していき、焦らし、自分のペースに嵌るように誘導していくスタイル。
この手の輩は結果を重視するより過程を愉しむ。最終的な利益よりそこに至るまでの流れを計画して、その合間に自らの欲望――桐島晴香の場合は相手の神経を逆撫でして、反抗してきたところで致命的な一撃を与える――を挟む。趣味と実益を兼ねるタイプだ。
「浅賀はこんな女と交際関係を持っていたのか? やはり奴も性根が腐っているタイプか……」
「それはどうだろうな、単に同じ派閥の仲間同士で付き合いがあっただけじゃないか?」
加治佐牡丹の調査でその事実は確認できなかったなら、恐らく実際にはなかったのだろう。高価なアクセサリーは浅賀が贈った物と推測されるが、これは精々“餌付け”目的がいいところだ。能力は優秀であったというので、手元に置いておきたかっただけだと考える。
「だが、俺の予想通り――やはり漏洩事件には桐島が噛んでいたか」
防衛自治派に流れた内部資料の出所が章さんであることを、浅賀はどうやって知り得たのか?
この一件の裏を知るには防衛自治派に通じている人物の存在が不可欠だ。
そして、関係者の中で浅賀と防衛自治派双方に繋がりを有しているのは今のところ桐島晴香だけだ。
桐島は『WHITE CAGE』に出入りしながら防衛自治派の構成員と面識を持ち、彼らから情報を引っこ抜くために手管を弄した。そうして件の交渉相手にも接近し親しい関係となったのだ。
「『WHITE CAGE』に集まっている連中が所属している組織が、章さんの友人が接触した組織だったと?」
「そう、それが切欠で桐島に目をつけられた。違うか五月さん?」
「……はい」
俺たちの会話を聴いていた五月さんが肯定する。
「元々鋭月一派の潜伏場所を最初に突き止めたのも桐島だったんです」
五月さんはそのあらましを語りだす。
鋭月が逮捕され一派が崩壊の憂き目に遭った後、浅賀たちは監視から逃れて自由に動けるようになった。
しかし、残党が浅賀たちに接触してくる可能性は否定できなかった。表向き対立派と知られていない彼らは隠れ蓑に適しているからだ。
浅賀がたちが鋭月を裏切っていたことがばれたら只事では済まない。俺たちにとって鋭月一派が妥当すべき敵であるように、浅賀たちにとっても排除すべき邪魔者であった。
浅賀たちは独自に残党の隠れ家を突き止めた。そして、それを始末させるために『同盟』へ密告しようと考えたのだ。
この時、幸運が舞い込んだ。桐島は防衛自治派の組織を探り、そこの下級幹部を利用して残党の調査を行った。そんな中、その幹部が章さんの友人と偶然出逢い、互いの情報を対価に取引する契約を交わしたのだ。これにより桐島は『同盟』側の弱みという思わぬ成果を手にした。
しかも後から話に加わった男が御影家の血筋であり若手のホープときた。これはいざというときに使えると判断し、取引に章さんが関与した証拠を温存することにしたという。
そして、蓮の事件が起きた後、連中は行動を起こした。
「その後、私は桐島に案内されて……そこで浅賀善則と逢ったんです」
五月さんは後悔に満ちた表情で、再び過去を語りだす。