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エンゼルプラン  作者: 夏多巽
第五章 三月二十八日 後半
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叛逆

「裏切った――? 浅賀が対立派を?」

「良い反応ね。そうこなくちゃ」


 悪戯に成功した子供のように目を爛々と輝かせた沙緒里さんは、椅子に座ったまま大きく身を乗り出した。


「浅賀はコンサル会社を立ち上げた後、昔の同僚たちを集めて薬の研究を開始した。これはあなたも知っているとおりだけど……実は、これ浅賀が鋭月たち対立派の中核メンバーに黙って勝手に始めたことなの」

「独断で決定したのか?」

「ええ、情報源(ソース)は明かせないけど確かな情報よ」


 沙緒里さんは真顔で断言した。嘘ではないだろうと直感した。


「薬の効能は“治癒能力を有する血統種の抑制”――この背景には、かつて浅賀が勤務していた病院の元患者がいる」

「糸井夏美か……」

「そう、浅賀は糸井夏美の担当医でもあった。それがあの火災で糸井夫妻が殺害され、娘も行方不明。病院は責任を問われて、浅賀もただじゃ済まなかった……はずなのに火災後の浅賀は異様なほど気力が湧いていたそうよ。病院が閉鎖されても一切へこんだ様子も見せずに会社を興して活き活きとしていたと当時の知り合いが証言しているわ」


 奇妙なまでに前向きだったなんて不審に思われて当然だ。

 しかし、何がそれほどの活力を与えたのだろう?


「彼は治癒能力持ちの血統種に関する様々なデータを世界中から集めていたわ。合法的に入手したものもあれば、闇取引で入手したものもある。いずれにせよ糸井夏美の存在が念頭にあったことは間違いないわ」

「……確かにそう結論付けてよさそうだ」


 状況証拠は充分揃っている。疑う余地はない。


「だが、何故裏切る必要があった? 浅賀は鋭月一派と対立していたのか?」

「いいえ、そういった話は無いわ」

「それならどんな理由があるというんだ? 鋭月一派に対して強気に出られるだけの材料があったんだろう?」


 そこで沙緒里さんは考えるように黙り込み、ややあってから口を開いた。


「……その研究内容こそが強気に出られる材料なんでしょう。あの鋭月に刃向えると確信できるだけのね」


 俺は沙緒里さんの言葉の裏に滲んだほんの小さな感情の揺れを聞き逃さなかった。

 今、彼女は口に出す言葉を選別した。俺に与える情報を制限するために。

 ここまで何の迷いもなくすらすらと述べていた彼女が初めて見せた躊躇だ。


 沙緒里さんは既に知っているか、あるいは当たりをつけているのだ。浅賀が一体何の目的であの抑制剤を作らせたのか、その背後にある真実に。


 敢えて今は追及しないでおこう。


「あの抑制剤にそこまでの影響力があると?」

「あれが糸井夏美を意識して作られたということは、鋭月にとって絶対に無視できない代物だったと考えられるわ」


 沙緒里さんは何の変化も無い顔のまま話し続ける。


「けれど――鋭月が四年前に捕縛された後、鋭月の側近たちは消えた。それにより監視の目が消えて大胆に行動できるようになった。現に浅賀はこの頃から活動が活発化しているわ」


 対立派が壊滅した後はその息がかかった天狼製薬も大打撃を受けた。そのおかげでクリア薬品にいた立花明人が自由に研究できるようになったということか。


「ところが一年後に研究を担当していた男が失踪、さらに半年後に浅賀と関係のあった元看護師も同じく失踪した。さらに約一年後に内科の医師も失踪している」


 最初に立花が消え、続いて桐島晴香、さらに九条詩織。

 そして最後に浅賀本人が去年の五月に失踪。だが、沙緒里さんの話によれば里見たちから逃げただけだという。


「浅賀が姿を消したのは里見たちに隠れて研究していたのが知られたからよ。去年になってようやく再始動を始めたのね。そうでなかったらとうの昔に気づいていたはずだもの」

「浅賀がどこに身を潜めていたのかは判明しているのか?」


 沙緒里さんは首を横に振った。


「場所は突き止められてないわ。時折顔を出すことはあったけど、すぐにまたどこかへ消えてしまうの」

「失踪後に一度この屋敷のすぐ近くに姿を見せたらしい。紫と剣呑な雰囲気の中密会していたとか」

「それは初耳よ。直接この近くまで出向いたの? なかなか思い切った行動に出たのね」


 密会といえば浅賀が鋭月からメッセージを預かったという話もあった。

 あの件も把握しているのだろうか?


「紫は蓮を唆したのが浅賀だと睨んでいたんだ。なんでも事件の直前に二人が逢っていたことを突き止めたらしい」

「一人でそこまで調べたなんて随分と健気だこと」


 沙緒里さんは何の感情も無く言い捨てた。


「けれど、私もそこまでは知らなかった。もしかすると蓮が遺した手掛かりをあの子が先んじて回収した可能性があるわね」


 紫は警備部とは別の情報源を頼りに調査を進めていた可能性があるか。そのあたりも詳しく知りたいところだ。


「それに、浅賀が寧の暗殺計画に一枚噛んでいたというのはやっぱり変よね……調べた限りではあの男には寧を排除する動機がないもの。報復のために動くような性格(ガラ)でもないし」


 忠誠心なんて微塵もないからこそ鋭月一派を裏切ったわけだ。それなら御影家に恨みを持つのも考えにくい。


「別の意図が介在している可能性があると?」

「そうね、他の誰かが計画に関与していたか……そこは私でもまだ核心に迫るまでには至らないわ」


 おや、と俺は疑念を抱いた。

 他に計画に加担した人物がわからないというのは妙ではないか。


「五月さんは? 浅賀と逢っていた以上、あの人も何か関与しているんじゃないのか?」


 そう言うと沙緒里さんはくすくすと笑う。


「あら、由貴ったら五月が裏切ったんじゃないかと考えていたの? そんなはずないでしょう。あの子は母親の件で礼司兄さんに恩があるんだから。あの子はただ利用されただけ(・・・・・・・・・)


 利用された?


「これ以上知りたいなら五月本人に訊きなさい。勝手に口外してまた章が怒鳴り込んできたら困るもの」

「……さっき章さんと口論していたのはそれが理由か?」

「そうよ、辰馬兄さんから例の話を聞いてやって来たの。五月を脅すつもりなんじゃないかってね」


 昨夜、俺が辰馬さんから聞いた話を、あの後章さんも聞いた。それで章さんは不安になったわけだ。そして、彼は沙緒里さんの目的を問い詰めるためにここへ来たのだ。


 だが、そう考えると引っかかる点がある。


「少し変だな。さっき立ち聞きした話では、まるで章さん自身の問題について語っているようだったぞ? 沙緒里さんも章さんの“未来を潰す”ようなことはしたくないって言っていたじゃないか」

「……ええ、そうね」


 沙緒里さんは意味深に肯定した。

 まだ、何か裏があるということか。


「とにかく五月についてはもう干渉はしないわ。辰馬兄さんが片付けるもよし、あなたが片付けるもよし。あなたたちで話し合うなり何なりして決めればいい」


 どうやら話はここで終わりのようだ。あとは五月さん本人に直接訊くしかあるまい。


「……そうそう、それで手を組む方についてはどう? 前向きに検討してくれると助かるわ」


 俺と手を組む――そもそもこの意味がわからない。

 沙緒里さんにとって俺は最愛の息子のライバルである。


「まず、あんたのスタンスをはっきりさせてほしい。これは一時的な協力関係と考えていいのか?」

「当主補佐のことで揉める心配をしているの? それなら問題ないわ。慎には当主補佐を諦めさせるから」

「……何?」


 一瞬沙緒里さんの発した言葉が理解できなかった。

 彼女は慎さんの幸福を何よりも優先する。彼を当主補佐に就けようとしたのもその一環だ。

 それを諦めさせるだと?


「おかしな話でもないでしょう。元々慎は乗り気じゃなかったし、礼司兄さんが指名した以上は尊重してあげたいと思うのが当然じゃない?」


 さも当たり前のように口にするその姿は普通なら考えられない。

 どういうことだ? 意図が全くわからず困惑する。


 そこで俺はここに来てからの沙緒里さんの言動を思い出した。

 彼女は相も変わらずふわふわとした言動を繰り返していたが、その中に俺に対する嫌味は一つもなかった。

 例えば辰馬さんは嫉妬と嫌悪を剥き出しにしていたが、あれは俺が帰還したことへの警戒心の表れだ。章さんを当主補佐に推すが故の反応であった。

 ところが沙緒里さんにはそれがない。俺と敵対関係にあるはずなのに、俺への当たりはどちらかといえば穏やかだ。


 まさか当主補佐の椅子に興味がなくなったのか?

 そう考えると俺を懐柔しようと試みたのも頷ける。


「……あれだけ慎さんのためにって欲しがっていたのに、どうして捨てる気になったんだ?」

「誤解しないでちょうだい。私はあくまで慎にとって都合が良いから当主補佐にさせようとしただけ。でも、うまくいけば(・・・・・・)必要なくなる(・・・・・・)からあなたに返していいと思ったの」

「必要なくなる……? 何か代替案でもあるのか?」

「それこそがこの提案の本丸よ。私の狙い通りにいけば全てが解決する。私にとっても、あなたにとってもね」


 俺は沙緒里さんの言葉を心の内で反芻する。

 目を瞑り、腕を組み、しばし無言でいた。


 それから数十秒たっぷり考えた後、俺は口を開いた。


「具体的に俺に何をしてほしいんだ?」


 沙緒里さんが俺に何を要求するつもりか。それがわかれば彼女の目的を知る判断材料になるかもしれない。


「簡単なことよ。浅賀善則の家から例の薬を確保したらそれを私に引き渡して(・・・・・・・・・・)。あなたなら凪砂を説き伏せられるでしょう。もし、あの子が拒否するようなら当主補佐の権限を前借してでも強引に進めて」


 件の抑制剤の入手。

 確かにできなくもない仕事だ。血統種犯罪における『同盟』と警察のパワーバランスは、圧倒的に前者が勝る。警察の判断が鶴の一声でひっくり返るなんてざらにある話だ。それを俺にさせようとしている。


「あんたが事件の裏側をどこまで知っているか、それを教えるつもりはないんだな」

「残念だけど無理な話よ。ここまで手の内を明かしたのだって充分すぎるくらいサービスなんだから。これ以上は“手札”が揃うまでは話せないわ」


 “揃う”という表現が引っかかった。抑制剤の他にも必要なものが存在するのか?

 

「私の話はこれで終わり。あとはあなた次第よ」


 沙緒里さんはもう帰っていいとばかりに手をひらひらと振った。


「何も心配はいらないわ……私の言う通りにすれば全てが丸く収まるんだから」

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