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エンゼルプラン  作者: 夏多巽
第五章 三月二十八日 後半
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会談

 二階へ上がり沙緒里さんが泊まる客間へと向かう。この客間は取り壊された旧館にあった沙緒里さんの部屋にデザインを似せている。ここに住んでいた頃と変わらない居心地を体感してもらいたいという礼司さんの配慮だ。そんなわけで実質上沙緒里さん専用の部屋として扱われている。

 今回は死んだ信彦さんも一緒に使っていたはずだ。まだ彼の荷物が残されたままだろう。なお、警察が持ち物を一通り検査したが収穫はなかった。


 沙緒里さんの部屋の近くまで来た時、くぐもった怒鳴り声が聞こえた。


「……――!」


 どこからだと耳を澄ませば沙緒里さんの部屋からだ。明らかに彼女の声ではない。

 部屋の中に誰か男性がいる。


 俺は首を傾げた。俺の他にも誰かを呼んだのだろうか?


 状況が不明瞭なので部屋には入らず、失礼ながら外から会話を聴かせてもらうことにした。扉の前に立つと男性の声がはっきり届く。


「どういうつもりです? 何を企んでそんな真似をしたんですか?」


 いつになく怒気を発した章さんの低い声が相手へと向けられる。その相手である沙緒里さんの軽々しく、それでいて冷たい声が後に続いた。


「企んでいるだなんて滅相もないわ。大事な甥の未来を潰すような酷いことをしたくなかっただけよ。折角頑張ったのに報われないなんてあんまりじゃない?」

「それで見逃したと? 生憎ですが信じられませんね。血の繋がった相手だから情けをかけるような人じゃないでしょう」

「……嫌だわ、そんな風に誤解されていたなんて。私のことを情け容赦のない女だと思っていたの?」


 沙緒里さんは心外だと言わんばかりに抗議の声を上げるが、章さんはそれを鼻で嗤った。


「あなたは自分と慎のこと以外には関心なんてないでしょう。景之さんのことは気の毒とは思いますが、それを差し引いてもここ数年のあなたの行動は目に余る」


 そこで章さんは一旦間を置き、裁判官が被告人に罪状を突きつけるように一つ一つ挙げだした。


「警備部の体制改革、息のかかった人員を諜報員に仕立て上げた後に各所に送り込んで工作活動に従事させる、上げられた情報の独占、恣意的な利用――どれだけ手を出せば気が済むんですか?」

「あら、『同盟』に損害は与えていないわよ? それどころか『同盟』の情報部門は飛躍的な成長を遂げたわ。あなたが今言ったここ数年で未然に阻止できた血統種犯罪の件数はいくらか知ってる?」

「去年だけで二十二件ですね。内訳は、強盗が十件、密輸が六件、誘拐が三件、テロが一件、暗殺が二件」

「よくできました。勉強熱心で大変結構よ」

「それはどうも」


 俺がいない間にも裏で様々な事件が蠢いていたようだ。テロ事件に関しては大々的に報道されたのでよく憶えている。その他にもこれだけの事件を未然に阻止したということは、警備部の情報網は想像以上に幅広く構築されていると見ていい。


「叔母さんがどれだけ貢献しているかはよく知っているつもりです。それを踏まえて本題に入ります。あなたは何を企んで(・・・・・・・・・)いるんですか(・・・・・・)? 一体何が目的なんです?」


 糾弾する口調で章さんは真っ向から疑問をぶつけた。

 だが、沙緒里さんはまるで訳がわからないと言うように答える。


「何が目的って……おかしいわね、あなた自分で言ったじゃない? 私は私たち家族(・・・・・)のために動いているのよ。それ以外のことなんて(・・・・・・・・・・)関心はないの(・・・・・・)


 足元の扉と床の隙間から冷気が漏れ出しているのは気のせいではないだろう。ヒートアップという表現が適切かどうかはわからないが、そろそろ介入した方が良さそうだ。


「沙緒里さん、俺です」


 俺は扉をノックして存在を中の二人に伝える。


「入っていいわよ」

「失礼します……何か声が聞こえると思ったら章さんだったのか。もしかして章さんも呼ばれたのか?」

「……いや、別にそういうわけじゃないけど」


 章さんは居心地悪そうに肩を揺らした。話を聞かれたのではないかと不安なのがよくわかる。


「ところで由貴はどうしてここに?」

「今日のことで詳しい話が訊きたいらしい。そうですよね?」


 沙緒里さんは口元を妖艶に吊り上げ、目を細めた。


「ええ、そうよ。それじゃあ章はまた後でね」

「……わかりました」


 渋々と言った様子で頷くと章さんは部屋を出て行った。


「一体何の話をしていたんです?」

「気になるかしら? それなら割り込まずに最後まで盗み聞きしてよかったのよ?」


 俺が扉の外にいたことは気づいていたようだ。章さんは興奮していたから多分気づかないままだったろう。


「気になるのは確かですが、まずは用件の方を済ませましょう」

「そうね」


 沙緒里さんは人差し指を唇に当て、探るような視線でこちらを見据えてきた。


「訊きたいのはあなたが浅賀善則の家に行った理由。辰馬兄さんから五月と浅賀の関係は聞いているのよね?」

「勿論、あなたがそれを隠蔽したことも」

「”隠蔽”ではないわね、“目下調査中”よ。あの件は辰馬兄さんに任せることにしたの」


 つまらないことで問答する気はない。沙緒里さんの開き直りは無視することにした。


「それであの家に行った理由ですが、浅賀と鋭月に繋がりがあるなら里見たちとも繋がりがあっても不思議ではないと考えて捜索することにしたんです。異界化していたのは予想外でしたが、そこで里見を捕縛できたのは僥倖でした」

「それに五月との関係も調べるためでしょう?」

「……否定はしません」


 情報を握っている沙緒里さん相手に嘘を吐く必要はない。そういった意味では楽な会話だった。相手が彼女であるという最も厄介な事実を除けば。


「まあ、そのあたりのことは別にどうだっていいの。里見の容態が快復すればすぐにでも尋問するでしょう。そちらは警察に任せればいいわ」

「どうだっていい……とは?」

「訊きたいことは別にあるの」


 次の瞬間、部屋中に冷たい空気が充満した。肌が凍りつくような不快な感覚に襲われる。そんな中、沙緒里さんだけは悠然と笑みを浮かべていた。


「あのね……浅賀の家で妙な薬(・・・)を発見しなかった?」


 妙な薬。その言葉には心当たりがあった。

 里見と西口があの家で探していた物――回復能力を有する血統種に対する抑制剤だ。


 だが、何故沙緒里さんがそれを知っている?


 疑問はあるがまずは回答だ。西口の証言からいずれは知られる内容なので正直に話すことにする。


「妙な薬とは、もしかして浅賀が研究させていた薬のことですか?」

「そう、特定の能力を持つ血統種のために作った薬剤。やはり知っていたのね」


 沙緒里さんは満足そうに息を吐いた。白い息が宙に霧散していく。


「それで見つけたの?」

「いいえ、残念ながら。ただ保管場所と思わしき金庫を発見しました」

「金庫ね……ひょっとして対血統種用の特殊性?」

「ええ、暗証番号がわからないので一先ず放置しています」


 やれやれと肩をすくめると同時に、沙緒里さんは部屋の温度を元に戻した。


「それなら仕方ないわね。そちらは後回しにしましょう」


 そう言って沙緒里さんは一瞬で目を鋭くさせた。


「……そうね、先にこっちの話を片付けようかしら。ねえ、秋穂から昨夜の話は聴いている?」

「手を組むという提案のことですか? それなら俺も答えは一緒です。申し訳ありませんが断らせていただきます」


 これについては一考の余地もない。沙緒里さんがどんな人かはよく知っている。彼女と一度関係を持てば決してただでは済まない。


 俺の回答を予期していたのだろう沙緒里さんは表情を変えなかった。


「つれないわね、話くらい聴く気にならないの?」

「言っちゃなんですが絶対にろくなことにならないと確信していますから」


 沙緒里さんは別段気を悪くした様子もなく、ふふと笑みを零した。


「無論“対価”は用意してあるわよ? 成功報酬だからすぐには出せないけど、きっと気に入ってもらえるわ」


 “対価”ときたか。俺が金で動く性格でないことは彼女もよく知っている。ならば“対価”とはそれ以外で俺が欲するような何かだ。


「“対価”……一体それは何ですか?」

「残念だけど今は教えられないのよ。ただ――」


 沙緒里さんは意味深な視線を寄越してきた。


「そうね、断言はできないけど――紫を家に連れ戻すことができるかもしれないわ」

「……何だって?」


 予想外の名前が飛び出したことで、思わずドスの利いた声が出てしまった。


「ほらほら、そんな怖い顔しないの」


 沙緒里さんは呆れた口調で(たしな)めてくるが、耳を貸す余裕はなかった。

 今は彼女の真意を問い質すのが先決だ。


「何故ここで紫の名前が出てくるんだ?」

「ふふ、どうしてだと思う? あなたならその答えがわかるんじゃない?」


 問いかけたのに逆に問いを返されてしまった。

 沙緒里さんは酒を呑んでいるわけでもないのに、酔っているように上機嫌だ。それに俺とのやり取りを心から楽しんでいる。


 このまま彼女のペースに引き込まれるのは危険であると理解している。だが、同時に彼女から本音を引き出す機会でもある。謀略では向こうが一枚上手だが、心の機微を読み取るのはこちらに分がある。一つでも多くの言葉を口にさせるのだ。それが正解への近道となる。


「……沙緒里さんは紫がどこで何をしているのか予測がついているんだな」

「まあ、そんなところかしら。具体的にどこでどう、とまでは無理だけど凡その見当はついているわ」

「それじゃあ、紫が浅賀を追っていたことも知っているんだな?」

「当然でしょう? 私は蓮が死んだ後から浅賀の身辺調査を徹底しているのよ。五月のことだけじゃない、紫が目をつけていたのも把握しているわ」


 ここまではいい。問題はこの先の話だ。

 俺は慎重に言葉を選ぶため気を引き締める。


「……浅賀は去年の五月末に失踪しているが、警備部の方で何か掴んでいないのか?」

「“失踪”という表現はあまり正確ではないわね。“雲隠れ”と言った方がいいかしら? どうやら里見たちから逃げ回っていたみたいね」

「逃げ回っていた?」


 浅賀と里見は同じ対立派の仲間ではなかったのか?


「そこに食いつくってことは、まだそこまで辿り着いていなかったのね。あのね――浅賀は里見たちを裏切って逃亡したのよ」

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